東京征服計画 其の2
千住を制圧した天王寺は次に足立区に帝政を敷くべく、
北側の花畑地区へ攻めこもうとする。
そこに第三勢力が参入してきて、天王寺の作戦が崩壊!?
PM 0:30 葛飾柴又第三高校 体育倉庫裏
幾本かの煙がじんわりと空中に広がる。
体育倉庫の裏は土の地面がしっとりとしており、建物の構造上一日中日陰になっていることもあってなかなかにジメジメとした空気を発している。
彼らにとってそれはある意味世界という陽の光から外れた世界の象徴のようでもあり、その社会全体から見た「アウェイ感」が逆に居心地がいいような気持ちで、なんとも言えない落ち着きと不安感が入り交じる感覚が気に入っていた。
そのなかで、大きなため息をつきながら、下を向き地面に煙草の煙を吹き付けながら、相槌も打たずに左手に持った携帯電話を耳に当てている男が居る。周りの連中も言葉ひとつ発さずに黙々と煙草の煙を吸っては吐いての繰り返しだ。男が持っている携帯電話の通話ランプが光っていなければ、通話中であることすらわからないような状況だが、おもむろに男は一言「わかった、あとはこっちでやっておく」と一言だけつぶやくように声を発し、相手の返事を待つことなく通話ボタンを切った。
「で、どうだったんです?」
場所が高校の校内で、さらに全員が制服を(着崩しているとはいえ)着ているために高校生だと分かるぐらい、単純に一言で言えば、ずいぶんと老けた印象の髭の男が電話していた男に一言聞いた。
「ああ、処理はこっちも手を出すことになりそうだ」
電話をしていた男は淡々と述べる。こちらも落ち着き方が高校生らしくないと言えばそうである。
「面倒くさいっすね。暴れられるのは嬉しいけど」
茶髪でいかにもな男は、先ほどの二人とは同年代とは思えないほどに見た目がかけ離れた、まさに高校生といったようにも見える。制服の下に赤のパーカーを来て、せわしなく立ったり座ったり、煙草を吸っては吐いて、とにかくあくせくと動いている。
「あまり喜ばしいことではない」
不良らしからぬ発言は電話をしていた男だ。話し方や立ち位置からして、この男がリーダーなのだろう。
「何言ってんすか。やってやりましょう!」
シャドーボクシングで体を動かしながら赤いパーカーの男は血が滾る思いで興奮している。
「落ち着け、あまり大事にするな」
「何言ってんすか!オオゴトじゃないっすか!柴又の連中かき集めますよ!」
言うが早いか、動くが早いか。赤いパーカーの男はまだ吸って間もない煙草を靴の裏で踏み消し、慌てた様子で校舎の方へ走っていった。
「しょうがない、あいつはまだまだヒヨッコだ」
髭の男が年齢に見合わない落ち着きぶりで見送った。あっさりと見送る辺り、言葉ほどの否定的な意識はないのかもしれない。他にも五、六人程度たむろっているが、先ほど走っていったパーカーの男以外は特に慌てる様子もなく、ゆっくりとだらだらと、しかし言葉を発することなく過ごしている。
中でもリーダー格の男が、ひときわゆっくりと煙を吐き出してつぶやく。
その凛とした声は決して大きなものではなかったがその場にいる者の耳にはしっかりと届くものだった。
「面倒臭いが仕方がないな。十六時に駅前だ。」
男たちはそれぞれ、「うす」「了解」「はい」などと各々の返事をして、誰からともなく煙草を踏み消してその場を立ち去った。
その中で、最後にその場を立ち去った男。
刈米玲瓏。
長めの前髪、後ろ髪も長く首が完全に隠れるほどだ。ストレートヘアを切りそろえているため一見小さなヘルメットを被っているかのように見えなくもない。物静かな出で立ち、大きく目立つような改造も施されていない学ラン。一見して言葉数の少ない一般生徒の様な彼が、この不良グループに居るのは違和感があったが、事実、彼はこの体育倉庫裏を根城にする彼らの一員であった。
去り際、刈米はそれとなく辺りを見回し、ポケットから二つ折りの携帯を取り出してメール画面を立ち上げた。
