騎士の受難
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馬に飼い葉と水をを与え、その後牧草地に放牧する。
成る程、何十頭も居る馬の一頭一頭の手綱を引いて柵で囲われた牧草地まで歩かせる訳だから、人手が足りないと云うのも頷ける。
「馬は脚が命だ。こうやって運動させないと弱っちまう」
そう云う親方は両の手に一頭づつ……一度に二頭の馬の手綱を引いていた。
牧草地も城の門の中にある。何もかもが城から出る事なく事が済む。城の敷地の中に、厩舎、兵舎、家畜小屋、城で働く者達の住まい、井戸や庭園、何かの催し物に使う劇場のような施設、ちょっとした畑まで在った。
城から一歩も出る事なく暮らせるのは便利で安全であろう。
が、シーグは息苦しさを感じていた。
やっと、全部の馬を移動し終え、朝食を摂りに使用人用の食堂へ行くと、中は騒然としていた。
殆どの者が興奮気味に語っているので何が在ったのか解らない。
親方は一仕事終えたというのになかなか食事にありつけない苛立ちで、近くにいた男の襟首を掴んだ。
「なんだい、この騒ぎは、おちおち朝飯も食ってらんねえ。一体何があったって云うんだ?」
「馬番の親方……皆が云うには騎士の一人が重罪を犯して牢獄に入れられたって話なんです」
騎士と聞いてシーグの心臓が跳ねた。
「なんだって?その騎士の名は!」
襟首を捕まれた男が震えているのは親方の気迫に驚いているからでは無いだろう。
シーグは、男の口から自分の知らない者の名が出る事を願った。
「クラウス・ローゼンマイヤー卿のご子息の……」そこまで聞くと親方はつかんでいた襟首を放した。急に放したので男は石の床に尻餅を着き、痛みをこらえながらその続きを云った。
「アーレフ・ローゼンマイヤー殿です」
シーグはそれを聞いた途端、心臓が壊れてしまったかのように思えた。
親方は、食堂を飛び出し何か叫んでいる。
「ゲーリング!うすのろ大臣のゲーリング!ちょっと此処へ来い!」
貧相な痩せネズミのような男とて、いみじくも大臣だ。馬番の親方ふぜいに呼ばれて出てくるとは思わなかったが、暫くすると親方は黒い上等な衣を着た貧相な男の襟首を掴み、引き摺るように食堂に戻って来た。
「あっ!大臣」
「ゲーリング!この野郎」
「ちょっと!アーレフ様が罪人なんて何かの間違いでしょ!」
「戻って来た早々こんな……おいたわしやアーレフ殿……」
食堂に居たほぼ全員に詰め寄られ、ゲーリング大臣はその貧相な顔が青ざめ、ますます気の毒な風体になっていた。
「何とか云え!」
親方が一喝すると、使用人達は黙り、ゲーリングが口を開くのを待っている。
「わ……私は……兵士に呼ばれて王の寝室に行った時には……アーレフ殿は気を失われてて、何があったのやら……」
しどろもどろに答えるゲーリングに、黙っていた使用人がまた野次を飛ばす。
「倒れてたんならアーレフ様の方が被害者じゃないの?」
「何の事実も解らないままアーレフ殿を重罪人に仕立て上げたのか!」
「大臣失格だな!」
まるでネズミが獰猛な猫にいたぶられている様だ。ゲーリングは目を真っ赤にしてやっとの思いでまた口を開く
「王妃様が“この男は妾を凌辱した重罪人なり、投獄した後斬首刑に処せ”と仰ったのだ……王があのような状態では、王妃様の命令は絶対だ。私にどうすればいいと……ううっ……どうすれば良かったと云うのだ?」
息を詰まらせそこまで云うと、涙と鼻水を垂れ流し泣き出した。
「“凌辱”って……!あのアーレフ様が?信じられない!」
「アーレフ殿に限って云えば、それだけは無いだろう」
「そうよ、あたし達がどんなに色目を使っても、見向きもしなかったんだから!」
「……だから……」大臣が鼻声で云う。まるで泣きながら喋る幼児のようだ。
「完全に冤罪なんです。それだけは解ってるんです。でも立場上王族に歯向かう事は……出来ないんです……ぐすっ……解ってください……」
親方も使用人達も項垂れた。そうだ、城に仕える身として、大臣の立場や苦悩は痛い程良くわかる。
やおら、シーグは側にあった布切れをゲーリングに差し出した。
見たところ薄汚れて、台拭きか雑巾の様だったが、涙で視界がぼやけているゲーリングには見えていないだろう。
「大臣さん、アーレフ様が閉じ込められた牢屋ってどこ?」
「……優しい子供だ……それなのに、お前の恩人をこんな目に遭わせて申し訳ない……アーレフ殿は……“塔の牢獄”にいる。誰も会うことは出来ないよ」
ゲーリングはシーグの差し出した雑巾で涙を拭い、鼻をかんだ。




