27.新たな生活
数日後、アーヤは別邸を離れ、王都の一等地にあるレイヴァーグ侯爵家の本邸へと移り住んだ。
高くそびえる白亜の外壁と、歴史を感じさせる重厚な門構え。本邸は、これまで滞在した別邸とは比べ物にならないほど広大で、アーヤはその圧倒的な威厳に気後れしそうになった。
しかし、その不安を打ち消すように、隣を歩くライゼルがそっと彼女の手を握り、引き寄せる。
「アーヤ。不安に思うことはありません。ここはあなたの家です。何かあれば、私を呼んでください。すぐに騎士団本部から駆けつけます」
ライゼルは常に寄り添い、他の使用人たちに彼女の地位の重要性を暗に示し続けた。
ライゼルの過剰なまでの過保護は、王都に来ても健在だった。
そして本邸には、別邸で世話をしてくれていたリーネが待っていた。 グレンヴァルト侯爵の計らいで、引き続きアーヤの専属侍女を務めることになったのだ。彼女は一足先に本邸に入り、主人の帰りを待つようにアーヤを迎えた。
「アーヤ様! 王都にお越しになられて、本当に嬉しく思います。本邸でもお世話させていただけて光栄です」
リーネは以前よりも少し凛々しい顔つきで微笑んだ。その眼差しには、アーヤへの純粋な好意だけでなく、数々の難事件を乗り越えた彼女を支え抜くという、侍女としての強い責任感が宿っていた。
「リーネさん、ありがとうございます。こちらこそ、これからも変わらずよろしくお願いしますね」
アーヤが安堵し、心を込めて微笑み返すと、リーネはあわてたように首を振った。
「アーヤ様、困ります! もう私に『さん』付けはダメですよ。今のアーヤ様は、侯爵家にとっても、そしてライゼル様にとっても、大切なお方なのですから」
「あ、ごめんなさい。つい、いつもの癖で」
知っている顔があるだけで、アーヤの緊張はふわりと解けていった。
——
ライゼルの案内で邸内を見て回っていると、長い廊下の向こうから、一人の男が歩いてきた。
ライゼルと同じ輝くような銀髪だが、より短く整えられ、軍人特有の鋭い威圧感を放つ男。これまで国境守備の最前線を任され、王都を離れていたレイヴァーグ家の嫡男、グレイグ・レイヴァーグだった。
「――あなたが、ライゼルを腑抜けにしたという星の迷い人か」
低く、地を這うような重厚な声。その場にいた使用人たちが一斉に姿勢を正し、空気が凍りつく。 ライゼルは即座にアーヤを背後に隠すように一歩前へ出ると、実の兄を射抜かんばかりの鋭い視線で睨み返した。
「兄上。アーヤを怖がらせるのはやめてください。彼女は私の、そしてこの国の恩人だ。例え兄上であっても、不躾な態度は許しません」
「分かっている。……話は父上から聞いた。やはり彼女のことになると、余裕がないな」
グレイグは、弟のこれまでに見たこともないほど必死で、執着に満ちた表情を見て、僅かに口角を上げた。それは皮肉というよりは、弟の変貌を面白がっているような、兄らしい不敵な笑みだった。
「初めまして、アーヤ殿。レイヴァーグ家を代表して歓迎しよう。出来損ないの弟が迷惑をかけていないか? もし手に余るようなら、いつでも私に言うがいい。兄として再教育してやる」
「あ、は、初めまして、アーヤ・ハシモトです。ライゼル様には、いつも助けていただいています」
アーヤが緊張しながらも丁寧に礼をすると、グレイグはふと目を細めた。彼の鋭い感性は、アーヤの周囲を浮遊する無数の精霊たちの気配――その澄み渡った輝きを、確かに捉えていた。
「……なるほど。精霊に愛されし者。その魂の在り方、普通の人間とは格が違うようだ」
グレイグは最後にもう一度、ライゼルに視線を戻した。
「ライゼル、彼女を二度と危険に晒すな。今度何かあれば、副団長の座だけでなく、彼女の守護役も私が取り上げるぞ。次はないと思え」
「言われるまでもありません」
不器用で、しかし絶対的な強さを感じさせる兄なりの歓迎を受け、アーヤの新しい生活が幕を開けた。 宿舎暮らしを辞めて本邸から登城すると決めたライゼルとの、より親密で、そして新たな謎に立ち向かうための日々が始まろうとしていた。