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PM 1:30千住中央高校 校門前
「おい、大丈夫なのかよ!?」
吾代は天王寺に向かって詰め寄るが、天王寺は知った風ではない。詰め寄る吾代を横目に、視線を合わせることすらせずにつかつかと歩を進める。決して高くない背のせいか、それに伴って歩幅も大きいわけではなく、それはつかつかと、というよりスタスタと、といった感じに見えなくもないのだ。
「問題ない。歯向かう相手は全て潰せばいい」
前に向けた視線をそのままに吾代の質問に答える。
何を吾代が慌てているかというと、ついさっき吾代の携帯電話に緊急のメールが入ったのだ。
メールの内容は次の通り。
『今日の、柴又第三も加わることになりそうだ。』
端的なメールだが用件は本人たちにはしっかりと伝わっている。
「今日の」とは、足立の北側、花畑地区に殴りこみに行くことについてだ。
手はずはすでに整っている。
花畑地区、足立区の北側一帯を牛耳っているのは花畑農業高校であることは吾代から聞いていた。宣誓布告という意味合いを込めて、先日こちらの領地(といっても明確な区分けがされているわけではないのだが)すなわち千住近辺で元吾代グループの一員と花畑からきた高校生とでモメていたところを割入って、拳と一緒に名乗りを上げて啖呵を切った、というわけだ。
その後、細かい揉め事が頻発するようになり、大将同士でしっかりと蹴りをつけようというわけで、向こうの花畑農業が大勢を連れて千住工業の敷地に現れ、日時を指定して堂々と去っていったというのが事の顛末である。
天王寺の喧嘩の上での才覚は事実一般的な高校生の不良グループから抜きん出ているが、事実として東京は広い。
東京は広いだけでなく人が多い。学校も多種多様で、地区が変われば雰囲気も大きく変わる。案外に都会の人というのは閉鎖的というか、自分のテリトリー外で起きたことに対する関心が薄い。テリトリーも狭く、友達の友達、程度であれば知ったこっちゃ無い扱いになるのは当たり前。アパートやマンションの隣人が暴れようが、最悪隣人の顔すら覚えていないぐらいの関わり合いで出来ている。そんな極東の島国の首都の一角で、いくら名を馳せるだけの実力があろうとも、名声は大きく響くことはない。ましてや、まだ千住エリアを取り仕切っている一校を落とした程度だ。事実、天王寺の名前を知るものは同じ足立区の花畑地区までにすら届いていないのだ。だから、天王寺のいる千住中央高校ではなく、吾代がいる千住工業へ使いっ走りが来たというわけだ。
それを吾代から聞いて以来、天王寺は非常にわかりやすく不機嫌な様子だ。
天王寺としては自分の元に何かしらのアクションが来るであろうと待ちわびていたのもあるし、名が知られていない事に少なからずショックを受けたし、とにかく何もかも気に入らなかった。
いっそ吾代から聞いた直後にかけ出して、花畑まで出向いてやろうかと思ったほどだ。
しかしそれを天王寺がしなかったのに相手側にも理由がある。
花畑農業のボスは控えめに言って馬鹿なのだ。
相手の力量を量ったり、自分の戦力をどう使おうかなどといった戦略的な考察力は数値的パラメータにしたら非常に小さい、というかゼロと言っても過言ではないのだ。つまり、知力ゼロの脳筋といえば分かりやすいだろうか。
名を大葉太陽という。
花畑農業の二年、柔道部。どっしりとした体躯でまさに柔道部という感じの、名を体で表したまんまの体つき。舎弟の数は多くなく、基本的には群れないタイプで、不良というよりも柔道が恐ろしいぐらいに強くて誰もモノを言えない、というのが現状のようだ。
番長になったきっかけも、三年生にフクロにされていた二年生をたまたま通りかかった大葉が見て止めに入り、一騎当千の活躍で三年生を返り討ち。近所でも名が知られているため、本人の意向と異なる形で花畑地区を取り仕切っている、という話を吾代から聞いた。
