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私の人生はクズ兄様のものじゃありません! 虐げられ少女の逆転成り上がり物語

作者: 特になし

幼めの主人公に挑戦しました!

「ああ、お帰りなさい、アーサー。今日は遅かったわね」


 母様の声で、ああ、兄様が帰ってきたんだな、と私は思う。


「私の話を聞きたいと、魔術師仲間が帰してくれなくてね」


「さすが、十八で一級魔術師になった天才様は違うわ。このままなら、準特級、特級、そして最高位の大魔術師になる日ももうすぐね」


 母様は甲高い声で兄様を褒めながら、ここ、居間に入ってくる。だけど、暖炉のそばにいた私を見るや——


「何をしてるの! とっとと自分の部屋に戻りなさい、オリヴィエ!」


 凄い剣幕でしかられ、私は慌てて立ち上がる。


「ごめんね、アーサー。オリヴィエのしつけがなってなくて」


「多少妹の出来が悪くても、私は構わないよ。ねえ、オリヴィエ」

 

 私をにらみつける母様と対照に、兄様は優しく微笑みかけてくる。その脇を通り、私は駆け足で部屋に向かう。これが私の日常だ。


 この世界で、魔法は貴族、その中でも男子だけに許された特権だった。優秀な男子たちは、魔術学院に入り、そこで魔法の勉強をする。その後、一部の選りすぐりだけが魔術師という栄誉を手に入れられ、国の宝ともてはやされる。


 私の家、エルメス家は、代々魔術師を輩出する名家。死んだ父様も魔術師で、今は兄様がそれを継いでいる。


 そんな家に生まれた娘、私は、純然たるごみだった。生まなきゃよかったと何度も言われ、用無しと蔑まれる。でも、仕方ない。これが魔術師の家に生まれた女の宿命だ。


 私は自分の部屋——風が吹き込む屋根裏部屋に戻る。そして、今から待ち受ける地獄を静かに待つ。やがて足音がして、扉が開く。そこには兄様が満面の笑みで立っていた。


「さっきの態度はないぞ、オリヴィエ。兄様が帰ってきたら、まずはお帰りなさいだろう?」


「お、お帰りなさい、にいさ……」


 途端、ガツンと頭を一発殴られ、床に倒される。ああ、また始まった。その後、繰り返し入れられる蹴りに、身を固くして耐える。


 兄様いわく、男の人というのは苦労が多く、ストレスがたまるらしい。無能で気楽に生きてる私は、こうして役に立たなきゃいけない。母様はこれを黙認してる。私がこうされれば、兄様は気持ちよく研究ができるから。


 だけど、兄様と私には、母様も誰も知らない秘密があった。


「明日発表する魔法陣を書け。くれぐれも一級魔術師様にふさわしいようにな」


 兄様は私に紙を渡し、細々と指示を出す。


「分かり、ました」


 私は床から這い上がって机に向かう。


 これが始まったのは、こっそり勉強してしまったのがばれた時。恥知らずと母様に折檻され、納屋に閉じ込められた私のところに、兄様がやってきた。どうやら私はかなり勉強ができる方らしく、兄様は私を利用することを思いついたのだ。


 実際のところ、兄様は魔法に興味がない。ただ、魔術師の権威と名誉が欲しいだけ。そんな兄様にとって、私は最高に都合がいい道具になった。


 それからずっと、私はこうして全部の勉強、そして研究を肩代わりしている。そのかいあって、兄様は魔術師になって二年で一級魔術師にまで成り上がった。


「私ほど優しい兄もいないぞ。価値のない女に、こうやって仕事を与えてやっているのだからな」


 私が書き終えた魔法陣を手に取るや、兄様はさっさと部屋を出ていった。


 どうして女に生まれてしまったんだろう。私が男だったら、兄様にこんなにされることもなく、学校に通って、そして魔術師に……。つい浮かぶ考えを、首を振って打ち消す。もう十歳。現実は分かってる。私は一生兄様のために生きていくしかないんだと。



