8.夜の騎士と二人きりの時間
その夜、騎士団の激務を終えたライゼルが別邸にやってきた。彼はアーヤが作成した在庫管理表のおかげで、報告書作成の時間が大幅に短縮できたと、興奮気味に語った。
「アーヤ殿、改めて感謝します。事務作業が苦手な私にとって、あなたは本当に救いの女神です」
「そんな、大袈裟な」
別邸のテラスで、二人きり。夜空には、地球では見えない、青と紫のグラデーションの美しい月が浮かんでいた。
「大袈裟ではありません。私は、剣術も馬術も人並み以上にこなしますが、どうにも細かい書類仕事は苦手で。父上からは、事務能力のなさをいつも叱られていました」
ライゼルは、いつも完璧に見える制服の襟を緩めながら、少しだけ弱音を吐いた。
「私は次男坊ですから、将来は領地を継ぐことはありません。ですが、レイヴァーグの名に恥じぬよう、騎士として国のために尽力したい。そのためには、あなたのような支えが必要だったんです」
アーヤは、ライゼルの隣に座りながら、そっと尋ねた。
「ライゼル様は、どうしてそんなに優しいのですか? 私のような、どこの誰かも分からない者を、こんなにも気にかけてくださって」
ライゼルは、月を見上げたまま、静かに答えた。
「初めて森であなたを見たとき、不思議な感覚がしたんです。まるで、遥か遠く、手が届かない場所から、大切な宝物が落ちてきたような……」
彼は、アーヤの方に顔を向けた。青い瞳が、月の光を浴びてキラキラと輝いている。
「そして、あなたがこの世界で、その長い寿命を孤独に過ごすのは、あまりにももったいないと思った。アーヤ殿には、もっとたくさんの人に愛され、幸せになる資格がある。だから、私が、この世界の全てを教え、あなたを守りたいと思ったのです」
ライゼルの真摯な言葉に、アーヤの胸が熱くなった。
「ライゼル様……」
「私は、あなたを侯爵家の客として扱ってはいません。私は、あなたのことを、初めてできた大切な人だと思っています」
ライゼルは、そっとアーヤの手を取り、自分の頬に当てた。彼の肌は熱く、少し汗ばんでいたが、その顔は優しさに満ちていた。
「この先、私が騎士団でどれだけ忙しくなっても、あなたの生活と教育の面倒を見ることをお約束します。だから、あなたは安心して、この家で新しい人生を楽しんでください」
「はい。ありがとうございます、ライゼル様」
二人の間に流れる時間は、夜空の月明かりのように、静かで、そして甘美なものだった。アーヤは、長年忘れていた異性へのときめきを、この異世界で、年下の騎士から感じていた。
ライゼルは、アーヤの手をそっと離すと、いつもの副団長の顔に戻った。
「さて、明日、騎士団本部で大規模な訓練があります。私はもう戻りますね。アーヤ殿、おやすみなさい。良い夢を」
「おやすみなさい、ライゼル様」
テラスから立ち去るライゼルの背中に、アーヤは思わず小さな声でつぶやいた。
「……私も、ライゼル様が大切です」
その声は、夜風に乗ってライゼルに届くことはなかったが、アーヤの心の中では、新しい感情の炎が、静かに灯っていた。