単純に言って、天王寺の好きなタイプではない。
正義感というか、そういったものが偽善的に感じられるのだ。
癪に障る。人間なんだからどろどろとした汚い内面も持ち合わせているはずなのに、それを表に出さないという意味のない努力。そんな一方的な感情論でとにかく天王寺の嫌いなタイプなのだ。
加えて、馬鹿であることもマイナスポイントだ。
だが、逆に言えば、それだけ相手に対する期待値も当然のごとく下がる。なので、天王寺のもとへパシリを飛ばさなかったことも、向こうの脳筋的な情報収集力の無さに起因する些事も諦めているわけだ。
そういうわけで、諦めと癪に障るとの二重のマイナス感情により、静かながらに天王寺はイラついていた。沸々と湧き上がる怒りを冷静に押さえつけているのだ。
そこに、先ほどの吾代のもとへメールが来たというわけだ。
メールの内容的に、足立区の抗争として捉えていた今日の喧嘩を見直す必要が出てきた。
千住VS花畑で事実上の足立区頂上決戦となる予定だった今日の喧嘩に、となりの葛飾区柴又地区が割り込んでくるという図式になる。
三つ巴の戦局ならまだ天王寺に策略家としての手の打ちようがあったはずではあるが、状況から察するに花畑サイドに柴又がつく様相を呈しており、事実上、二対一の厳しい喧嘩になりそうではあった。もちろん、天王寺にはバックに大きなチームが控えており、呼びだそうと思えば呼び出せたはずだったのだが、あまりにも急に決まった喧嘩であり、もともと今回は実力で相手をひれ伏させる想定をしていたこともあって、チーム天王寺は使えない。
つまり、大葉との一騎打ちにすらならない可能性が浮上した。
そこまで考えて、天王寺は自分の冷静さを第三者的に受け止め、それらの考察を全て踏まえた上で吾代に「問題ない」と言い放ったのだ。
そこに天王寺の根拠があるかはわからないが。
単純に二対一の図式をよく思っていない男がいる。吾代だ。
吾代はとにかく自分が不利になることはしたくない。そもそも、花畑の大葉といえば、花畑地区に限らず、少なくとも足立区には多少名が通っている男だ。今までは自分のテリトリーとして千住を守り、他の領地への侵略も避けて、とにかく自分の範囲でやってこれたし、やっていくつもりでいた。それを転校直後の天王寺に千住を侵略され、あろうことか、さらに戦いを求めて必要のないイザコザを花畑と繰り広げようというのだ。
まして、大葉が使者を送ってきたのは天王寺の元ではなく吾代のところだ。つまり、大葉の認識は「千住の吾代」がターゲットなのだ。
(くっ…この状況はまずい……なんとかしないとっ…)
まして、先ほどのメールだ。送り主は刈米、吾代の小学校時代からの友人で、葛飾区に引っ越してからも一緒に遊びに行く仲である。メールについて天王寺がどこまで信じているかはわからないが、吾代の中で刈米からの信ぴょう性は非常に高く設定されていた。
(あのカリメロがわざわざ送ってきたメール。本格的に柴又が敵に回るぞ…)
葛飾が加わることの重要性を、吾代なりに必死に言って聞かせるが天王寺も頑固なもので聞く耳を一切持たない。吾代としても、天王寺の強さを身を持って知っているのだが、相手が大葉に加えて一校。一校分の戦力が加わるとなると、天王寺の個の戦力を数で圧倒することができるのではないか。それが吾代にとっての最大の不安要素だった。
(なんとか、なんとかならないのかっ…このままじゃ、さすがの天王寺でも…っ)
「集められるだけ兵隊を集めておけ」
イラつきと興奮で不敵に笑う天王寺の横顔を見ながら、吾代はとにかく不安だった。自分が守ってきたこの千住の連中、溜まり場がどうなってしまうのか。
だが、時間は無情に過ぎていく。吾代の不安をよそに、一方的に。
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PM 0:30 足立区保木間公園