 次の日の朝、目が覚めて、机の上を見た私は絶句した。そこには完成形の魔法陣があった。兄様は書いている途中で失敗した方を持って行ってしまったのだ。


 どうしよう。これじゃあ、兄様の発表は失敗だ。そうなったら、絶対に激しく折檻される。殺される。


 とにかく、届けなきゃ。私は屋敷を飛び出し、なんとか目的地にたどり着いた。ここが魔術学院……。兄様を探しながら、私は広い学院内を歩き回る。だけど——


「汚い小娘、まさか平民か? 警備はどうなっている」


 捕まえられる! 私は人気のない方に逃げて、壊れかけの建物に隠れ込んだ。


 ここは……古い図書館? 読んだことがない本がいっぱいある。逃げていることも忘れて、私は夢中で背表紙を視線でなぞる。魔法の発動時間についての研究? 面白そう……。


「何かお探しですか、お嬢さん」


 その声に、私は飛び上がった。


「すみません。ここに人が来るのは珍しいもので」


 振り向くと、そこには大量の本を抱えたお兄さんがいた。お兄さんが着ているのは、昔兄様が着ていたのと同じ、三級魔術師の衣装。この人も魔術師みたいだ。


「あ、あの、私、兄様に会いたくて……。兄様、持ち物を間違えてしまったんです」


「兄上のお名前を伺っても?」


「アーサー・エルメスです」


 その時、お兄さんの眉がぴくりと動いた。


「アーサー殿になら、この後、学会でお会いしますよ。私がお渡しましょうか?」


 悩んだけど、私はお兄さんに紙を渡すことにした。


「じゃあ、私は、これで……」


「もう少しここにいたらいいですよ。あなた、魔法が好きなのでしょう?」


「そ、それは……」


 私が口ごもっているうち、お兄さんは私が見ていた本を書棚から取って、手渡してくる。いいの? そう思いながら、だけど好奇心が勝ってしまった。


 私はさっそく席に着いて本を開く。へえ、こんな書き方が……。これで本当に持続時間に変化があるのかな? 今すぐ試したい。


「使いますか?」


 お兄さんに紙とペンを渡され、私は夢中になって魔法陣を書きなぐる。


「上手に書きますね」


 隣から、お兄さんが魔法陣を覗き込む。


「でも、そこ、バランスが悪くなってますよ。こうした方が、時間によるムラがなくなる」


「ほ、本当だ……! じゃあ、ここも……」


 この人、凄い……! 私はお兄さんと議論しながら、いくつも魔法陣を試作する。気付けば日は暮れて、もう夕方になっていた。


「そろそろ学会です。せっかくですし、兄上に会っていきましょうか、エルメス嬢」


 そう言うと、お兄さんは私の手を引いて図書館を出る。会場近くの廊下で、私たちは兄様と鉢合わせた。


「こんにちは、アーサー殿」


 お兄さんが挨拶する。


「リヒト、気安く話しかけるなと何度言えば……」


 兄様の台詞で、お兄さんの名前が分かった。そして、その名前を私は知っていた。この人——リヒトさんは、兄様の同級生だ。下賤の輩とか、生意気な奴とか、兄様が散々言っているから、名前を覚えていた。


 その時、

「オリヴィエ、どうしてここに!?」

と、私に気付いた兄様が声を荒げる。


 だけど、リヒトさんに何か耳元で囁かれた途端、兄様の顔が真っ青になった。


「……オリヴィエ、外で待っていろ」


 震える声で、兄様が言う。その結果、学会が終わるまで、私は庭のベンチに座って待つことになった。


 しばらくして部屋から出てきた兄様の隣には、まだリヒトさんがいた。


「今からおうちにお邪魔しようと思います」

と、リヒトさん。

 

