表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/41

18.問いの罠、答えの代償

 紅茶に口をつけるふりをして、カップを軽く傾ける。

 湯気の向こうに見える叔父の表情は、どこまでも油断に満ちていた。


「して、どうだね。男爵家での暮らしは。やはり傭兵あがりでは、粗野なところも多いか? ああ、もちろん、ご立派なお方なのだろうが……なんというか、こう、貴族としての気品というのは、やはり──ねえ?」


 笑いながらも、下に見ていることを隠そうともしない声音。

 パメラは微笑を崩さずにいたが、胸の内では静かに温度が下がっていく。


「とてもよくしていただいておりますわ。……わたくしなどにはもったいないほどに」


「おやおや、それは結構なことだ」


 口先だけの応対。だが、叔父の目が一瞬だけ細くなる。

 パメラの言葉を額面通りに受け取っていない証だった。


「まあ、とはいえ──何でも気兼ねなく話せるご夫婦というのも、そうそうあるまい。……今回のようなことは特に、な」


 にやにやとした笑みの奥に、探るような色が滲む。


「それで……ご主人には、本当に何も仰らずに?」


「はい。あまりにお恥ずかしくて、主人には切り出せませんでしたの」


 わずかに俯き、目を伏せる仕草。

 気弱な娘を装った声音に、叔父の口元がほころぶ。


「そうかそうか……そうだろうとも。まさか自分の実家が、娘に金の無心をするなどとは、な……。いやいや、無理もない、無理もない。なに、わしは気にせんよ。お前が顔を見せてくれただけで十分だ。やはりなあ、血のつながりというのは、何にも代えがたいものだ」