天王寺が抗争場所である保木間公園にたどり着いたときには、すでに抗争が始まっており、場の雰囲気はどす黒くグロテスクな空気に覆い隠されていた。
花畑、千住両校の生徒が入り乱れ、罵声と暴力の打撃音に支配された空間になっている。すでに両校合わせて五十人程度はいるのではないだろうか。決闘の時間までまだあるというのに、我慢しきれなかった先遣隊同士のイザコザが発展してこの様な乱闘戦が繰り広げられているようだった。
天王寺は吾代に聞こえない程度の小さな舌打ちをして、どのように場を静めるかを模索した。ある程度の小競り合いはやむを得ないと想定していたが、ここまで激しい乱闘戦になると、兵隊の消耗戦になりつつあり、両者共に兵数を減らしてしまうことになるからだ。
今回、天王寺としては「チーム天王寺」を使うことができない。そのため、千住の兵隊は数の暴力に置いて大きな要素を占めることになるのだ。消耗戦になり、千住・花畑で共に兵数が減って結局大将戦になるのであれば大した問題ではないが、今回はそんな簡単な図式ではない。
その天王寺の想定を悪い意味で裏切る男が集団を引き連れて保木間公園に現れた。
最初に聞こえたのは原付、単車、チャリのベルなど、人工的な排気音を中心としたものだった。保木間公園は大通りが近くにあるため、排気音自体はそれほど目立つものではない。だが、問題は音の種類ではなく数だった。無数のバイクをわざと煽らせ、多数のエンジン音で威嚇しているのだ。
敵味方入り乱れての乱闘で、徐々に兵隊たちの手が止まり、吐いていた暴言が静まる頃には、
それなりに広いはずの保木間公園を取り囲む無数のバイク、単車、チャリに包囲されており、目の前の敵以外の乱入者の登場に、千住サイドも、花畑サイドも、ともに戸惑いを隠しきれずにいた。
そして、公園を取り囲むバイクの一台が公園内に侵入。自然と道を開けてしまう兵隊たちを見向きもせず、真ん中に堂々と入ってくる姿は、まるでモーゼの十戒を見ているかのようだ。
公園内に侵入してきた一台の黒いバイクには二人がまたがっていた。
バイクを操作している男はヘルメットを首から後ろにかけており、特に大した感情もなさそうに、さも自然な動きであるかのように公園中央にてバイクを止める。
二人乗りの後ろの男は黒のヘルメットをかぶっており、顔はわからない。
二人とも特に何かの武装をしているわけでもなかったが、威圧感というかオーラというか、雰囲気を醸し出す男であったことは間違いない。
いつの間にか静まり返った公園内で停車したバイクとそれに注目して動きの止まった兵隊たちは完全に今、バイクの男二人に飲まれた状況下にあった。
運転席の男がエンジンをかけ、停車したままバイクの後輪を回転させる。マフラーを改造しているのか、けたたましい排気音と共に猛烈な砂煙を巻き上げつつ、その場で前輪を中心とした円を地面に描きだした。
そのまま一周回ったところで、バイクは停車。静まり返った公園内の空気をほんの数秒で支配した二人のうち、後ろに乗っていた男がゆっくりとバイクを降り、ヘルメットを外す。
「天王寺ってのは、どいつだ?」
高校生とは思えないほど落ち着き払った声で、天王寺の耳に入った声は敵意や闘争心といった感情は少なくとも言葉の中からは見出すことは出来なかった。
「オレだ。お前が花畑の大葉太陽か?」
腕を組み、胸を張って答える姿勢は堂に入っている。小さな体躯から自信と尊厳に満ち溢れた千住の王はヘルメットの男とは対照的に、敵意と闘争心をむき出しにした肉食動物の様なオーラを溢れ出させており、今にも跳びかかりそうだ。
「違う。オレは葛飾の柴又第三。間島真剣だ。」
答えるのが先か、天王寺が跳びかかるのが先か、ギリギリの間で天王寺が得た回答は予想と少し違っていた。
――間島だと?花畑の大葉はまだ来てねぇのに援軍の方が先にご到着しちまったかっ!