 どうしてリヒトさんがうちに来るんだろう? 訳が分からないまま、私は二人と馬車に乗って家に帰る。


「おかえりなさい、アーサー。あら、そちらは?」


 家に着くと、さっそく母様が出迎えにきた。


「話しただろう? 平民のくせに魔術師をやっている身の程知らずがいると」


 平民……? 私はリヒトさんのことを見つめる。


「オリヴィエのことで話があるらしい。とりあえず、席に着かせてくれ」


「オリヴィエ、あなた、どうして外に出ているの!?」


 私に気付いた母様が声を荒げるけど、

「母上、とにかく話だ」

と、兄様が制止する。


 そして、母様と兄様と向かい合う形で、私はリヒトさんの隣に座らされた。


「お嬢様は、随分と瘦せていらっしゃいますね」


 リヒトさんが口を開く。


「それに身体には深い傷やあざがある。身近に暴力を振るう……おそらく男性がいるらしい」


「何が言いたい?」


 兄様がかみつく。


「では、単刀直入に申し上げます。お嬢様を私にください」


 信じられない展開に、私は目をぱちくりした。


「ふ、ふざけるな! 平民にエルメス家の者をやるなどありえない!」


 兄様が叫ぶ。兄様には道具の私が必要。絶対に解放してはくれない。


 だけど、

「別にいいじゃない」

と、母様は平坦な声を出した。


「私の子供はアーサーだけ。不用品の処分先が見つかってよかったわ」


「彼女はエルメス家の娘でないと?」

と、リヒトさん。


「当たり前じゃない。主人が死んで、もう子供はできないのに、生まれたのがこれだったのよ? どうして男の子じゃないのよ? 顔を見る度、憎くて仕方ない。汚い平民、それも幼女趣味の変態の嫁になるなんて、いい気味よ」


 母様は私を疎んでるんじゃない。憎んでるんだ。分かっていたことだけど、はっきり言われるとやっぱり悲しくて、身体がぷるぷる震えだす。


「私は母を知りませんが、あなたが最低の母親ということは分かりました」


 そう言うや、リヒトさんは力強い手で私の手を取って立ち上がらせる。

 

「私はこれで帰ります。エルメス嬢……いいえ、オリヴィエと」


「いや、私は許さない! 妹は絶対に渡さないぞ!」


 兄様がばっと立ち上がる。


「彼女がいなくなって、何か困ることでもあるのですか? 天才魔術師アーサー殿?」


 リヒトさんは、天才、とやけに強調する。


「何かあるの?」

と、母様も。


 私に研究を肩代わりさせてるなんて言えない兄様は、憎々しげに私たちを睨みつけながらも、沈黙するしかなかった。

 

 そして、私は本当にリヒトさんにもらわれることになった。


「今から私の家に行きますよ」


 それから馬車に揺られ、貴族街を抜けて、平民街にたどり着く。大通りで下車した後、リヒトさんは道の裏へ裏へと入っていく。ごちゃごちゃと家が立ち並ぶエリア。この人が平民というのは本当——それも、資産家とかじゃなく、もっと低い階層の人みたいだ。


「汚くてすみませんが、今日からはここがあなたの家です」


 扉を開けられ、私はおずおずと家の中に入る。


「あ、あの……」


 私が口を開いた、その時——


「ああーっ、くっそ、めっちゃむかついた! なんだ、あのクズたち! ぶん殴ってやりてえ!」


 リヒトさんが後ろで思い切りドアを閉めた。なんだか、口調……というか、人格が変わってるような? だけど、とりあえず——


「私をもらってくれてありがとうございます。でも私、十歳で、まだ結婚できないんです。成人するまで待ってくれますか?」


 リヒトさんは一瞬ぽかんとした後、

「いやいやいや、しないからな!?」

と、物凄い勢いで否定する。


「一応そういう名目だけどさ。お前をあの家から連れ出したのは、お前を育てようと思ったからだよ」


「私を育てる?」


「だって、クズ兄の研究やってたの、全部お前だろ? 一目見れば、俺はそれが誰の書いた魔法陣か一発で分かる。図書館でお前が書いたやつは、いつもアーサーが見せてたのと同じやつのだ。つまり、あいつは阿呆で、おまけにクズだから、妹のお前にずっと研究を肩代わりさせて、おまけに暴力まで振るってたってことだ」


 リヒトさんはそこまで言った後、一息ついて、また続けた。


「オリヴィエ、お前は天才だ。もうクズ兄のために生きるな。自分で魔術学院に入れ。魔術師になれ。お前なら絶対になれる。そのための手助けを、俺がしてやる」


「そ、そんなことできません。だって、私は女で……」


「学院には普通貴族の男子しか入れない。だけど、一つだけ抜け穴がある。入試で一位を取った人間は、何人たりとも、無償で教育を受ける権利を有する。何人——平民も、女もだ。俺はそれで入った。お前もこれを使え」


