表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/15

08.夜会の招待状と、灰色の石

 春の陽が差す午後、陽の間にはあたたかな光と、干した布の香りが満ちていた。

 パメラは小さな籠の中からレースの端切れを取り出し、どのカーテンに縫い足すか思案していたところだった。


 扉の向こうから、聞き慣れた足音が近づいてくる。

 重たく、ぶっきらぼうだけれど、乱れはない。

 その音を聞くだけで、パメラは自然と顔を上げる。


 ──レオだった。


「……手紙が届いた。王都からの使いだ」


 扉が開き、彼が現れる。手には、濃紺の封蝋で封じられた厚手の封筒。

 そこには、ヴェステリア公爵家の紋章が刻まれていた。


「まあ……公爵家から?」


 パメラが受け取ろうと手を伸ばすと、レオはほんの一瞬だけ封筒を見下ろし、少しばかり面倒そうに肩をすくめた。


「……夜会の招待状だ。“夫婦で出席せよ”ってな」


「夫婦で……」


 パメラは思わず声を漏らす。

 レオは無造作に椅子へ腰かけ、封筒をテーブルに置く。


「顔見せだ。世話になった以上、公爵の顔も立てねぇとな。この屋敷だって、融通してくれたのは公爵だ」


「……なるほど。つまり、アッシュグレイヴ家の“新しい奥方”として、お披露目されるわけですのね」


「そういうこった」


 パメラは封筒にそっと指を這わせながら、小さく首をかしげた。


「でも……このままでは、お見苦しい姿で伺うことになりますわ」


「わかってる」


 レオは少しだけ言葉を重ねるように、低く答える。


「ドレスを……仕立ててやる。それに、宝石も必要だろ」


「……!」


 驚きと喜びが、声になる前に微笑みに変わる。


「では、選びに……?」


「ああ、付き合う。……勝手に選ばれても困る」


「ふふっ。かしこまりましたわ、“旦那さま”」


 いたずらめいた笑みと共にそう言うと、レオはふいっと視線を逸らす。


「……はしゃぐな。これは社交だ。仕事だ」


「わかっております。でも、せっかくですもの。お買い物なんて──まるで、デートですわね」


「は? ちげぇよ」


「でも、ふたりきりで馬車に揺られて、お洋服を選びに行くなんて──立派な“デート”ではありませんの?」


 にこにこと笑うパメラを見下ろしながら、レオは諦めたように頭を振る。


「……支度しとけ。明日、街へ出る」


「はい、レオさま」


 嬉しそうに微笑むパメラの声は、そよぐ風のように軽やかだった。

 だが、その目の奥には、“社交”という名の戦場を前にした者の静けさが宿っていた。



*★*――――*★*



 馬車のなかは、木々のざわめきと車輪の揺れに包まれていた。

 パメラは膝の上に小さな布包みを広げ、そっと中身を取り出した。


「……これも、持って行こうと思いまして」


 布の中にあったのは、掌にすっぽり収まる灰色の石だった。

 平たく磨かれた表面には、かすれた線で小さな霊獣らしき姿が彫られている。


 翼があったのか、耳だったのか、判然としない。形は歪で、どこか幼さを感じさせる彫りだった。

 けれど、その不器用な線のひとつひとつが、パメラの指先に馴染んでいた。


「願い石ですの。昔、ある場所で出会った方と……ほんのひととき、一緒に作ったんです」


 レオはちらりと石を見下ろしたが、何も言わなかった。

 パメラは石を裏返し、もう一方の面をそっと撫でた。


 裏には、ぎこちない手つきで刻まれた、四足の獣の姿。

 牙を剥いているのか、笑っているのか、判別のつかないその線は、けれど確かに“何かを守ろうとするもの”のように見えた。


「少し拙い彫りですが……でも、どちらも懸命に彫ったものなんですのよ」


 パメラは照れくさそうに笑う。


「こうして、何か大事な場所へ向かうときは、持っていると安心するんですわ。お守り、というか……そういうものですの」


「……どこで作ったんだ、それ」


「静養先で。……貴族の子どもたちが集まる、名乗りを禁じられた場所でしたの。名前も家も伏せるのがルールで。だから、お相手のことも、何も知らなくて……」


「名前も?」


「ええ。聞きたかったけれど──聞きませんでした」


 ほんの一瞬、パメラの指が石を強く握る。


「ルールだからと、聞けなかったんです。……けれど、あとでとても後悔して。だから今は、やらずに後悔するくらいなら、やってしまえばいいって、思うようにしているんですの」


 そうしてもう一度、石を布に包み直す。

 稚拙な彫りが、柔らかな布地のなかにそっと隠されていった。


 レオは、その様子を横目に黙っていた。


(……どこかで、見たことがあるような……)


 頭の奥に、くすんだ記憶が手を伸ばしてくる。けれど、まだ形にはならない。

 気にすることではないだろうと、レオは思いを打ち消す。


「支度は、できてるんだろうな」


「もちろんですわ。今日は“お仕事の買い物”ですものね」


「……ああ」


「でも、楽しみですのよ。だって、レオさまとお出かけですもの」


「……ちげぇ。仕事だって言ってんだろ」


「“仕事のデート”ってことですわね」


 くすりと笑うパメラの声音が、春の風のように馬車のなかを通り抜けていく。

 レオは小さく舌打ちしながらも、それ以上否定はしなかった。


 石畳の揺れに、車輪が軽く跳ねた。

 窓の外には、人通りの多い商人通りが見え始めている。


 パメラは、あの灰色の石を再び膝の上で撫でていた。

 小さな掌にすっぽり収まる石。その彫り跡は、幼いながらも懸命に刻んだ──そんな形をしていた。


(……あのときの、石……)


 記憶の底に沈んでいた光景が、泡のように浮かび上がる。


 名乗りが許されない場所。風に揺れる白い帳と、遠くに聞こえた鐘の音。幼い少女の笑い声。慣れない手つきで彫った護獣の背に、小さな手が添えられた感触。


(まさか……)


 思わず視線を落とした先で、パメラがふとこちらを見上げる。


「……どうかなさいました?」


「いや。……なんでもない」


 レオはわずかに目を伏せる。


(……そんな都合よく、いくわけがねぇ)


 自分にそう言い聞かせながらも、胸の奥にひとつ、名も知らぬ記憶の灯がともりかけていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