天王寺の計算が狂う。
そもそも、天王寺が吾代に「大丈夫だ」と言っていたのはひとつの策があったからだ。
策自体は非常に単純なもので、柴又の連中が来る前に花畑の大葉を倒す。というものだった。だから、葛飾につながる主な道路には兵隊を置いて怪しそうな連中が通過した時点で連絡が入る様に手配したし、花畑の大葉とすぐに始末を付けたかったから先遣隊に挑発させ、乱闘状態へ持っていくことも計算の上だったのだ。
計算外だったのは、乱闘が激化しすぎて兵隊が減ってしまったこと。大葉がまだ現れていないこと。そして、葛飾柴又の連中がすでに現れたこと。
策というほど立派なアイデアではないにしろ、天王寺は上手く行けば柴又を蚊帳の外においたまま花畑を手中に収めることができると考えていた。
だが、柴又の間島は平然と現れたのだ。天王寺の検問を掻い潜ったのか、突破したのかはさておいて、現に目の前に居ることが全てなのだ。
「どうする?」と、小さな声で耳打ちしてくる吾代に答える余裕は天王寺にはなかった。
天王寺が自身で思いつく選択肢は多くない。
柴又の間島を倒すか。
一時撤退するか。
一筋の汗が天王寺のこめかみを伝う。
だが、天王寺の性格上、片方の選択肢は有ってないようなものである。
――やるしかない。
間島と名乗る男に対峙する決意を拳に固め、その組んだ腕をほどいて学ランのボタンを秘湯ずつゆっくりと外していく。まだ着慣れない制服の両ポケットに突っ込む。
天王寺にとって、今は一刻を争う勢いで目の前の間島を倒さなければならない。花畑の大葉が現れて敵が連合軍化しては勝ち目がなくなるからだ。そのはずだ。
それなのに、天王寺の行動はまるで儀式めいていて、一つ一つの動作がゆっくりであるはずなのに緩慢な様子はなく、その行動の一つ一つが天王寺を人間という着ぐるみから野性的な暴力の塊である本性を解き放つ様式美の絢爛さが目を引く。
とにかく、その場の何十人もの高校生が動くことも言葉を発することもできなくなるような、注目にさらされ、それでいて尚、貫禄や風格がありありと見て取れるものだった。
そして全てのボタンを外し、両方のポケットに手を突っ込んだまま、小柄なリーゼントの少年は一言吠えた。
「来いや。お前の相手はこのオレだ」
何十人もの大勢の高校生が息を呑んだ。
決して体躯が大きいわけでもない天王寺の一言が、この場を支配したのだ。
自然と、天王寺と間島の間にいた兵隊が道を開けるように退いていき、二人を中心としたステージを創りだす。
「この戦い、もはや止める訳にはいかないな」
ぼそりとつぶやいた間島の声は天王寺に届いたのだろうか。
先手を打ったのは柴又の間島だった。かぶっていたヘルメットを右手で掴み、そのまま天王寺の頭めがけて投げつけた。
両手をポケットに入れたままの天王寺はガードすることもままならず上半身を折りたたみ、姿勢を低くしてヘルメットをかわす。
天王寺が交わしたヘルメットは取り囲んでいた兵隊の一人に命中し、思わぬ一撃を食らった兵隊はそのまま倒れこんだ。
しかし天王寺にはそれを確認する余裕はない。
ヘルメットを投げた間島がそのままの勢いで突進。あっという間に距離がゼロになる。
体当たりを食らわせようとした間島に対し、天王寺は素早い動きで対応した。
上体を折った形からしゃがみ込み、膝をバネにしてそのまま飛び上がると同時、体を鞭のようにしならせてハイキック。体当たり目当ての間島のこめかみにつま先を叩きこもうとする。
すると、今度は間島が両腕を交差させて天王寺のハイキックをブロック。振り切れなかった天王寺はバックステップで距離を取り、憎らしげに小さく舌打ちを入れる。
そこまでの一瞬の動きに観衆が見入り、一息ついたところで歓声を上げた。
「小僧…なかなかやるな…」
間島の顔からは意外といった表情がありありと見て取れた。
天王寺としては、馬鹿正直に突っ込んできた間島に対し、もらったと思った一撃のキックだっただけに、まさかガードされるとは思っていなかったのだが。
天王寺は全体重を乗せたキックをガードされ、予想以上にやっかいな敵だと認識を改める必要がある。だが、かといって時間をかけるわけにもいかない。
今度は天王寺がしかけた。