「ふふ。そう思っていただけて、嬉しゅうございます」


 話は、わざと本筋を外すように、穏やかに、だが着実に進められていた。

 パメラは変わらぬ笑顔の奥で、確実に罠を張り巡らせていく。

 紅茶の湯気を目元に感じながら、パメラはふわりと微笑んだ。


「そういえば──」


 何気ない独り言のように切り出した声には、柔らかな抑揚があった。だがその瞳は、細やかな観察を怠らない。


「お父さまとお母さまが亡くなった春のこと、あまりよく覚えていないのです」


 テーブル越しに座る叔父の手が、かすかに止まる。


「ほら、あの春は、いろいろと騒がしかったでしょう? あちらこちらで人の入れ替わりがあって、召使も馬車も、すっかり新しくなって……」


 カップを手に取る仕草も優雅そのもの。だが紅茶には口をつけず、言葉だけをそっと置く。


「まるで、あらかじめすべて整えられていたように、すらすらと」


「そ、そうか……? いや、偶然だよ、偶然」


 叔父が笑いながら応じるも、その目は落ち着きを欠いていた。


「偶然。そうですわね」


 パメラは優しく頷く。


「……でも、偶然にしては、あまりに出来すぎていた気がして。ときどき、夢に見るのです。──あの春のこと」


 叔父は、明らかに居心地悪そうに体を揺らした。


「ちょうどその頃でしたわね、アシュフォード侯爵家の件も」


「っ……」


 言葉を継ぐ前に、叔父の唇がぴくりと動く。


「名門でいらしたのに、突然“反逆”の罪で粛清されるなんて。あれも、誰かが詳しい情報を差し出したからこそと聞きました」


 紅茶を揺らす音が、静かに部屋に響く。


「おそらく、かなり近しい立場にいた方ではありませんと、あれほど正確な密告は難しいでしょうね。……ねえ、おじさま?」


 そう言って、あどけないような笑みを向けた。

 その瞬間、叔父の手がびくりと震えた。


「……ち、違う、わしは……ただ、あのときは、言われた通りにしただけで……っ」


 パメラの瞳が、かすかに見開かれる。


「──あら。どなたに?」


 問いは、ごく自然に紡がれた。だが、その一語で、空気が張り詰める。


 叔父ははっとして、口を噤んだ。

 顔が青ざめ、冷や汗がこめかみをつたう。


「……おまえ……最初から……」


 呻くような声だった。


 だがパメラは何も責めることなく、あくまで笑みを崩さない。


「わたくし、ただ知りたかっただけですの。あの春、何があったのか。──それだけ」


 紅茶を手に取る。けれど、またしても口はつけなかった。

 パメラが静かに視線を落とした、そのときだった。


「……せっかくだ、泊まっていけ。久しぶりに家族水入らずで話そうじゃないか」


 叔父の声には、不自然なほどの親しげな響きがあった。

 パメラは一瞬だけまつげを伏せ、それから、にこりと微笑みを浮かべる。


「……まあ。よろしゅうございますの?」


「もちろんだとも!」


 叔父は妙に大仰に頷き、すぐさま使用人を呼びつけて何やら指示を飛ばし始めた。

 ──まるで、自ら引き止めることで、自分の立場を保とうとするかのように。


(……本音は、わたくしをこの屋敷に留めておきたいのでしょう)


 パメラは表面上、従順な微笑をたたえたまま、内心で静かに息を吐いた。


 ──これでよかった。

 この手で確かめた。彼の口から引き出した、真実の一端。

 あとは、しかるべきときに、しかるべき人に届けばいい。


(……レオさま。どうか、お気づきになって)


 窓の向こう、初夏の陽が落ちかけていた。

 けれど、その光よりも、パメラの微笑は静かに、そして確かに、強く灯っていた。




 応接間を後にすると、叔父はしきりに使用人へ指示を飛ばしていた。

 急ごしらえの客間を整えさせるためらしいが、その声音には、どこか上ずった焦りが滲んでいる。

 必死に歓迎の体裁を整えようとしているのが、かえって不自然だった。


(……今さら取り繕っても、遅うございますのに)


 パメラは微笑を崩さず、静かに歩を進めた。


「食事は控えめでいい。湯も、ぬるめで構わん。……いや、あえて粗末にする必要はないが……その、気を回しすぎるのもどうかと思ってな……」


 その言葉の端々に、パメラはひそやかに眉をひそめた。

 それは“もてなし”というにはあまりに不自然で、時間を稼ぎたい者の姿に思えたからだ。


(……やはり、わたくしを泊めること自体、予定にはなかったのでしょうね)


 客間に通されると、簡素ながらも清潔に整えられていた。

 だが、窓には格子のような飾り、扉には内側から開けるにはやや重すぎる古びた錠。

 見た目を整えてはいるものの、閉じ込めることも可能な造りだと、パメラはすぐに気づいた。


 侍女が湯を運び入れ、寝具を整える間も、パメラは終始穏やかな微笑を崩さなかった。

 だがその胸の奥では、鋭い緊張がわずかずつ積もっていく。


(……すぐに毒を盛るような真似はなさらないでしょう。でも、叔父さまは迷っておいでです)


 あの応接間でのやり取り。

 アシュフォード侯爵家、そして“粛清”の年に言及したときの叔父の反応。

 あの男は、間違いなく何かを知っていた──そして、うっかり口にしたことに、あとから気づいて狼狽した。


 今、彼のなかで保留されている。

 自分はただ金を引き出すための娘なのか、それとも──もっと厄介な存在か。


(わたくしが“主人には何も告げずに来た”と信じているうちは、まだ利用価値を残してくださる。けれど……)


 このままでは、いずれ“処分すべき存在”になるだろう。

 そうなる前に、パメラには確かめたいことがあった。


(──きっと、叔父さまは誰かに指示を仰ぐはず)


 あの動揺のしかたは、知らなかった者のものではなかった。

 自分の立場だけでは判断をつけかねている──だから、上にいる誰かに判断を仰ごうとするだろう。


(その“誰か”こそが、アシュフォード侯爵家を陥れた黒幕に通じているはずですわ)


 すべてを暴くには、まだ材料が足りない。

 だが、それを掴む機会が、この一夜に訪れるかもしれない。


 寝具に身を横たえるふりをしながら、パメラはそっと天井を見上げた。

 重く沈む天蓋の布が、まるで天を覆う帳のように感じられた。


(わたくしは“黙って来た従順な娘”──それが、唯一の盾です)


 今はまだ動かず、ただ見極める。

 叔父がどこへ、誰に、助言を求めに行くのか──。

 それがすべての鍵になると、パメラは確信していた。


 夜の帳が、静かに屋敷を包んでいく。

 その静けさは、やがて訪れる嵐の気配を孕んでいた。


 扉の向こうで、誰かの足音がかすかに止まる気配がした。

 ──この屋敷で、何かが動き出そうとしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