20.月下のバルコニーと水脈の異変
騒がしい大広間を離れ、冷たい夜風が吹き抜けるバルコニーへと出ると、ライゼルはようやくアーヤを抱きしめた。広間から漏れ聞こえる音楽が、遠く微かに響いている。
「……申し訳ない。私のせいで、不快な思いをさせた」
ライゼルの声は、先ほどの冷徹なものとは打って変わって、後悔と苦悶に満ちていた。アーヤを隠しておきたいという彼の本能が、社交界の悪意に晒された彼女を見て、激しく疼いているようだった。
アーヤは彼の胸に顔を埋め、クスクスと小さく笑った。
「いいえ、ライゼル様。彼女の言う通り、私は見た目が若すぎますから。でも、あんな風にムキになって守ってくださるライゼル様を見られて、少し嬉しかったですよ。それに……エルミーヌ様の驚いた顔、少しだけ爽快でした」
「アーヤ……。あなたはいつもそうだ。強くて、賢くて、そして恐ろしいほどに落ち着いている。……ですが、やはり嫌だ。あのような毒気に、あなたを晒したくない」
ライゼルは腕の力を強め、アーヤをふたたび抱きしめる。
「次のダンスの曲が始まったら、広間に戻りましょう。そして、私以外の男があなたを見ることさえ躊躇うほど、私があなたを独り占めします。いいですね?」
ライゼルの瞳には、一人の男としての激しくも甘い独占欲が渦巻いていた。アーヤはその熱い視線に、元の世界では決して味わえなかった愛されている実感を感じ、頬を赤らめた。
次の音楽が始まり、舞踏会が最高潮に達しようとしていたその時、バルコニーの扉を急ぎ叩く音がした。現れたのは、ライゼルの部下である騎士団の伝令だった。
「副団長殿! 陛下より至急の召集命令です。それから……アーヤ殿にも、同行をとのことです!」
ライゼルの表情が、瞬時に騎士団副団長のそれへと変わった。
「舞踏会の最中に召集だと? 何が起きた」
「王都の地下を流れる魔力水脈に異常が発生しました! 水位が急激に低下し、王城や学院の防御結界が弱り始めています。魔術師団が総出で調査していますが、原因が特定できません!」
魔力水脈は、この国の魔法文明を支える生命線だ。それが枯渇こかつすれば、王都は防御を失い、市民の生活魔法さえ止まってしまう。
「アーヤ、行きましょう。これはあなたの精霊術の力を借りることになるかもしれない。」
「はい、ライゼル様。お任せください」
二人は華やかな舞踏会を後にし、夜の王都を馬車で駆け抜けた。向かった先は、王城から少し離れた街のはずれ、地下深くにある水脈の管理室だった。
そこには、疲弊した表情の魔術師たちと、厳しい顔をした国王、そしてグレンヴァルト侯爵の姿があった。
「陛下、参りました」
「おお、ライゼル、そしてアーヤ殿。待っていた。……見ての通りだ。魔力水脈が何者かに阻害されている。魔術師たちの感知魔法では、その何かに弾かれてしまうのだ」
アーヤは、管理室の中央に流れる、本来は青く輝くはずの水脈が、どす黒く淀んでいるのを目にした。
(精霊の図書館、展開。水脈の構造と、精霊の声を拾って!)
アーヤが目を閉じ、水脈にそっと手をかざすと、彼女の頭の中に悲痛な叫びが響き渡った。
『苦しい……冷たい……何かが、わたしたちを食べているの……!』
それは、水脈を守る水の精霊たちの悲鳴だった。
「陛下、これは魔力の枯渇だけでは済まないかもしれません。水脈の深層部に、魔力を吸収して成長する寄生型の古代魔道具が仕掛けられています。それも、通常の魔法では感知できない、古代の隠蔽術が施されています」
魔術師たちがざわめいた。「そんなものが、一体いつの間に……」
「アーヤ、特定できるか?」
ライゼルの問いに、アーヤは力強く頷いた。
「はい。私の精霊術で、その寄生体の吸収をとめてみます。その後、ライゼル様が物理的、あるいは魔力的な一撃で破壊してください。精霊たちが、その道標になってくれるはずです」
アーヤの、大精霊契約者としての真価が、今まさに試されようとしていた。