目の前で飛び上がり、自分よりも上背で勝る間島よりさらに高い位置に一瞬で到達する。
ジャンプ力に驚く間島の表情が天王寺には愉快でたまらなかった。空中でにやりと笑い、そのまま間島のあご先をめがけて再度キックを叩き込むべく足を振り上げた。
が、間島も全く油断していたわけではないらしかった。飛び上がった天王寺のジャンプ力には驚かされたものの、その足元から放たれる前蹴りをしっかりと認識し、再度ガード。未だ空中で身動きがとれない天王寺から放たれた足を掴み、引きずり倒そうとする。
そして、倒れたのは間島だった。
間島は足を掴んだ。
間島は引きずり倒そうとして掴んだ足の変な力の加わり方に違和感を覚えた。
そして次に感じたのは危機感だった。
だが、その間島の思考を持ってしても、天王寺の動きのほうが早かった。
天王寺の、繰り出した足とは逆の、もう片方の足が更に振り上げられており、空中で縦に回転するかのような勢いでその踵が見事に間島の脳天を直撃した。
だが、間島も立ち上がる。
揺さぶられた脳の衝撃も相当だったものの様で、その場でたたらを踏みつつ、それでも、間島は立ち上がったのだ。
眼の焦点が合っていなかったが、立ち上がった間島の気迫は相当のもので、天王寺すら若干の悪寒を覚えるほどだった。
天王寺はポケットに入れっぱなしだった手を出し、ファイティングポーズを取ると一気に距離を詰めて間島に襲いかかった。
そこからは乱闘になった。
仕留めにかかる天王寺と、それでも必死の抵抗を見せる間島。そして、真島の不利を悟った取り巻きが天王寺を止めにかかり、それをさらに止めにかかった千住の兵隊が入り乱れる様相になった。血が流れ、拳のぶつかる音が響き、砂利を踏みしめる無数の足音と倒れこむ人、それを煽るバイクの排気音。
その中で、気づけば吾代は誰かに殴られて白目を剥いていた。
興奮と暴力をひとまとめにして練りこんだような一つの大きな塊。この保木間公園はもはや誰もが想像をしえなかったほどの混沌に支配されていた。
永遠に続くかと思われるほどの壮絶な打ち合いは意外な形で幕切れを呼ぶこととなった。
「何やっとんじゃワレぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
新たな参入者が現れたのだ。
その参入者はこの惨状を見て、大声で叫ぶと、その大きな体をこの大きな混沌の塊の中へねじ込んでいく。
首根っこを掴まれ、塊の外へ放り投げられるもの。
大きな拳を喰らい、そのまま吹き飛ばされるもの。
ベルトを掴み、引きずられるようにして外に投げ出されるもの。
暴言と暴力で作りこまれた混沌の塊の中に投じられた一石は、やがて大きな波を形成するかのように場の雰囲気をじわじわと変えていった。
そして、気づけば再度静まった塊の中でそれでも尚、相手に食って掛かり続けるボロボロになった二人。片方は背の低いリーゼント(と言ってもだいぶ崩れてしまったが)、もう片方も大きく腫らせて誰だかわからないような顔をした大きな体、その二人の首根っこを掴み、引き剥がす。
そうしてようやく、場に久しぶりの静寂が生まれた。
意識が朦朧としているのか、距離感が掴めないのか、天王寺も間島も、お互いに届かない手をそれでも振り回し、未だ闘争心は衰えていなかった。
「やめんかっ!」
二人の首根っこを持った男が、そのまま二人の頭をつかんでかち割る。
ゴツッと鈍い音がして、二人そろってその場にへたりこんだ。倒れないのが精一杯の意地であった。
「おぬしら、正気に戻らんか!今日の喧嘩の相手を間違えるんじゃない!」
天王寺は、口の中が血の味でいっぱいで、血反吐を吐き出すことしか出来なかった。
間島は、自分のダメージを天王寺に悟られまいとして、ふらつく頭を自制で抑えつけるので精一杯だった。
吾代は、いつの間にか倒れていた。
朦朧とする意識の中で、この惨状の結果を収めようとしている新たに現れた大男の声を聞き、その聞き覚えのない声とにじむ視界の向こう側の背中を見て、ようやく天王寺は一言声を出すことが出来た。
「誰だ、おめぇ」
わずかにつぶやかれただけの小さなその声は、大男の耳にしっかりと届いた。
