22.王宮禁書庫
水脈を救った翌朝。王都には謎の特任教授と若き副団長が国を救った、という噂が瞬く間に広まっていた。しかし、その輝かしい功績は、敵対する者たちにとっては排除すべき理由を強めるだけだった。
水脈事件から数日。アーヤの日常は、以前にも増して多忙を極めていた。王立魔術学院特任教授として、彼女は水脈に仕掛けられていた古代魔道具の解析を進めていたのだ。
「……やはり、この術式。現代の魔術体系とは根本から異なっているわ」
アーヤは精霊の図書館を駆使し、目の前の結晶体の破片を解析する。そこには、ライゼルが用意してくれた豪華な研究室と、常に彼女を見守る騎士たちの姿があった。もちろん、ライゼル本人が公務の合間に頻繁に顔を出すのは言うまでもない。
「アーヤ。根を詰めすぎてはいけませんよ。……少し、休みましょう」
背後から伸びてきた逞しい腕が、アーヤの肩を優しく抱く。ライゼルの心地よい体温と、彼特有の清涼な香りがアーヤを包み込んだ。
「ライゼル様。でも、この魔道具の出所を突き止めないと、また同じことが起きるかもしれません」
「それは我々騎士団の仕事です。……陛下から、今回の報奨として、あなたに王宮禁書庫への立ち入り許可が降りました。これであなたの研究も進むはずだ。ですが、それはあなたが健康であってこそです」
ライゼルはアーヤの髪に愛おしそうに口づけ、労るように撫でた。
「禁書庫……! ありがとうございます。そこなら、私の寿命や精霊術のルーツについても、何かわかるかもしれません」
アーヤが期待に目を輝かせる一方で、王都の一角では闇が動いていた。薄暗い廃屋、エルミーヌ侯爵令嬢は一人の男と対面していた。
「……あの女の正体を洗え。どこで生まれ、どうやってライゼル様に取り入ったのか。魔力回路もない下賤な身で、大精霊契約者などと……国を救ったなんて……何か恐ろしい呪いを使っているに違いないわ」
エルミーヌの瞳は、嫉妬と憎悪で濁っていた。彼女はアーヤが、この世界の住人とは魂の在り方そのものが異なる存在だという真実に、あと一歩で辿り着こうとしていた。
「……精霊を直接使役する娘……。彼女だ。彼女こそ、我らが神を降ろすための完璧な器うつわになるだろう」
ボソボソと呟く男の口元には、獲物を追い詰めるような不気味な笑みが浮かんでいた。
新たな脅威が、アーヤに忍び寄ろうとしていた。
——
ライゼルに伴われ、アーヤは王宮の最深部にある禁書庫へと足を踏み入れた。そこは、数千年の時を経た魔導書や、禁忌とされた歴史が眠る、知識の墓場だった。
「アーヤ、ここにある書物は強力な魔力を帯びたものが多い。気分が悪くなったらすぐに言うのですよ」
ライゼルは、まるで幼子を連れ歩く父親のような過保護さでアーヤの腰を抱き寄せ、周囲を警戒している。アーヤは苦笑しながらも、目の前に広がる膨大な資料に胸を躍らせた。
(精霊の図書館、展開。私の長寿と、魔力回路の欠如に関する記述を探して!)
意識を集中させると、脳内に膨大な情報の奔流が流れ込む。そして、一冊の古びた古文書に反応があった。それは、漆黒の装丁が施されていた。
「……これだわ……」
アーヤが手に取ったのは、『星の迷い人に関する考察』と題された、数百年前に書かれた手記だった。そこには、稀にこの世界に現れる異界の民についての記述があった。
『彼らは精霊に愛され、世界の理を超えた知識を持つ。しかし、その魂はこの世界の輪廻から外れており、肉体は老化を忘れ、数百年の時を孤独に彷徨う運命にある――』
(やっぱり……。私の300年近い寿命は、この世界の精霊たちが私を異物として守り続けている結果なのね)
真実を目の当たりにし、アーヤの手が僅かに震える。自分がこの世界で、たった一人、置いていかれる存在であることを改めて突きつけられた気がした。
「アーヤ? 顔色が悪い。やはり、ここはあなたには……」
心配そうに顔を覗き込むライゼルに、アーヤは無理に微笑んで首を振った。
「いいえ、ライゼル様。少し……読み耽ってしまっただけです。それよりも、この記述を見てください」
アーヤが指し示したのは、手記の続きだった。
『星の迷い人が精霊との絆を深め、その輝きが極まった時、魂を分離することで、新たな器として神に召し上げられるだろう』
それを目にしたライゼルの顔から血の気が引いた。 先日の水脈浄化で見せた、あの神々しいまでのアーヤの輝き。あれこそが、彼女を器として完成させてしまったのだと悟ったからだ。
その時、禁書庫の重い扉が開き、グレンヴァルト侯爵が急ぎ足で入ってきた。
「ライゼル、アーヤ殿! 街で妙な噂が広まっている。……アーヤ殿が、魔力を持たぬ暗黒の魔女であり、この国に災厄をもたらす存在だという中傷だ」
ライゼルの顔色が、一瞬で修羅のそれへと変わった。
「誰がそんなでたらめを……! 私がその舌を引き抜いてやる!」
「落ち着け、ライゼル。……出所は、エルミーヌ侯爵令嬢の周辺のようだ。彼女は、アーヤ殿が保護された始原の森周辺を調べ上げ、彼女には過去も戸籍も、この国のどこの家系とも繋がりがないことを突き止めたらしい。それを得体の知れない存在として煽っているのだ」
エルミーヌの嫉妬が、ついに民衆を巻き込む事態を引き起こしていた。アーヤが王家公認という立場であっても、異物への恐怖は民衆の間で容易に燃え上がる。アーヤは国を救った恩人から一転して、災厄を招く異物として語られ始めていた。
さらには、エルミーヌに情報を流した黒幕が、アーヤを神の器として拉致する機会を虎視眈々と狙っていた。