「本当に……私でも……?」


 信じられない。たとえどんなに小さくても、真っ暗だった世界に光が灯った瞬間だった。


「半年後に入試がある。受験料は俺に任せろ。お前は絶対一位で入学して、お前の才能を見せつけてやれ」


 リヒトさんはそう言うと、いそいそとお湯を沸かし始めた。そして、私がそれを使っている間、新しい服を買ってきて、今度は料理に取り掛かった。


「ありがとうございます、リヒトさん。何から何まで」


こぎれいになった私は、スープを受け取りながら頭を下げる。


「さん付けも敬語もいいよ。見ての通り、俺はそんな立派な人間じゃないし」

 

「じゃ、じゃあ、リヒトで……。ちなみに、口調が変わったのは……?」


「これが素だよ。平民っぽさを出さないよう、いつもは気ぃ遣ってんの。でも、さすがに家で『何かお探しですか、お嬢さん』モードはきついからさ」


 実際、リヒトの雰囲気はかなりきれいめの貴公子っぽい。その見た目で荒っぽい口調で話すから、不思議な感じがする。


「お、食い終わったか。じゃあ追加だ。どんどん食えよ」


 それでも、この人は温かい。触れたことのない温もりに、ぼろぼろ涙が溢れてしまう。


「……ああ、そうだよな。色んなことがあって疲れたよな。もう寝るか」


 そのまま抱き上げられ、ベッドにおろされて、私はあっという間に眠ってしまった。



 そして、リヒトとの暮らしが始まった。仕事のある日、リヒトはこっそり私を学院に連れ込んで、例の旧図書館に置いていく。私はそこにある本で勝手に勉強して、空き時間にやってくるリヒトに分からないところを教えてもらう。休日は家で一日中一緒に勉強する。


 毎日好きな勉強ができる。いっぱいご飯を食べられる。何より、ひどいことを言われたり、殴られたりすることがない。信じられないくらいいい暮らし。でも、それが何を犠牲にして成り立っているのか、私は全然分かってなかった。


「最近のリヒト、いい加減に限界っぽくないか?」


図書館で本を読んでる時、通りすがりの人の話し声が飛び込んできた。


「アーサーと仲が悪かったのが、さらにこじれて、もう完全に派閥にいじめられてる」

「今日でついに授業も全部潰されて、学会も干されて、晴れて名ばかり魔術師か」


干された? そしてまた兄様? 頭の中がグルグルして、理解が追い付かない。


「でも、金銭面は本当に問題だろ。平民で、おまけに借金持ちらしいし」

「やめるのとぶっ壊れるの、どっちが先かねえ……」


 知らなかった。こんなにリヒトが苦しい状況なんて。絶対に私を育てる余裕はない。じゃあ、どこからお金を出してるの?


 その答えを知ったのは、夜中、リヒトの書斎を覗いた時だった。リヒトは本を読む傍ら、物凄い速さで造花を作っていた。次の日も次の日も、内職は朝が来るまでずっと続いていた。


