5.初めての異世界言語
翌日から、本格的にアーヤの異世界生活が始まった。
まず始まったのは、文字と会話のレッスンだ。ライゼルが手配してくれた家庭教師は、初老の優しそうな女性で、彼女の教える文字は地球のどの言語とも異なっていた。
「アーヤ様、これは『ア』の音を表す文字です。私たちにとっては簡単な文字ですが、あなたには難しそうですね」
「すみません、なんだか、古代のルーン文字みたいで……」
「ルーン?」
「あ、いえ、なんでもありません」
異世界の言語は、アーヤにとって全く触れたことのない未知のものであった。
しかし、アーヤは地球での社会人として培った集中力と、元来の生真面目な性格、そしてアラフォーにして異世界転移という非現実的な状況がもたらした環境で、驚異的な適応力を見せた。
数週間後には、簡単な挨拶や日常会話、そして侯爵家の者たちの名前を覚えることができた。
そして、言葉が少し通じるようになると、ライゼルが度々別邸を訪れ、アーヤの面倒を見るようになった。彼は本当に面倒見が良い。
「アーヤ殿、この世界の通貨は『レガ』といいます。小銭から大金まで、この紙幣で。硬貨は銅貨、銀貨、金貨の三種類ですね」
「へえ、地球と似ていますね。ライゼル様、お忙しいのに、どうしていつもこんなことを……」
ライゼルは、騎士団の副団長という激務の合間を縫って、異世界の歴史、文化、そして魔法の基礎知識まで、丁寧に教えてくれた。
ある日の午後、ライゼルは地図を広げていた。
「この国には、魔法使いを育てる王立魔術学院という場所があります。あなたの能力について、父上は研究を進めていますが、あなた自身がこの世界の知識を得ることも大切でしょう。いずれ、あなたには学院へ通っていただくかもしれません」
「私が、魔術学院に……?」
アーヤは戸惑った。
「私は魔力回路がない、と言われたんですよね? 魔法は使えないのでは?」
ライゼルは、ふと遠くを見るような顔をした。
「父上が言ったように、あなたの周りには、常に精霊がいます。魔力回路は、魔法を使うための水道管のようなものですが、精霊は、その管を通さず、直接あなたに力を与えているのかもしれない」
ライゼルは、そっとアーヤの手に触れた。
「アーヤ殿。あなたには、自分でも気づいていない、途方もない才能がある気がしてなりません。あくまで私の勘ですが」
その瞬間、ライゼルの触れたアーヤの手から、微かに、暖かい光が漏れたような気がした。
だが、それは本当に一瞬のことで、ライゼルは気づいていないようだった。
「さて、次は魔物の生態について教えましょう。この森には、稀にロック・ベアが出ますから、森には近寄らないでくださいね」
ライゼルはそう言って、優しく微笑んだ。その笑顔には、アーヤの秘密を知るがゆえの、心配の色が垣間見えた。




