孤高の花
†
騎士道とは、何と融通の利かぬものだろう。
シーグは口をへの字にまげ、アーレフの語る“騎士道”についての話を聞いていた。
「“逃げる”と云うのは騎士として最低の行為なのだよ」
「でも、一時退却して態勢を整えると云う戦略もあるじゃないか、死んだら終わりだ」
「逃げたら、私は此処の騎士としての地位を捨て、去らねばならない。ゲバルト殿との約束が果たせない」
「でも……」
ゲバルトの名を出され、口ごもるシーグ。それにしても、アーレフは頑固だ。
「大丈夫だ。私とて命は惜しい。いよいよ危ないとなった時には逃げるなり戦うなりするつもりだ」
これはアーレフの“戦略”なのか?
どんな勝算が在るのか解らないが、シーグはその一言で渋々だがやっと納得した。
そして、担いで来た縄の端を牢屋の粗末な寝台の脚にくくりつけ、反対側の端を窓から垂らした。
「登るのは簡単だけど、降りるのが大変なんだ。俺が降りきったら、縄を引き揚げて何処かへ隠して置いてくれ」
普通の人間なら、登るのも大変だ。
外はすっかり陽が傾き、橙色の陽がシーグの髪を一層赤く燃え上がらせている。
「急がないと。じゃあな、また来るよアーレフ」
「来なくていい。こんな所にしょっちゅう来るものじゃない」
シーグが何か云いたげなのを、騎士は気付かぬ振りをした。
シーグが繩を伝い、降りて行くのを、やがてその姿を森の樹々の中に見失うまで、アーレフはずっと見守って居た。
何とも云えない寂しさが襲う。先程大笑いした、あの愉快な気持ちは何処へ消えたのだろう。
さも“策略”があるように話してしまったが、この状態ではどうにもならない。せめて、信用出来る味方があと一人でも居れば。
シーグは無事に厩舎へたどり着いただろうか?森の中で意識を失ったりしていないだろうか?
暗くなりつつある空を眺め、アーレフは其ればかりを考えて居た。
ふいに、牢屋の扉を叩く音がした。
「アーレフ殿」
開いた扉の小窓から聞こえたのは、あの貧相な大臣の声でも、牢屋の番兵の声でも無い。
しかし、確かに何処かで聞いた事のある声。
声の主は、アーレフが警戒している事を悟るともう一度云った。
「アーレフ殿、私です。盗賊のマルテンです」
意外な人物の訪問に驚きつつも、小窓に駆け寄ると確かに、あの知性を湛えた鳶色の瞳が覗いている。
「マルテン殿、どうして此処へ」
「城の者から聞きました。申し遅れましたがこの度、大臣殿の助手を勤めさせて頂く事になりました」
なんと狡猾な男だろう。この者はたった一人でアーレフやシーグとは別の経路でこの“策略”に加担していたのだ。
何故、非力そうに見えるこの男が、盗賊頭の側近の様な事をしていたのか解ったような気がした。
「マルテン殿、面目無い、このような牢の住人となった私の変わりにシーグを守って……」
「若は、いみじくも大盗賊ゲバルトの子です。自分の身は自分で守りましょう。それよりも……昨夜、もう一人の姫君にお会い致しました」
「ブロンウィン王女に?あの方は……あの方はご無事なのですか?」
王も王妃も変わり果て、残った王女はどうなったのか。騎士は今更ながら焦る気持ちを隠しきれなくなった。
「ご安心を、姫君はご無事です。それどころか、たった一人でこの城を守ろうとしておられます」
それを訊いてアーレフは心が痛んだ。たった一人で、あのか弱き姫君が正体の解らぬ敵に挑もうとしている。嵐に耐える荒野の花のように。
本来、その孤高の花を守るのが騎士の役目であった筈なのに。
マルテンはブロンウィン王女の様子を話し始めた。そして、自らが調べたこの禍々しい事象の様子を。