 そして——


「今日もご飯食べないの?」


「食欲なくてさ」


 噓だ。リヒトは何日もまともに食べてない。それなのに、私にだけ食事を出して……。


「どうした? 食わないと一生チビのままだぞ」


 だけど、そう笑われると、私は何も言えなくなってしまう。


 そんなある日のこと。


「なんで足りないんだ!? いつも通り払ってるじゃねえか!」


「利率が変わったんだよ。魔術師様なら、金を出す魔法でも使って払えよ」


 部屋の中で言い争う声に、私は様子を見に行った。


「お、いつの間にガキなんて作ったんだ? 結構かわいいなあ」


 そこには怖い男の人がいっぱいいて、リヒトを取り囲んでいた。


「オリヴィエ、奥にいろ。出てくるな」


 リヒトは光の速さで私を書斎に放り込み、バタンとドアを閉める。


「いいご身分だな。お前の親父を思い出す。息子に借金押しつけて、自分はどっかに消えたクズ親父をな。お前もそいつを使って……」


「そんなことさせるわけねえだろ!」


 それから、ドアの向こうで恐ろしい音がしばらく続いた後、

「ちゃんと貯めてたじゃないか。有り金全部もらってくからな」

と、借金取りが帰っていく音がした。


 ドアを開けると、部屋の中には、リヒトがぼろぼろになって倒れていた。私が駆け寄ると、リヒトは傷だらけの身体で立ち上がる。


「大丈夫だ。今から髪の毛売って、それで受験料を……」


「もうやめて!」


 私はそれを引き留める。


「私、知ってるよ。嫌がらせで魔術師の仕事がないんでしょ? お金も入らないんでしょ? もういい。私、魔術師になんかならない。今日からはいっぱい働く。そうしたら、きっともっと普通に暮らせるから……」


 リヒトは目を見開いた後、

「そうだよな。諦めた方が楽だよな。お前も、そして俺も」

と、ベッドに腰を下ろした。


「ただ魔法が好きで、魔術師になるだけが、こんなに難しい。何が一番悔しいって、こっちからそうやって諦めさせられることだ。ほんと、ろくでもない世の中だよな」


「だから、あきら……」


「だから、俺は諦めてやらない。それが俺の全力の反抗だ。そして、お前にも諦めさせない。絶対に」


 弱ってるはずなのに、その目は強かった。


「オリヴィエ、魔法は好きか?」


「……好き」


「目指す資格はそれで十分で、完璧だ。お前は絶対魔術師になれる」


 ぽん、と私の頭をなでた後、リヒトはベッドに横になった。


「魔術師のトップになれば、世の中を変えられる。狂った入学資格も、貴族が魔法を独占する現状も。そのために、俺は成り上がる。いつか、大魔術師に……」


 リヒトはぶつぶつ呟いた後、糸が切れたみたいに眠り始める。相当疲れてるんだろう。私にできることは……。


 それからしばらくして、リヒトは目を覚ました。


「栄養のありそうな食べ物買ってきた」


 私は果物を差し出す。


「お前、どうやって金を……」


 私を見た途端、リヒトは絶句した。長かった私の髪の毛は、今は肩につかない。貴族の女にとって髪は命。それを売ってしまったのだ。


「結構いいお金になったよ。あと、これからは内職手伝うから。私も一緒に戦う」


 押し黙ってたリヒトは、

「……その髪、めちゃくちゃかわいいな」

と、泣きそうな顔で笑った。



 次の日、

「内職魔法を作ろうと思う」

と言うと、リヒトは顎が外れるくらい口を開けた。


「おいおい、誰も作ったことない魔法は、一から構築しなきゃなんだぞ? それに、細かく複雑、種類の多い動きの組み合わせ魔法は最難関。大魔術師様だってできるかどうか……」


「私、天才だよ? リヒト、前言ってたじゃん」


「……ああ、そうだったな」


 それから一月。受験勉強の傍ら、リヒトと一緒にまったく新しい魔法の構築に励んだ。何回も失敗して、ついに完成した陣を発動させる。造花ができ、木像ができ、袋詰めが終わり……。


「あのさ、これ、やばくないか?」


 リヒトはもはや顔を引きつらせてる。


「どう考えても、世界変えるレベルの発明だよな。だって、これをベースにすれば、労働全部が……。うわっ、頭クラクラしてきた」


「とりあえず、世界の前に、私たちの家計を変えてもらおう」


「そ、そうだな! 内職無双だ! 内職王に俺はなるぞ!」


 そこからリヒトはバンバン仕事を取ってきて、家の中が工場になった。何もしなくても、自動的に商品が完成し、それを卸してお金にする。かくして内職王は借金を一気に返済し、借金取りたちを驚かせたのだった。


「今日はパーっとお祝いだ! 前から言ってたあれやろうぜ!」


「あ、あれを!?」


 二人手を取り合って喜んだあと、大衆食堂に駆け込む。


「ご注文は?」


「「全部!」」


 夢の台詞を言って、出てきた料理を片っ端からかっこむ。


「そういえば、兄様、まだ嫌がらせしてきてる?」


「ところがどっこい、クズ兄、最近学院に来ないんだ。お前がいなくなってから、結果が残せてなくて追い詰められてたからな。ちなみに、あいつの講義枠が俺に回ってきそうで、二度美味しい展開だぞ」


