24.奪われたアーヤ
窓のない離宮は、魔石の柔らかな光に照らされ、常に一定の温度と静寂が保たれていた。最高級の絹の寝具、読み切れないほどの魔導書、そしてライゼルが自ら運んでくる贅を尽くした食事。
それは、元の世界で事務員として忙しなく働いていたアーヤにとっては、夢のような生活のはずだった。
(……でも、この静寂が怖い。私はここで、ライゼル様が老いていくのを、ただ座って見届けるだけになるのかしら)
アーヤは、禁書庫で見つけた寿命の記述を思い出していた。人の三倍、300年近い時を生きる。それは、愛するライゼルを見送り、その後も200年以上、一人でこの世界を彷徨うことを意味している。
その時、幾重にも張られたはずの結界をあざ笑うように、室内の影が不自然に伸び、揺らめいた。
「……美しい籠の鳥だ。騎士団副団長殿も、これほど精緻な檻を用意するとは、なかなかの執着だな」
部屋の中央に、音もなく黒い仮面の男が現れた。
「……っ! 誰!? ここはライゼル様の結界が……!」
アーヤは咄嗟に精霊の図書館を展開しようとしたが、男が指を鳴らすと、室内の精霊たちが恐怖に震え、霧散してしまった。
「無駄だ。我らが奉る神の力の前では、精霊などただの家畜に過ぎん。……さて、星の迷い人よ。君にはこれから、この国の新しい神になってもらう。その不老の肉体は、魂を抜いて純粋な器にするのに最適だ」
男がゆっくりと歩み寄る。その手には、不気味な赤黒い光を放つ呪具が握られていた。
「やめて……来ないで!」
「叫んでも無駄だ。この部屋の防音結界は、ライゼル自身が『君の声を外に漏らさないため』に張ったものだろう? 皮肉なものだ。彼の愛が、君の逃げ場を奪ったのだから」
男の言葉が、アーヤの心に突き刺さる。ライゼルの守りたいという執念が、今、最悪の形で裏目に出ていた。
だが、その時。
ドォォォォォン!!
離宮の重厚な扉が、外側から凄まじい衝撃とともに爆破された。
「……私のアーヤに、その汚い手を伸ばすな」
舞い上がる土煙の中から現れたのは、正装を乱し、瞳を血走らせたライゼルだった。彼の纏う白銀の闘気は、怒りによって黒ずんだ輝きを放ち、周囲の空気を押し潰している。
「ほう……騎士団の英雄か。予想より早かったな。だが、遅すぎた。彼女の魂は、今、恐怖と孤独で肉体から浮き上がっている」
「アーヤ!……貴様……殺す。この世界のあらゆる苦痛を与えてから、跡形もなく消し去ってやる」
ライゼルの口から出たのは、高潔な騎士とは思えぬ、地獄の底から響くような呪詛だった。
ライゼルの剣が、黒幕の男に向けて閃く。しかし、男はアーヤのすぐ傍に立ち、彼女を盾にするように笑った。
「いいのか? 私を斬れば、この娘の魂も共に砕けるぞ。……見ろ、彼女の怯えた顔を。彼女を追い詰めたのは、他でもない、君のその異常な独占欲だ、ライゼル・レイヴァーグ!」
ライゼルの動きが、一瞬止まる。 その隙を突き、エルミーヌが手配した魔術師たちが、離宮の外から一斉に禁忌の呪術を唱え始めた。
「アーヤ……! アーヤ!!」
ライゼルが叫びながら手を伸ばすが、男が掲げた呪具が放つ闇に、アーヤの体が飲み込まれていく。
(ライゼル様……ごめんなさい。私、言わなきゃいけないことがあったのに……!)
アーヤの意識が遠のく中、彼女が見た最後の風景は、最愛の女性を奪われ、絶望に染まったライゼルの表情だった。




