月の子
†
ヴェロア城に残された、もう一人の王女はブロンウィンと名付けられた。
王妃譲りの美しい金の髪、深い湖のような青い瞳、水蜜桃の様な肌を持つ彼女は幼少の頃より“この世の全ての美を纏った美姫”と称賛された。
しかし、そんな美しさ故か、ブロンウィンの姿を見た者は限られた数人のみだ。
その事については
王も王妃も、何も語ろうとはしない。
痺れを切らした例のまじない師は王にこう詰め寄った。
「おひい様の姿を、とんと見かけぬが……よもや病を患ったのではなかろうな?」
「心配には及ばぬ。一人娘ゆえ大切に育てているだけだ、そなたは心配せずともよろしい」
王がそう云うと、まじない師は揚げ足を取る。
「大切に育てているならたまには城の中庭ででも陽に当たらせればよかろう。人というものは陽にあたらずば段々と弱って来る。王家の姫君とて同じ事」
何としてもまじない師はブロンウィンを一目見てみたいらしい。
だが王は絶対にこの胡散臭い老婆に我が娘を見せる事は避けたかった。
何故なら
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それはブロンウィンが生まれて幾月も経ったあたりだった。
乳母の様子がおかしい。
王妃は乳母を問いただした。
「おひい様は昼間殆どお休みになり、夜の間はずっと起きていらっしゃるのです。なのでこのように私は昼間眠とうございます」
昼夜が逆転するのは赤子なら良くある事と聞く。
王妃は乳母を
「ならば、姫の眠っている昼間はそなたも休むがよい。けして無理をせぬように」
と、をねぎらった。
が、しかし
ブロンウィンが歩き始め、言葉を喋り出す頃になっても、この昼夜逆転は治らなかった。
王も王妃もさすがにおかしいと気付いたが、さりとてあの胡散臭いまじない師に頼るのも気が引けて、とうとうブロンウィンは十の歳を過ぎてしまった。
まじない師はそんな王と王妃の態度をいぶかしんで無理やりでも姫の姿を一目見ようとした。
乳母にまとわりつき
「わしの命ももう長くはない、冥土の土産に愛くるしいと噂の姫様のお姿を一目見せてくださらんか」
と、泣き落としで攻めた。
だが、乳母も幼少の頃よりこの城に仕える身。
“もうすぐ死ぬ”と云いながら、何十年も生き長らえて来たこの老婆の“冥土の土産”は一体幾つあるのか解らない。
ブロンウィンの様子を見れば、“呪い”だの“祟り”だのと騒ぎ出すに決まっている。
しかし、まじない師があまりにしつこいので、仕事に支障をきたす程になり、根負けした乳母は
ほんの少しだけ、という約束でブロンウィンとまじない師を会わせる事にした。
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「王よ、お主は双子の片割れを殺さずにいたのじゃな?」
ブロンウィン王女の部屋を出るなり、まじない師は王に詰め寄った。
「何を申す、もう一人の姫はそなたが云った通り殺した。何を今更云い出すのだ」
王の目が泳ぐ。
嘘をついている事は直ぐにバレた。
「ブロンウィン王女がなぜ夜の間しか生活出来ないのか解らぬか?もう一人の双子の片割れはブロンウィンとは逆に昼の間しか生活出来ないのじゃ、あの時殺していればこのような事には……」
「ええい!老婆ふぜいが戯れ言を申すな!ブロンウィンは単なる病だ。もう一人の姫が生きていようとそなたには関係の無い事であろう!」
老婆ふぜい。と云われれてまじない師は語気荒く王に喰ってかかった。
「このままでは、ブロンウィンは16歳の誕生日を迎える前に死ぬ。もう一人の昼を生きる姫が、ブロンウィンの命を吸いとっておるのじゃ、双子の一人は忌み子じゃとこの国では古来より伝わっているのに……なんという情けない王よのう」
「……おのれ!年寄りが余を愚弄するとは!」
王の腰の剣が、鞘から抜かれたかと思うと、次の瞬間、老婆の首は胴体から離れ宙を舞った。
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老婆の首が鈍い音を立てて床に落ち、王と目が合った。
「後悔するが良い、ヴェロア王よ。この……魔女サヴラは首をはねただけでは死なぬ。この国に災いあれ」
まじない師……魔女サヴラの生首はそれだけ言うと黒い煙となり消えた。
「この国に災いあれ」
その言葉が王の耳にいつまでも響いていた。