「そっかあ」


 いよいよ兄様の呪縛から逃れられるんだ。そう思うと、心がすっと軽くなった。



 それから、少しずつ生活は上を向いていった。半年はあっという間に過ぎ、今日が運命の受験当日。朝早く、緊張しながら馬車に乗って、会場の学院を目指す。


「お、爺さん、あんたも受験生か?」


 隣には、魔導書を読んでいるお爺さんがいた。

 

「ああ、これで六十回目でのう」


 魔術学院入試は最難関。浪人は当たり前。その現実を改めて思い知る。


「頑張りましょうね! 私も頑張って一位を取るので!」


 そんな折、乗っていた乗合馬車が急停止した。


「すみません! 車輪が壊れてしまい、復旧までは一時間ほど……」


 どうしよう。これじゃ、間に合わない。


「オリヴィエ、走るぞ」


 そう言うや、リヒトは私を抱き上げ、馬車を降りようとする。


「今年はもう……」


 だけど、お爺さんがうなだれるのを見るや、

「安心しろ、爺さん。あんたも連れてってやる!」

と、お爺さんのことも背負って走り出した。


 私たちは、ぎりぎりで会場前にたどり着く。リヒトに送り出され、私とお爺さんは試験会場に向かう。


 だけど——


「オリヴィエ、本当に試験を受けに来るとはな」


 耳になじんだ声に、身体がびくりと飛び跳ねる。顔を上げると——どうして兄様がここに? というか、怖いくらいやつれてる……。


「お前のせいで私の人生はめちゃくちゃだ! 私のために働くことから逃げ出し、身勝手に生きるなど、どうしてそんなことができる!」


 怒鳴り散らす兄様には、追い詰められた獣みたいな危険さがあった。だけど、もう黙って従う私じゃない。


「私の人生は兄様のものじゃありません! 私は自分で魔術師になるんです!」


「なれるわけない。私が絶対にさせない」


 兄様はぐいと私を捕まえ、腰の剣に手を伸ばす。狂ってる。恐怖で体が動かない。私はこのまま、兄様に殺されるしかないの……?


「うっせえ! 邪魔すんな、クズ!」


 その時、リヒトが背後から兄様に掴みかかった。戻ってきてくれたんだ……! だけど、嬉しいのは一瞬で、すぐに恐怖が押し寄せる。このままじゃ、リヒトが死んじゃう!


「爺さん、頼む! そいつを連れてってくれ!」


 もがく兄様ともみ合いをしながら、リヒトが叫ぶ。


「行くんじゃ、お嬢さん」


 お爺さんに手を引かれ、私は受験会場に連れていかれる。どうしよう、どうしよう、どうしよう。席に着いた後も、頭の中はリヒトのことでいっぱいだった。


「落ち着きなさい、お嬢さん。彼のために君が今できること。それが何なのか、しっかり見極めることじゃ」


 お爺さんに言われ、はっとする。私の夢を叶えるため、リヒトは自分の全てをかけて助けてくれた。だから、私は絶対に入学して、魔術師になる。それがリヒトへの恩の返し方だ。


