22.共に立つために
「……奇遇ですわね。実は、わたくしも復讐したい相手がおりますの。そして、どうやらレオさまと同じ相手のようですわ」
静かに告げられたその言葉が、馬車の中に落ちた。
レオはすぐには何も言えず、唇を引き結ぶ。
仇の娘を娶った──ずっとそう思っていた。
ラングリー家が密告に関わっていたことは、事実として動かない。
だから、自分は復讐のためにその娘を妻にした。それが当然の報いだと、疑いなく信じていた。
だが。
あの屋敷で聞いた会話が、頭から離れない。
パメラは、何も知らなかった。
それどころか、両親すら叔父に始末されていたらしい。
たとえ黒幕が別にいたとしても──あの叔父に、確かな罪があることは間違いない。
パメラはラングリー家の娘だ。
けれど、本当に罪を犯したのは彼女ではない。
何も知らない無力な子どもだった。それどころか、密告で得た利益を享受できたとも思えない。
そのような相手に、一族としての責任を負わせてよいのか。
父と母を奪われ、何も知らぬままに冷遇されてきた娘に、「お前の家が仇だ」と言えるのか。
……違う。
レオは目を伏せ、そっとパメラの手に目をやる。
あたたかく、細く、けれど意志の強いその手。
自分は、こんな手を、ただの“復讐の道具”にしようとしていたのか。
もう、違う。
違ってしまった。
「……それでも、言ってはくださいませんのね」
ぽつりと落ちたパメラの声に、レオははっと顔を上げる。
彼女は微笑んでいた。穏やかに、すべてを見透かすような目で。
「“一緒に復讐しよう”──そうおっしゃりたいのに、ためらっていらっしゃるのでしょう?」
レオは何も言えず、唇を引き結ぶ。
見透かされている、とわかっていた。
だが、それでも言えなかった。
利用するつもりで妻に迎えた過去を思えば、今さら並んで立ちたいなどと言える資格があるのか。
それが、胸の奥に引っかかっていた。
「気にしておられるのですよね。わたくしを“利用するために娶った”ことを」
レオは目を伏せ、小さく息を吐く。
「……そうだ。だから……」
だが、その先の言葉を紡ぐ前に、パメラがそっと手を握り返した。
「わたくし、恨んではおりませんわ」
パメラは静かに続ける。
「むしろ、レオさまのおかげで、思ったより早く動くことができました。お屋敷も、環境も、全部“使わせていただいた”とさえ思っておりますの」
レオが驚いたように目を見開く。
「ですから、遠慮なさらずに」
パメラはまっすぐに彼を見つめ、笑みを浮かべた。
「今からでも遅くはありませんわ。ご一緒に、“復讐”をいたしましょう」
レオはその言葉を受け止めるように、じっと彼女を見つめ返した。
そして、ようやく、わずかに笑う。
「……強いな、お前は」
「……あら、わたくしはか弱い乙女ですわ。大切にしていただかないと」
パメラは涼しげに笑いながら、まっすぐにレオを見つめた。
その瞳の奥に宿る光は、覚悟そのものであった。
「……じゃあ、しっかり守らねえとな」
二人のあいだに、静かな風が吹いたような沈黙が落ちる。
けれど、それは不安でも躊躇でもなく、確かな信頼に裏打ちされた“間”だった。
*★*――――*★*
馬車がゆるやかに止まり、朝の涼しい空気が車内に差し込んだ。
扉の外には、まだ完全に昇りきらぬ朝日と、屋敷の門を開けたまま待つ数人の使用人たちの姿があった。
その先頭に立っていたのは、侍女のリリィだった。
目を潤ませながら、けれど姿勢は崩さず、何度もこちらを確かめるように瞬きをしている。
レオが無言で扉を開け、外へと降り立つ。
そして、振り返って手を差し伸べた。
「……足下、気をつけろ」
その声に、パメラはふっと微笑み、差し出された手を取る。
レオに導かれるようにして、静かに馬車を降りた。
地面を踏んだ瞬間、夜明け前の冷気が足元を包んだが、心は不思議と温かかった。
リリィが駆け寄ろうとするのを、パメラはそっと手で制した。
「ごめんなさい。ご心配をおかけしましたわね。でも、もう大丈夫ですの」
その声に、リリィはこくんと頷き、涙をこらえるように目元をぬぐった。
他の使用人たちも安堵したように小さく息をつき、深く頭を下げる。
見上げれば、屋敷の窓が朝の光を淡く反射していた。
夜が明ける。
ここは、戻ってくるべき場所だったのだと、胸の奥で静かに実感する。
「レオさま。ご一緒に、戻りましょう」
そう言った直後だった。ふっと、視界が傾く。
パメラが何か言うより早く、レオの腕が彼女の背と膝裏をすくっていた。
「レ、レオさま……?」
戸惑いの声に、レオは短く応じる。
「……力、抜けてんぞ」
たしかに、気づかぬうちに足下から力が抜けていた。
緊張がほどけた途端、身体が言うことをきかなくなる──そんな瞬間だった。
「歩けますわ……ちゃんと、自分で……」
そう言いながらも、パメラの声は思いのほか弱々しい。
レオは答えず、ただ腕の力を少しだけ強めた。
「……大切にしてやらねえとな」
レオが口の端を上げたその瞬間、パメラの心臓が小さく跳ねた。
「……い、いきなり何を……っ」
言葉にならない声が喉に引っかかる。
顔に熱が集まるのを感じ、思わずレオの胸元に顔を埋めた。
「レオさま、こ、これは、あまりにも……っ」
小さく抗議の声を上げるも、レオはわずかに笑いながら歩を進める。
「文句なら、ちゃんと立てるようになってから言え」
からかうような声色に、パメラはさらに頬を赤らめる。
けれど、レオの胸のぬくもりと、確かな腕の力に、心はじんわりと安らいでいく。
レオはパメラを抱き上げたまま、玄関ホールを抜けて階段を上る。
すれ違う使用人たちが目を丸くしているのが、視界の端にちらついた。
やがて、扉が静かに開かれ、寝室へと運び込まれる。
初夏の風がカーテンを揺らし、朝の光がやわらかく差し込んでいた。
レオは何も言わず、ベッドに近づくと、まるで宝物でも扱うようにそっとパメラを下ろした。
「ちゃんと休め。……安心した途端に倒れるのが、一番厄介だ」
言葉とは裏腹に、レオの声はひどく穏やかだった。
パメラは薄く笑い、枕に頬をあずける。
「……レオさまのお言葉、素直に従っておきますわ」
そのまままぶたを閉じれば、ほどなくして意識がゆるやかに遠のいていった。