表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/41

11.夜会の光と、揺れる影

 王都の中心にそびえるヴェステリア公爵邸。

 今宵、その大広間は燭台とシャンデリアに照らされ、柔らかな金の光で満ちていた。


 流れるのは絃楽の調べ。

 磨き込まれた大理石の床に、上質なドレスと礼装が優雅に映り込む。

 香水と花の香りが混ざり合い、低く交わされる会話は、社交の場に特有の緊張と期待を含んでいた。


 中央の広間を囲むように貴族たちが集まり、互いに近況を交わす傍ら、時折ちらりと視線を向けるのは、まだ現れぬ新顔たちだった。


 ──そして、そのとき。


 階段の上から、一対の影が姿を見せた。

 会話がふっと静まり、視線が自然と集まる。


 男爵レオ・アッシュグレイヴ。

 近年、戦場で名を馳せた“成り上がり”として名が広まりつつあるその男は、黒の礼装を纏い、精悍な顔立ちと堂々たる体躯で階段を降りてきた。


 隣に並ぶのは、新たにその妻となった女性──パメラ。

 深い赤紫のドレスが肌を透かすように艶やかで、胸元を飾る同色の宝石が、燭光に照らされて揺れる。

 その場に相応しい貴族の夫人として完璧な装い。

 けれど、彼の隣に立つことに、ほんの少しだけ胸がざわついた。


(……こんな気持ち、いつから覚えるようになったのかしら)


 二人が広間に歩を進めると、場の空気がわずかに変わった。

 誰かが口元を覆い、誰かが小声で囁き合う。

 囁きは、ドレスの裾や扇の陰に隠れるようにして広がっていった。


「ヴェステリア公爵が直々に取り立てた成り上がり……って聞いてたけど、奥方がラングリー家の令嬢だったとはね」


「ラングリー家って、あの旧貴族派の? 一体どういう風の吹き回しなのかしら」


「でも、うまくやったものよ。あの粛清の時代を、どうにか切り抜けた貴族なんて珍しいもの。 娘を差し出して、家の安寧を買ったのだと思われても仕方ないわね」


「戦で名を上げた男に、旧家の血統を添える。……見る人が見れば、うまい取引だったってことでしょう」


「ま、あの娘は生贄よ。笑ってるけど、本当は何も選べなかったんでしょう」


 声には驚きもあれば、皮肉もある。だが、それ以上に──好奇と戸惑いが交ざっていた。


 レオはどの視線も意に介さず、まっすぐ前だけを見据えていた。

 その横でパメラは、小さく、けれど丁寧に礼を返していく。


 まるで──最初から、そこに居て当然とでも言うように。


 ひときわ大きな燭台の下、客たちのざわめきの向こうから現れたのは、この夜会の主催者──ヴェステリア公爵だった。

 濃紺の礼服には銀糸が織り込まれ、背筋の通った佇まいには名門貴族の風格が自然とにじむ。

 その一歩が踏み出されたとたん、周囲の空気が静かに引き締まるのを、パメラは敏感に感じ取った。


 公爵の視線がこちらへと向けられる。

 その双眸は穏やかに笑みを湛えつつも、どこか測るような光を帯びていた。

 けれど、敵意はない。ただ、好奇と期待を秘めた目──有能な者に向ける貴族らしいまなざしだった。


「アッシュグレイヴ男爵、そして奥方。今宵はようこそ」


 柔らかい口調だったが、社交の場に慣れた者なら、その一言に込められた重みを感じ取れただろう。


「ヴェステリア公爵閣下、丁重なお招きに感謝申し上げます」


 レオが一歩前に出て礼を取る。パメラもそれに倣い、穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。


「戦の名手が、実にお美しい奥方を迎えられた。……聞いていたより、ずっとお似合いですな」


「もったいないお言葉ですわ。光栄に存じます、閣下」


 パメラは微笑みながら応じたが、内心では注意を払っていた。

 公爵の言葉には、探るような意図はない。

 けれど、あくまで“彼女がどんな器か”を見極めようとする静かな目があった。


「それにしても……ずいぶんと洗練されましたな、男爵殿。初めてお会いした頃の荒削りさが、今では見る影もない」


「妻が口うるさいもので。……多少は整えるようになりました」


 レオの答えに、公爵はくつりと笑った。


「口うるさいご婦人は、家を導く星とも申しますからな。……それに、あなたが古き名門の娘を望んだと聞いたときは、少々意外でもありました」


 一瞬、パメラの胸にわずかな波が立つ。

 “望んだ”──その言い回しは、彼女の知らない部分に触れているように思えた。


 けれど、公爵はそれ以上何も言わなかった。レオもまた、淡々と返す。


「過分な支援に、改めて感謝いたします。……おかげさまで、こうして並ぶことができました」


 パメラは静かにグラスの縁に指を添える。

 ヴェステリア公爵の目は細く笑っていたが、その奥には静かな観察の光が宿っていた。

 何気ないやり取りのひとつひとつが、まるで試されているかのよう。

 だからこそ、パメラは穏やかな笑みを崩さずに、言葉を重ねた。


「閣下のお言葉に、夫もきっと励まされましょう。わたくしの言葉より、ずっと効き目があるようですわ」


 公爵は喉の奥で笑った。


「それは頼もしい奥方を得たものですな、男爵殿」


 レオは肩をすくめるように、軽く一礼した。


「ありがたいことです」


 形式通りのやり取りが交わされ、場は穏やかに流れていった。

 けれどパメラの胸には、小さなざらつきが残っていた。


(……“望んだ”のよね)


 彼がラングリー家の娘を。

 自分は、たまたま選ばれたのではない。何かしらの意図があって、選ばれた。──そのことを、改めて意識させられる。


 ふと横を見ると、レオは変わらぬ無表情でグラスを傾けていた。

 どんな意図があったのかは、彼はまだ何も語らない。


 ──“望まれて”迎えられたはずなのに、最初に与えられたのは冷たい部屋と、無関心な態度だった。

 まるで、すぐに手放しても構わないもののように。

 どうして、この人はそんな風にふるまったのだろう。

 問いかけは胸の奥に沈んだまま、言葉にはならなかった。


 公爵との会話を終えたあと、パメラは少しだけ息を整えるために、レオとともに会場の端を歩いていく。

 高い天井に音楽が響き、煌めくシャンデリアの下、誰もが微笑みを浮かべながら談笑している。けれど、そのざわめきの向こうに──確かに聞こえた。


「まぁ。まさか本当に、ここにいらっしゃるなんて」


 艶のある、けれどどこか意地悪な響きを含んだ声。

 その声に、パメラの背筋がすっと伸びた。

 忘れたわけではない。忘れられるわけがなかった。


 あの声は──ミランダ。

 パメラから“お嬢さま”の座を奪った従妹。


 ゆっくりと振り返る前に、もう確信していた。

 姿が見えなくても、冷たい視線が、まっすぐにこちらを射抜いているのを感じる。


(……来たのね)


 目の前の空気が、少しだけ硬くなる。

 レオが隣で気配を察したのか、小さく視線を巡らせた。


「誰だ、あれは」


 隣で聞こえた低い声に、心のどこかが落ち着いた気がした。

 問いかけに、パメラは答えなかった。ただ、視線を前へと向ける。


 ──ミランダが、こちらへ歩いてくる。


 夜会の華やかさが、別の意味での緊張に染められていくのを、パメラはひしひしと感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