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天涯孤独のアラフォー元事務員、騎士団の副団長に溺愛される  作者: 桐生 翠月


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49.穢された王宮

 王宮の正門を(くぐ)った瞬間、ライゼルの胸を締め付けたのは、あまりにも無惨に変貌した城の姿だった。

 ヴェリタスの王宮は、贅を尽くした華美な造りではない。だが、石造りの壁には(つた)が美しく這い、中庭には四季折々の花が咲き乱れ、精霊たちの気配が風に溶け込む——そんな、緑豊かで穏やかな気品に満ちた場所だった。

 

 それが今、視界に広がるのは死の光景。かつて色鮮やかに咲き誇っていた花々は、墨をぶち撒けたような黒い(よど)みに侵され、無惨に枯れ果てている。瑞々しかった緑の葉は腐り落ち、美しい石床にはどろりとした粘り気のある澱みが、まるで生き物のように這いずっていた。

 

「……ひどい。空気が、泣いているみたい」

 

 アーヤが喉の奥で声を漏らす。

 彼女の耳には精霊の図書館(ライブラリ)を通じて、城内に満ちる精霊たちの悲鳴が、形を成さない絶望の残響となって絶え間なく流れ込んでいた。

 

『熱い、身体が溶ける……』

『暗い、光が見えない……助けて……』

 

 それは、ただの異変ではない。城そのものが、負の感情と澱みに(なぶ)られ、生きたまま腐敗させられているような感覚。

 アーヤは吐き気を堪え、自身の胸元に手を当てた。彼女の身に宿る聖なる宝玉が、苦しむ同胞の声に呼応するように激しく、そして悲痛に脈動している。

 

「アーヤ、耳を塞いでいい。あとのことは私が——」

 

 ライゼルが案じるように彼女の肩を抱こうとしたが、アーヤは静かに首を振った。

 

「大丈夫です。……この子たちの痛みを知らなければ、本当の意味で救うことはできませんから」

 

 波風を乗り越え、人生の重みを経てきた彼女の横顔には、慈愛と、それを飲み込むほどの静かな怒りが宿っていた。彼女は金色の髪をなびかせ、澱みの奔流(ほんりゅう)に抗うように一歩を踏み出す。

 

「精霊たちが指し示しています。元凶は——王宮の最深部の禁書庫。そこにある強力な魔導書が、何者かの手によって呼び覚まされ、この澱みを引き寄せているようです」

 

「王宮禁書庫……。王家と、限られた管理者しか立ち入ることを許されない禁忌の場所か」

 

 ライゼルは聖剣を抜き放ち、澱みの霧を切り裂いた。進むほどに、空気は重く、冷たくなっていく。静まり返った廊下には、二人の足音と、澱みが這いずる微かな粘着音だけが響く。

 かつての美しい思い出を汚された怒りを、ライゼルは冷徹な闘志へと変えていった。

 

 二人が禁書庫へと続く重厚な扉の前に辿り着いた、その時だった。扉の奥から、歪んだ哄笑(こうしょう)のような、不気味な声が漏れ聞こえてくる。

 

『来たか。星の迷い子と、その光に魂を繋ぎし騎士よ』

 

 その声が響いた瞬間、廊下を埋め尽くしていた澱みが一箇所に集まり、扉を封じるように巨大な異形の姿を形作り始めた。

 

 それは、実体を持たぬ澱みの奔流が、数多の魔物の骨や肉をつぎはぎしたような、おぞましい姿をしていた。異形の巨体からは常に黒い霧が噴き出し、触れるものすべてを腐食させていく。

 

「……下がっていて、アーヤ!」

 

 ライゼルが吠え、白銀の光を纏った聖剣で迎え撃つ。異形の振り下ろした巨大な鉤爪(かぎづめ)が、ライゼルの掲げた剣と激突し、火花と共に黒い飛沫を散らした。

 かつてのライゼルであれば、その圧倒的な質量に受け止めるだけで精一杯で、防戦一方に追い込まれていただろう。だが、今の彼の身体はアーヤと同じ時を刻み、精霊王の祝福が脈動している。

 

「はあああぁっ!」

 

 ライゼルは、まるで重力を無視したかのような鋭い踏み込みで異形の懐に潜り込むと、白銀の光を宿した一閃を叩き込んだ。光の刃が澱みの肉を焼き切り、異形が耳を(つんざ)くような絶叫を上げる。

 だが、斬り裂かれた傷口からは次々と新たな澱みが溢れ出し、即座に再生していく。その再生速度に、ライゼルが僅かに眉を顰めた瞬間、アーヤの声が響いた。

 

「ライゼル様、核は右胸の奥です! そこにある古い羊皮紙の断片が、澱みを繋ぎ止めています!」

 

 精霊の図書館(ライブラリ)を通じて、異形を形作る理を見抜いたアーヤの冷静な指摘。迷いを捨てたライゼルの剣先が、白銀の螺旋(らせん)を描いて突き出される。

 

「そこか……!」

 

 光の一突きが異形の右胸を貫き、核となっていた魔導書の断片を粉砕した。瞬間、山のような巨体は形を保てなくなり、断末魔と共に黒い霧へと還って霧散していく。

 

 静寂が戻った廊下で、重厚な禁書庫の扉が、誰に招かれるでもなく、ギギギ……と不気味な音を立てて内側へと開かれた。扉の先――そこは、無数の本が宙に浮き、澱みが壁一面に(つた)のように這う異界と化していた。

 その中心部、古びた台座の上に鎮座する一冊の魔導書と、その傍らに立つ()()()の影。

 

「よくぞ辿り着いた。……運命の歯車に翻弄されながらも、抗い続けた愚か者たちよ」

 

 逆光の中に立つその人物が、ゆっくりとこちらを振り向いた——。

 

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