 私はぎゅっとペンを握った。



 試験を終え、私は大急ぎで会場を飛び出した。だけど、広場にリヒトの姿はなかった。きっと殺されて……。


「リヒトの大馬鹿野郎!」


 私が叫ぶと、

「はあ? そりゃないだろ」

と、派手な切り傷を作ったリヒトが後ろに立っていた。


「俺が負けると思ったのか? こんな坊ちゃんが剣振り回したところで、敵じゃねえって」


 リヒトが指さす木陰を見ると、完全にしめられた兄様がいる。


「はは、殴ったな、平民。貴族の私に暴力をふるったのだ。お前はおしまい。魔術師ではもういられない」


 私たちが近寄ると、兄様は壊れたみたいに笑う。


「オリヴィエ、最後のチャンスだ。また私のために働け。そうしたら、リヒトを訴えるのはやめてやる」


 騒ぎを知った兵士たちが駆けつけてきてる。もう時間がない。リヒトを守るには、私が——


「なあ、オリヴィエ」


 口を開こうとした私を、リヒトが見つめてくる。


「お前を育てられて楽しかった」


 そう言って頭をなでると、

「おまわりさーんこっちです!」

と、リヒトは兵士に向かって叫んだ。


「むかついたからこいつ殴りました。後悔も反省もしてません。捕まえてください」


 堂々と語る様子に、兵士たちは戸惑いながらも、リヒトの身柄を確保する。


「違う! リヒトは悪くない! 全部私が……!」


 どうして? こんな終わり方ひどい。リヒトが積み上げてきた全てが、こんなに簡単に奪われるなんて、ひどすぎる。


「お願い! 連れて行かないで!」


 連行されるリヒト。泣き叫ぶ私。笑う兄様。だけどその時——


「待つのじゃ」


 朝助けたお爺さんがこっちに向かってきている。


「彼に非はない。このわし、大魔術師が証言する」


 その手が持つ勲章は、本当に大魔術師のものだった。


「命令する。この者を連行するように」


 私たちがあっけにとられる中、兄様が連行されていく。まるで魔法みたいにあっという間に。こんな奇跡があるなんて……。


「世話になったな。毎年の受験がわしの趣味でのう。今年はできないかと思って肝を冷や……」


「紛らわしいんだよ、このくそじじい! こちとら浪人生かと思っただろうが!」


 リヒトに怒鳴られ、

「だって、受験したかったんだもん……」

と、大魔術師様は小さくなる。


「リヒト、言葉遣い!」


「構わんよ。リヒト君にオリヴィエ君、また近いうちに君たちには会うことになりそうじゃ」


 そして、大魔術師様は去っていった。怒涛の展開に、私とリヒトはしばらくぽかんとしたままだった。


「頑張ったな、オリヴィエ」


 とにかく、波乱万丈の受験は終わったのだった。



 あれから一月経った。兄様は問題行動によって休職処分を言い渡された後、退職を余儀なくされた。母様は半狂乱で、エルメス家は地獄と化しているらしい。


 さて、合格発表の日。私とリヒトは大魔術師様のお屋敷に呼ばれた。


「オリヴィエ君。試験結果は満点、文句なしの特待生じゃよ」


 開口一番、告げられた結果に、私とリヒトは無言で抱き合った。


「それで、リヒト君。あれから君のことを調べたんじゃが、どうやら、君の働きはもみ消され、わしのところまで入ってきていなかったらしい。見れば、素晴らしい働きじゃ。君を一級魔術師に昇格させよう」


 それに、また私たちは抱き合った。


「そのついでに、わしの息子にならんかね?」


 続いた衝撃的な台詞に、リヒトは抱き上げていた私を落っことした。


「わしが半生かけて集めた蔵書、築いた財産、そして極秘の研究、それらを引き継ぐにふさわしい人物を探していた。君は優秀で、そして何より高潔な心を持っている。ぜひ君に頼みたい」


 私は飛び跳ねた。今まで苦労ばかりのリヒトに、ついに運が向いてきた!


 だけど、

「いや、俺はいい」

と、リヒトは首を横に振った。


「代わりに、オリヴィエを娘にしてやってくれ。俺よりこいつの方がよっぽど賢い」


「どうして!? だって、リヒトのチャンスなんだよ!?」


「あのクズ実家と縁が繋がったままじゃ、絶対この後面倒が起きる。早めに切っとけ。大魔術師様の娘となれば、この後も守ってもらえる。爺さん、こいつがエルメス家にいたこと、抹消できるよな?」


