29.決意そして亡き母の面影
精霊王たちが夜風と共に去った後、庭園には静寂が戻った。
「……私が、人より長く生きるのだということは、知識として理解していました。けれど、それが世界を清めるための義務だったなんて……」
アーヤが俯きながら零すと、ライゼルはそっとその肩を抱き寄せた。
禁書庫の古い記述や、精霊の図書館で得た知識。それらはあくまで過去の事実としてアーヤの中にあった。けれど今、精霊王たちから直接告げられたことで、その長い刻の重みが、実感となって彼女の肩にのしかかっていた。
「あなた一人が背負う必要はありません、アーヤ」
ライゼルの声は、夜の静寂を切り裂くほどに力強かった。
どんな試練が待ち受けているのか、過去の挑戦者たちが辿った悲劇的な末路。それらを十分に理解した上でなお、彼の瞳に宿る光は少しも揺らいでいない。
「あなたが清め手として世界を歩むなら、私はその隣で、立ちはだかるすべてを斬り伏せる騎士になりましょう。二百年だろうと三百年だろうと、あなたを一人きりで歩かせはしない。そのための試練なら、私は躊躇わず受け入れる」
その言葉に、アーヤは涙が溢れるのを堪えるように唇を噛み、ライゼルの胸にそっと額を預けた。
遠くの空が白み始め、庭園に夜明けの光が差し込むまで、二人はこれからの過酷な旅路と、それでも共に在る未来について、静かに語り合い続けた。
庭園で夜明けを迎えたその日の朝。
朝食を終えたタイミングで、ライゼルはグレンヴァルト侯爵とグレイグに時間を取ってほしいと願い出た。
案内されたのは、代々の当主が数々の決断を下してきた、重厚な革と古い紙の香りが漂う、グレンヴァルト侯爵の書斎だった。壁一面が本棚の、その私的な空間で、ライゼルは昨夜起きた出来事を静かに、しかし力強く語り始めた。
アーヤが、世界の淀みを浄化する清め手としての宿命を背負っていること。永すぎる寿命は、そのために与えられたものだということ。そして、ライゼルが彼女と同じ時を生きるために、命を懸けて精霊王の試練に挑む決意――。
「……魂を失い、人が変わる、か。お前らしい、死ぬよりも難儀な試練を選んだものだ」
真っ先に口を開いたのはグレイグだった。彼は呆れたように肩をすくめたが、その瞳には弟への確かな信頼と、どこか誇らしげな色が宿っていた。
「だが安心しろ、アーヤ殿。こいつの執着心は、数百年程度で摩耗するようなヤワな代物ではない。むしろ、時が経つほどに重症化するだろう。何かあれば、いつでもレイヴァーグ家が後ろ盾になると心得ておけ。弟の我儘に付き合わせてすまないな」
「兄上……。余計な一言が多いです」
ライゼルが苦笑混じりに返すと、それまで沈黙を守っていたグレンヴァルト侯爵が、ゆっくりと顔を上げた。
その視線の先、書斎の机の上には、ライゼルによく似た涼やかな目元と柔らかな笑みを湛えた、銀髪の女性の小さな肖像画が置かれていた。
「……ノエラが生きていたなら、何と言うかな」
侯爵の静かな呟きに、その場の空気がふわりと和らいだ。
「きっと『ライゼル、あなたは一度決めたら絶対に曲げない子だから、精霊様の方が根負けしてしまうわね』と、笑って送り出しただろう。……お前のその、一つのものに全てを捧げる気質は、間違いなくノエラ譲りだ」
「父上……」
「ライゼル。ノエラはお前が幼い頃、お前がいつかその激しすぎる情熱を注げる誰かに出会えるよう、いつも祈っていた。お前は今、その誰かを見つけたのだな。ならば、レイヴァーグ家の長として、お前の道行きを認めよう」
ライゼルは深く頷き、隣に座るアーヤの、温かく柔らかな手をしっかりと握り締めた。
「ありがとうございます。必ず彼女を連れて、この家に……母上の前へ戻ってきます」
アーヤは、家族の想いが詰まったこの書斎で、その温かい言葉に胸が熱くなるのを感じた。
「私も、全力でライゼル様を支えます。何があっても絶対に離れません」
侯爵は満足げに頷くと、鋭い当主の顔に戻った。
「よし。では、すぐに陛下へ謁見を申し入れる。これはお前個人の問題ではない。大精霊契約者の守護は、国家の命運を左右する。陛下には、公式な任務として認めていただかなければ」
——
翌日、グレンヴァルト侯爵に付き添われ、アーヤとライゼルは王宮へと参内した。国王陛下への、精霊術の真実と長寿に関する公式な報告のためだ。
謁見の間で、アーヤは禁書庫での調査結果と、
四大精霊王たちの託宣を静かに語った。
星の迷い人が世界の淀みを浄化する清め手であること。そして、その巡礼には数百年という時間が必要であり、それが長寿の理由であること。
「……なるほど。そなたのその異能は、この大陸全体の安寧を保つための天命であったか」
国王は深く頷き、隣に控えるライゼルへと視線を移した。
「ライゼル・レイヴァーグ。副団長としてのそなたを一時的とはいえ欠くのは惜しいが、大精霊契約者の伴侶として試練に挑むというのであれば、それもまた国を守る一つの形」
国王は立ち上がり、ライゼルの肩に儀礼用の剣を置いた。
「よって、そなたに大精霊契約者・専属守護騎士の勅命を授ける。騎士団の籍を保持したまま、国の命を受けた者として、彼女を護り抜き、試練を越えて戻ってこい。……これは王としての願いでもある」
「謹んで拝命いたします、陛下」
公式に巡礼の旅が認められた瞬間だった。
これにより、二人の旅は、国の命運を左右する公的な使命として位置づけられた。ライゼルは副団長としての威信を保ったまま、騎士としてアーヤの傍らに立つ権利を得たのである。




