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25.扉の向こうに咲く、銀の薔薇

 北棟の西端は、屋敷の中でもとりわけ人通りのない一角だった。


 古びた床材は歩くたびに軋み、壁を構成する灰色の石材は重厚で、冷えた空気を纏っている。薄く積もった埃が、ここに誰の足も届いていないことを物語っていた。


「……このあたりだろ。夫人が言ってた“使われていない扉”ってのは」


 先を歩いていたレオが立ち止まり、壁に手を当てた。一見、他となんら変わらぬ石積みの壁。だが、よく見ると、ひとつだけわずかに縁の目地が深い石がある。


「ここだな。石の継ぎ目が妙に均等すぎる。加工されてる」


 レオが拳で軽く叩くと、ゴン、と鈍い反響音が返ってきた。他の壁より空洞があるようだ。


「試してみるか」


 そう言ってレオが継ぎ目の中心をぐっと押し込むと、カチリと乾いた音がして、石壁の一部がわずかに沈んだ。続けて手をかけると、その一角がゆっくりと横にずれていく。


「──通路か」


 薄暗い石の回廊が、音もなく現れた。風の通り道になっていたのか、古い空気がすっと押し出される。


 ふたりは慎重にその通路へと踏み込んだ。ほんの数歩先、今度は重厚な扉が行く手を塞いでいた。


 鉄製の錠前には、すでに無理やりこじ開けられた形跡が残っている。


「……誰かが先に来てたな」


 鉄扉を押し開けると、重い金属音とともに、中から冷たい空気がふわりと漏れ出した。

 そこは、ひとつの密室だった。 


 外壁に面していないせいか湿り気が強く、閉ざされた空間に長く封じられていた匂いが鼻をつく。壁は石材、床には簡素な敷板が敷かれ、部屋の隅には帳簿や巻物が納められていたであろう棚が、いくつか並んでいる。


 だが、そのどれもが荒らされていた。


 棚は一部倒れかけており、積まれていた紙束は床に散乱し、書きかけの書簡や帳面は、途中で破られたような痕跡を残している。引き出しの中は空で、封蝋の割れた封筒が、いくつか無造作に投げ出されていた。


「……徹底的にやられてるな」


 レオが目を細めて周囲を見渡す。


「俺に渡る前に、何が残ってるか全部、調べさせたんだろう。ヴェステリア公爵がな」


 声には静かな怒りが滲んでいた。


「せっかくの……手がかりだったのに」


 パメラもまた、崩れかけた棚の前にしゃがみこみ、落ちていた一枚の紙片を拾い上げた。


 焼け焦げのような痕跡。斜線が引かれたように塗り潰された数行の文章。そして、その下に、小さく記された日付と名前の走り書き。


「これは……七年前の、ある夜会の記録?」


 パメラの指が止まった。


「銀薔薇の夕宴……?」


 その名前に、レオがふと眉を寄せた。


「その名、存じ上げませんわ」


 小さく呟いたパメラに、レオがふっと鼻を鳴らす。


「ま、普通の貴族の娘は知らなくても不思議じゃねぇな。あれは新貴族派が主催してる夜会だ。表向きは旧貴族との共存共栄って建前つきだが、実際は──使えると見なされた奴だけが呼ばれる」


 パメラの瞳がわずかに見開かれる。


「使える……?」


 「ああ。成り上がりでも、戦果や能力で名を上げた者。旧貴族派でも鞍替えした奴、もしくは表向きだけ旧貴族の顔をしてる連中。そういうのを招いて、囲い込む。あの宴は、そういう場所だ」


 レオの声には、冷ややかな響きがあった。


「……その名前の隣に、カーソン男爵って書いてあるな」


 パメラが紙片を見つめながら言うと、レオは目を細める。


「──カーソン男爵も、出てたのか」


 レオの言葉は低く落ちる。


「この屋敷がもともとカーソン男爵の持ち物だったのは、最初から聞いてた。けど……カーソン男爵があの宴に出てたってのは、知らなかった。たぶん──マルトン夫人が話してた、“新貴族派に顔を出しはじめた”ってのは、このことだったんだろう」


「表向きには鞍替えしていたように見せかけて、実際には……何かを探っていた?」


 パメラの声は静かだった。

 レオはそっと頷く。


「気づかれたんだろうな。何を探ってたかまでは分からねぇが……使えると思われた手駒が、実は牙を研いでた。──始末されるには、十分な理由だ」


 パメラは紙片をそっと畳み、胸元に抱いた。


(あの日、アシュフォード侯爵家が葬られた春を、きっとカーソン家も──)


 胸に静かな痛みが滲んだ。


「この家が“信じるに足る者の手に渡ることを”と……カーソン夫人は、そう書き残していらした。あの方はきっと、何かを託そうとしていたのですわ」


「……なら、俺たちが続きを拾うしかねぇな」


 レオは棚に背を預け、深く息を吐く。


「俺が爵位をもらって間もない頃、“銀薔薇の夕宴”の招待状が届いた。ヴェステリア公爵からだった。“顔を出せ”ってよ」


「……でも、少し前にわたくしたちも夜会に出席しましたわよね? あれは、その銀薔薇の夕宴ではないのですか?」


 パメラの問いに、レオは首を横に振った。


「あれは、ただの通常の夜会だ。顔見せと周囲の反応を測る場にすぎねぇ。銀薔薇の夕宴は別物だよ」


「……別物?」


「ああ。一年に一度しか開かれねぇ、特別な宴だ。そうやってもったいぶることで、権威付けしてるんだろうよ」


 レオの瞳がわずかに細められた。


「爵位を得たあと、ヴェステリア公爵の庇護下ってことで、あいつらにとっちゃ俺は新貴族派の若手有望株。戦で名も上げてたしな。……使える手駒として試すには、十分な材料が揃ってた」


「それで、銀薔薇の夕宴に?」


「ああ。見極めるつもりだったんだろうな。だが、俺は“独り身では気後れする”って理由で出席を見送った。そしたら、“では妻を迎えたらいい”って流れになってな」


 レオは無表情のまま言葉を続けた。


「俺はすぐに答えた。“ラングリー家の娘を娶りたい”とな」


 パメラは短く息をのんだが、顔色ひとつ変えずに微笑を浮かべた。


「……おあつらえ向き、だったのですね。旧貴族の家名を持つ娘を迎えた新爵位の男。共存共栄という看板に、ぴたりと嵌まる」


「そういうこった。あいつらにとっちゃ、俺は使える手駒として受け入れる理由が整ったわけだ」


 レオの瞳が鋭く細められる。


「それに──少し前の夜会で、お前の夫人としての器も知れ渡った。振る舞いも評判も、申し分ねぇ。あいつらは、もう十分だと判断してるはずだ」


 その声は低く、静かだったが、確かな確信がこもっていた。


「だからこそ、あの宴に行く。奴らの手のひらの上に乗るふりをして、内側を暴く」


「ええ。……仮面をかぶるのは、慣れておりますの」


 パメラが微笑むその目に、穏やかな熱が宿っていた。


「──近いうちに、銀薔薇の夕宴の招待状が届くさ。あいつらは、もうその気でいる」

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