大男は振り返りながら言った。
「花畑の大葉じゃ。ずいぶんと荒っぽい男じゃと聞いていたが、いやいや、見た目とは大きく違って、大層肝のでかい男のようじゃな。お前が天王寺って転校生だろう?」
てめぇが…と、ようやく現れた今日の本当の敵を前に、天王寺は再び闘争心を燃やし始める。
しかし、間島から食らったダメージは大層なもので、体がズキズキと痛み、上手いこと動いてくれない。立ち上がることすらままならないのだ。
すると、立ち上がろうとする天王寺を制するように、大葉はその大きな手のひらを天王寺に向けて
「いやいや、今日はまことにすまんかったな。面倒をかけた。まあ、その件については、うちの領地で暴れた分と『どっこい』ということにして欲しいもんだな。まあ、そうしようじゃないか」
「何を言ってやがる…」
「いやいや、ワシは間島を呼ぶ気はなかったんだよ」
「「は?」」
間島と天王寺がシンクロして疑問符を浮かべた。
「そもそも、今日はワシから仕掛けた喧嘩だろう?他人を巻き込んで決着をつけてもすっきりせんからの」
「じゃあ、大葉、お前なんでオレのところに…」
「あれは、ワシの部下が勝手に呼んだのだ」
つまらんことに巻き込んでしまってすまんかったの、と間島に詫びると、大葉はそのまま状況を飲み込めない群衆へ向けて言い放った。
「今日の喧嘩は仕切りなおしじゃ。そもそも、柴又と千住でいがみ合う理由はなかろう!ここは足立の花畑ぞ。うちの領地でこれ以上好き勝手は許さんぞ!」
毒気を抜かれた様で、しばらく座っていたことで意識的に回復した間島は、よたよたと立ち上がりながら「引き上げだ」と柴又勢に言い、引き上げにかかった。
引き下がる柴又勢を追い詰める余裕は千住勢にも無かった。
やがて間島は来たときと同じバイクの後ろにまたがり、拾い上げたヘルメットを被った。
その間島の乗ったバイクの運転をしていた男は、一度大きくエンジンを吹かすと
「今日のことは忘れないぞ、千住」
一言を残して排気音のドップラー効果と共に去っていく。
柴又勢はそのまま間島を先頭に、ぞろぞろと退場していった。
「おい、お前が大葉太陽か」
座り込んだまま天王寺が問いかけた。
「そうだ」
「邪魔する馬鹿がいなくなったからなぁ、ハッ、前菜にもならなかったけどよぉ。今からメインディッシュを食らってやってもいいんだぞ、おい」
きょとんとした表情を浮かべたあと、大葉は大きな体躯を揺らすように笑った。
「そんな元気があるなら大丈夫だな。そんな状態でよく啖呵をきれるもんだ。ワシとしても全力で相手をしてやる必要がありそうだ」
「おぉ、かかってこい、この野郎ォ…」
ふらふらと立ち上がる小柄な天王寺を大きな大葉が抑える。
「いやいや、まあ、待て。こんな状況でやりあっても面白く無い。今日のところはワシが預かる」
そう言うと、二度ほど手をたたき大きな声で保木間公園にいる千住勢に言い放った。
「今日のところはワシが決着を預かる!千住と花畑のケリはいずれつけようぞ!わかったか!わかったら帰れ!!警察が嗅ぎつけてここに来るのも時間の問題ぞ!」
と言われると、千住勢もわたわたと蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
残ったのは、大葉と天王寺。
そして、倒れたままの吾代の三人だった。
天王寺は吾代を蹴り起こすと、吾代を引き連れてその場をあとにした。
「覚えてろ、この野郎。このツケ、近いうちに払わせてやるからな」
「いやいや、元気なもんだな。その意気じゃすぐに回復するじゃろう。さあ、うちのみんなも帰るぞ」
「天王寺よぉ…大丈夫じゃなかったじゃねーか」
「うるせぇ、寝てただけのやつに言われる筋合いはねーんだよ」
柴又から出向き、恐るべきタフさで倒れなかった間島。
あの泥沼化した悪意の塊の中に飛び込んで来て、雑魚どもを吹き飛ばしながら場を沈めた大葉。
東京はまだまだ広い。
これからの険しい道程を想像して、傷を負った体を奮い立たせつつ、天王寺はにやりと笑うのだった。
後書きってのは作者の自己満であり蛇足である。
と思うわけです。
ちなみに、添削修正など今後行いますので、
申し訳ありませんがご了承下さい。