「ふぉふぉ、戸籍の操作など簡単なことじゃ」


 リヒトはそこまで考えてくれて。そして、与えてくれて……。


「これじゃあ、私、リヒトからもらってばっかりで……。恩を返せない」


「そんなの、お前が立派になった時、返してくれればいい。俺は誰よりお前に期待してるんだ。絶対立派な魔術師になれよ、オリヴィエ」


 そして、リヒトは何の未練もないみたいに去っていく。


「やだ! 離れたくない! ずっと一緒にいようよ……」


 私はそれを追いかけ、腕を引っ張る。


「別に離れなんてしないさ。俺たちは同じものを好きで、同じものを目指してる。いつも一緒だ。それに、嫌でも学院で会えるぞ。あ、その時はきちんとリヒト師って呼べよ?」


 冗談っぽく笑うと、号泣する私を残し、リヒトは帰っていった。ただの一度も振り返らないで。


「彼は本当に君のことが好きで、大切なんじゃろうな」


 私の背中をなぜながら、大魔術師様は静かに言った。


「号泣しておったぞ。君には隠しておったがな」



 それから六年経った。十六歳になった私は、学生課程を終了し、魔術師試験を突破した。今日からは三級魔術師だ。史上初の女魔術師として、私は世間の注目を集めている。その大半が賞賛なのは、きっとリヒトのおかげだろう。


 あれからリヒトは、実力で特級魔術師にまで成り上がった。魔法の研究だけじゃなく、その受容にも献身してる。そのおかげで、学院も今年から平民や女にも開かれるようになり、私はその先駆者という立ち位置になったわけだ。


 私は今、旧図書館にいた。懐かしい。六年前、ここから私の人生は始まった。ここで、あの人と——


「何かお探しですか、お嬢さん」


 振り向くと、そこにはリヒトがいた。


「なんちゃって。三級魔術師認定おめでとう、オリヴィエ」


 リヒトは、三級魔術師の衣装を着た私を、感慨深げに眺める。


「ちゃんと約束を守ってくれたな。本当に魔術師になった。お前はほんとに凄い。自慢の……」


 リヒトはそこで言葉を切って、あ、と思い出したみたいに口を開く。


「そういえば、クズ母、お前が自分の娘だって今さら主張してやがるらしいぜ。娘を天才にしたのは、自分の教育だって。な? 俺の言った通り、籍移しておいてよかっただろ? おかげであいつ、狂人扱いだ。クズ兄と一緒にさ」


 六年前、職を失った兄様は、プライドをぐちゃぐちゃにされて発狂した。あれから、誰もその姿を見てない。ずっと家に引きこもってるんだろう。


「それで、用ってなんだ? 衣装のお披露目か?」


 リヒトをここに呼び出したのは私だ。


「今日は約束を果たしにきた。立派になって、与えられたもの以上を返すって」


 私はその目を真っ直ぐ見つめる。


「リヒトにもらったもの全部、私自身で返す。私をもらって、結婚してほしい。私の全部、リヒトのものにして」


 勇気を出した告白に、リヒトは黙りこくる。これは、あと一押し……。


「私が奥さんなら、仕事に理解あって楽だよ? 私と魔法どっちが大切なの? なんて聞かない。魔法が一番でい……」


「馬鹿だな」


 途端、ぽん、と頭をなでられた。


「お前と魔法を作るのが、俺は一番好きなんだ」


 見上げると、ずっと変わらない優しい顔がそこにあった。


「よし、決めた! またお前の家に突撃して、お嬢様を私にください、かましに行くぞ!」


 そう言うと、リヒトは六年前みたいに私の手を取って、外に駆け出した。

久しぶりの投稿なので、色々ご意見を伺えると助かります……!


追記を失礼します。朝に投稿する予定の「王道爽やか王子様が、転生ヒロインにフル無視されていらっしゃる! と、モブは震えております。 」を、間違えて投稿して、私(作者)が震えている状況なので、よろしければ読んで助けていただけると嬉しいです……。

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― 新着の感想 ―
クズ兄様、能力ゼロのくせにプライドだけ天元突破とかクソ過ぎる。 手柄が全部妹の仕事だったことが世間にバレて、縋っていた名声すら失ってクビでも吊ればいいのに。 借金取りの所業はただの強盗では。 家に推…
割と疑問なのはアーサーは受験というか試験の時どうやって受かったんや?
最後、ちょっと涙出そうになったところに、あとがき読んで笑う羽目にwww めちゃくちゃ面白かったです。好き(*´艸`*)
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