15.問いは胸に、答えはまだ遠く
翌日、玄関先にひとりの来客があった。
召使いの少年が、姉が荷物を届けに来たと知らせに来たのだ。
パメラが応接間へ案内を許すと、すぐに背筋の伸びた若い女性が姿を現した。
よく通る声で挨拶し、所作にも礼儀が感じられる。
あどけなさの残る弟とはまた違う、気品すらにじむ立ち居振る舞いだった。
「お忙しい中、突然お邪魔してしまい申し訳ありません、奥さま。弟が忘れ物をいたしまして……」
「まあ、お気になさらずに。あなたが噂の“しっかり者のお姉さま”ですね?」
パメラが笑いかけると、女性は少しはにかんだように目を伏せる。
顔立ちはよく似ている。けれど、姉は柔らかい茶色の髪を揺らし、弟は金色の光をまとっていた。
ふと、その違いがパメラの目にとまる。
「ご姉弟で、髪の色が違うのですね。……でも、お顔はとてもよく似ていらっしゃる」
「ええ。以前は、もっと似ていたんですけれど……。私も小さい頃は、弟と同じ金髪でしたのよ」
さらりと返されたその言葉に、パメラの手がふと止まる。
「……まあ。そうなのですか?」
「はい。成長するにつれて、だんだんと色が濃くなりまして。父に似て、茶色くなる家系なんです」
笑って答える姉の横顔を見つめながら、パメラの心に淡い波が立った。
(……成長で、髪の色が変わる)
その事実が、ひとつの可能性を繋げる。
──もし、彼がかつて茶色の髪だったとしたら。
──そして今のような黒鉄の髪に変わったのだとしたら。
理性は肯定する。──だからこそ、怖かった。
心だけが、必死に否定しようともがいていた。
(違う。違うはず……でも)
ラングリー家が“望まれて”嫁いだという違和感。
けれど、与えられたのは冷遇。冷たい部屋、関心のない態度。
(彼が──アシュフォード侯爵家の遺児、レオポルドなのだとしたら)
すべてが繋がってしまう。
反逆罪により家を取り潰された一族の最後の生き残り。
もし、それがでっち上げで、何者かの策略によるものだったのなら──。
(……その彼が、ラングリー家の娘を望んだ理由は、いったい何だったのかしら)
たしかに、自分は選ばれた。
けれど、それは伴侶としてではなく、冷遇され、閉ざされた部屋に置かれる“存在”だった。
(もしや……最初から、“妻”としてなど、迎えるつもりはなかったのでは)
この結婚は、誰かの罪を背負わせるための布石。
あるいは、何かを暴くための“鍵”として。
──そして、その粛清にラングリー家が関わっていたとしたら。
(……わたくしは、その“復讐のための道具”に選ばれたのかもしれませんわね)
胸の奥に、ひやりと冷たい風が吹く。
(もしそうなら……。でも、そうだとしても)
パメラは、微笑みを崩さなかった。
「成長による髪の変化……おもしろいお話ですわね。わたくし、知りませんでしたわ」
「ええ、あまり多くはないですが、特別珍しいことではないそうです」
姉が深く一礼して帰ったあと、パメラはそっと胸元に手を添えた。
──何も確かめない。
それが、今の自分にできる唯一の礼儀。
(……たとえ、わたくしが“道具”として迎えられたとしても)
彼がその重荷の下で、苦しまずにいてくれることを──ただそれだけを願っていた。
日が傾き始めた頃、書斎から戻ったレオが階段を上がってくる気配がした。
その音に、パメラは振り向かないまま椅子の背に手を添える。
陽の間には、西日の光が斜めに射し込み、淡く染まったレースの影が床に揺れていた。
「お疲れさまでした、レオさま」
振り向いたパメラは、いつものように微笑んでいた。
その顔には、さっきまで心をかすめていた不穏な影のひとかけらもなかった。
「……ああ」
レオは短く返し、ふと卓上に置かれた茶器に目をやる。
「いかがですか? ちょうど今、淹れたところですの」
「……じゃあ、一杯だけもらおう」
パメラが差し出したカップを受け取り、レオは窓際の椅子に腰を下ろす。
西日に透ける紅茶の色が、淡く光を帯びていた。
カップを口に運んだレオは、静かに息を吐き、ぽつりとこぼす。
「……妙に落ち着くな。ここの空気」
「それは、嬉しいお言葉ですわ。……ようやく、“この屋敷の部屋”らしくなってきた気がいたしますのよ」
パメラが微笑みながら答えると、レオは黙って紅茶を一口すすった。
「……今日、召使いの少年のお姉さまがいらして」
ふいに落ち着いた声で、パメラが話し始めた。
「弟さんととてもよく似ておられて、でも髪の色が違いましたの。小さい頃は金髪だったけれど、成長につれて茶色くなったとおっしゃっていましたわ」
レオはカップを持つ手を、ほんの一瞬だけ止めた。
湯気の向こうで、彼の指先が、かすかに震えた気がする。
だが次の瞬間には、何事もなかったかのように、カップを口に運んでいた。
「……おもしろいお話ですわよね。髪の色も、時間とともに変わってゆくなんて」
「……そうだな」
それだけを返す声音は、どこか遠くを見ているようだった。
聞きたい言葉は、喉元までせり上がった。
けれど、パメラはそっと唇を閉じる。
彼がまだ言葉にできないのなら──自分もまた、待とう。
ただ静かに、そばにいて。
この沈黙も、問いかけない選択も──彼への、ひとつの答え。
紅茶を飲み干したレオが、ふと視線を上げた。
「……前より、顔色がいいな」
「ええ。ここでの暮らしにも、少しずつ馴染めてきましたわ」
何気ないやり取り。けれど、ほんの少しだけ近づいたような気がした。
レオは立ち上がり、肩を回しながらぼそりとつぶやく。
「そろそろ外の風にでも当たってくる。……夕飯までには戻る」
「ええ。あまり冷やさないように、なさってくださいませ」
軽く手を振って出ていくレオの背中を、パメラは見送る。
扉が閉まったあと、静けさが陽の間に戻ってきた。
(問いは胸に。答えは、いずれ……)
パメラはカップの縁に指を添え、そっと息を吐く。
(たとえ、真実が苦いものであっても──)
西日が少しだけ色を深め、陽の間の空気を茜に染めていく。
(……ラングリー家について、もう少し詳しく調べてみましょうか)
それは義務ではなかった。
レオがなぜ自分を選び、そして遠ざけたのか──その理由を知るため。
彼の選択に、そっと寄り添うため。
(たとえ、その真実が、わたくしの心を裂くものだったとしても──)
そっと、胸元で拳を結ぶ。
柔らかなドレス越しに伝わる鼓動は、どこか痛ましくも、確かだった。
(それでも。あなたが選んだ哀しみなら、共に抱いて進みたい)
微かな痛みと、温もりを、抱きしめながら──。




