表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/41

16.崩せない日常、壊したくない願い

 書斎の窓を開け放つと、昼の余韻を残した風が、帳のようにカーテンを揺らした。

 レオは椅子に深く身を預け、無言のまま天井を仰ぐ。


 ──パメラは、何も聞いてこなかった。


 屋敷でのやり取り、紅茶を挟んで交わした言葉。あれはただの世間話ではない。

 彼女は察している。いや──きっと、とっくに気づいている。


(あの敏い女が、気づかないはずがない)


 それはあの夜会のときにも、はっきりと感じた。

 アシュフォード侯爵家の粛清に話が及び、ある男が、わざとらしく次男レオポルドの噂を持ち出したとき──。

 パメラは、絶妙な切り返しで場を収めた。


 根も葉もない噂。成り上がりの足を引っ張ろうとする、ただの嫌味。

 だがその中に、紛れもなく真実があったことを──彼女は見抜いていた。


 けれど、何も問わなかった。

 噂を否定も肯定もせず、ただ微笑の裏で自分の正体を、気配ごと隠してくれただけだ。


(……どういうつもりだ)


 苛立ちにも似た感情が、胸の奥でわずかに泡立った。

 それは、彼女の沈黙に対する怒りではない。

 むしろ──戸惑い。揺らぎ。

 言葉ひとつで崩れてしまう均衡を、あえて守ろうとする姿勢に、心がかき乱される。


(この結婚は、復讐のためだったはずだ)


 アシュフォード侯爵家。

 王にも忠義を尽くしてきた家は、ある春の日、突然“反逆”の罪を着せられ、一族ごと粛清された。

 裏には密告があり、その中心にラングリー家がいた──そう信じている。


 だからこそ、ラングリー家の娘を娶った。

 奪われた誇りを、その娘に負わせることで償わせるため。

 支配し、従わせ、手の中で思い通りに操ることで、あの一族を静かに潰していくつもりだった。


 ──けれど、どうしてだろう。


 思い返すのは、ある日の記憶。

 新調したドレスを身に纏い、くるりと回って見せた彼女の姿。

 刺繍とビーズが光を受けてきらめき、香水がほのかに香るその瞬間。

 彼女は、初めて“素の笑顔”を見せた。


 作り物でも、仮面でもない。

 まるで──ただの娘として、夫に褒められて喜んだだけの、あたたかくて無垢な笑顔。


(……あれが、まずかった)


 あれを見て、何かが狂い始めた。

 ただの復讐の道具だったはずの女に、情が生まれてしまった。

 いや、情などと軽く言えるものではない。


(……あんな顔を、俺の前で見せるんじゃない)


 そう思っても、脳裏に焼きついたあの笑顔が、どうしても消えてくれない。


 彼女が笑うたび、胸が軋む。

 傷ついていないふりをするたび、罪が積もる。

 やがてそのうち、こんな想いがよぎる。


 ──いっそ、過去も復讐もすべて投げ捨てて、彼女と本当の夫婦として、生きていけたなら──と。


「……馬鹿か、俺は」


 レオは顔を覆い、浅く息を吐いた。


 そんな資格はない。

 この名を名乗ることも、誰かを幸せにすることも、とっくに許されていない。


(それでも、あの温もりに、手を伸ばしてしまう自分がいる)


 たったひとりの女が、何も問わず寄り添ってくれた。

 あの夜。

 背を向けた自分のそばに、黙っていてくれた、その姿があまりにあたたかくて──。

 だからこそ、今もひどく、こわかった。


(もし、すべてを話したら──あいつは、俺を、どう見るだろう)



*★*――――*★*



 昼下がりの陽が、陽の間に柔らかな光を落としていた。

 窓辺のレースカーテンがゆらゆらと揺れ、その向こうで小鳥のさえずりが聞こえる。

 春は、穏やかに屋敷を包んでいた。


 けれど──。


(……何かが、確かに変わり始めていますわね)


 パメラは、静かにカップを持ち上げた。

 香る紅茶の湯気が頬を撫でる。けれど、その視線は遠く、窓の外に注がれていた。


 レオの変化は、ごく僅かなもの。

 表情の端。視線の揺れ。言葉の選び方。

 けれど彼は、確かに迷っていた。揺れていた。


 それは、パメラにとっても同じだった。


 夜会のことを、思い返す。

 アシュフォード侯爵家。七年前に粛清された、名門貴族の名。

 そして、あの場で次男レオポルドの名を持ち出されたときの、レオの反応──。

 彼は、一瞬だけ呼吸を止めた。


(きっと、あの方は……)


 確信とは言えない。けれど、限りなくそれに近い実感がある。

 レオがその出自を隠しているのなら、パメラのほうから踏み込むべきではない。

 けれど──。


(真実を知らずに、側にいることもまた、礼を欠く気がしますの)


 彼がなぜ、自分を選び、そして遠ざけたのか。

 その理由を知らずに「夫婦」として笑い合うのは、どこか違う気がした。


 パメラは、テーブルの端に置いた手紙に目を落とす。

 それは、実家──ラングリー伯爵家から届いた書状だった。


「奥さま、ご実家からお文が届いております」


 そう言って侍女が手渡してくれたとき、既に予感はあった。

 封蝋の印を見たとき、それは確信に変わった。


 ──資金援助の要求。


 文面は丁寧を装いながらも、内容は要約すれば「金をよこせ」だった。

 だが、それでいい。

 パメラにとっては、それが口実になる。


(わたくしが、ラングリー家の中を探る機会になるのなら──)


 アシュフォード侯爵家の粛清と、両親の死。

 どちらも、同じ年の春だった。

 偶然にしては、あまりに符号が多すぎる。


(もし本当に、ラングリー家が密告に関与していたとしたら……)


 それは、パメラの中にある“娘”としての思いと、“夫人”としての覚悟を揺らす。


 レオは、パメラを復讐のために迎えたのかもしれない。

 自分という存在が、彼の過去の痛みに加担した一族の象徴であるのなら──。


(それでも、わたくしは……)


 穏やかな日常が続いている。

 使用人たちはよく働き、屋敷には笑い声が満ちている。

 暖かな部屋。焼き菓子の香り。夕餉の支度をする音。


 この空間が、レオの心を少しでも和らげているのなら。


(この穏やかな日々が、どうか、壊れませんように)


 ただ、それを願っている。


(……けれど、守るためには、過去を知る覚悟も要る)


 そしてそのために──必要なことを、自分の手で始めるつもりだった。


(怯えてなど、いられない。手に入れたこの温もりを、守るために──)


「……少し、荷をまとめておいてくださいませ」


 振り返ったパメラの声は、柔らかいが揺るぎなかった。

 今はまだ、問いただす時ではない。けれど──黙っているだけでは、何も守れない。


「近々、実家へ向かいますわ」


 それは、過去を確かめに行く旅。

 そして、これからの未来を選び取るための、最初の一歩だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