1 突然の公開プロポーズ?
「──では、私は外でお待ちしております」
「ええ。よろしくお願いします」
毒殺事件が解決したあと。
事件に使われた道具はアオギリが預かることになった。彼はミストに頭を下げると部屋をでていく。
敵しかいない世界で出逢った初めての味方。アオギリの姿が見えなくなることに不安を覚え、そんなふうに不安を覚えた自分にミストは戸惑う。
ずっとひとりで耐えてきたのに。
ドレッサーの鏡の中に映る自分はひどくもろい表情をしていた。それから目を逸らすようにミストは侍女をベルで呼ぶ。窓の外はまだ真っ白だ。
もう毒を飲む心配はないと思っていてもそのときが来ることが恐ろしかった。今回はなにもなければよいのだけれど、と思いながらミストはやってきた侍女に支度をさせる。
三度目の誕生日パーティの時間が近づいてきていた。
+++
大広間へと向かったミストは招待客たちの注目を一斉に浴びた。一度目と二度目のパーティ以上に。
その理由は、
「……よかったのでしょうか……」
隣で彼女をエスコートする黒髪黒目の騎士の存在だった。
ミストに腕を持たれている彼は「言ったはずです」と小声で答える。
「毒殺犯が見つかったいま、もう隠れる必要はありません。むしろこうして私がそばにいることをアピールして敵を近づけなくさせるほうが効果的かと」
「そうかもしれませんが、」
「あちらの方はどなた?」「初めて見るわ。あんなに素敵な男性……」と令嬢たちがアオギリに見惚れている。気配を消すことをやめた彼はだれもが目をやらずにはいられないほど目立っていた。
未婚の女性たちはさざめきたち、夫人は慎みを持って熱い視線を彼に送るがそれはじきに憐憫とミストへの軽蔑に変わっていった。
「おかわいそうに、きっと他国の方なのね。ミストさまの噂をご存じないのだわ」
「今度はあの方を弄んで捨てるつもり?」
「残酷な方……」
いつもなら聞きながせる陰口が今夜だけは胸に痛かった。
──アオギリさまの耳に聞こえてなければいいのに。願ったが、そう都合よくはいかないようだった。
大広間の中心まできて彼は立ちどまる。
「悪女の噂、ですか」
「…………」
「あなたはずっと──このような冷たい視線に耐えてきたのですね」
──そうよ。でもそれは私がやったことへの報い。
男を誘惑しては捨て、天使のような妹をいじめ、知人の令嬢をいたぶる。すべて私がやってきたことの報い。
たとえ、それが妹に命令されてやったことだとしても。
報いはこの身が受けなければならない。
「……アオギリさま。やはりあなたは、」
私のそばに近づかないほうがいい。そう言おうとしたとき、彼がミストの正面に回ってひざまずいた。
そしてミストの手袋に包まれた手を取る。
「──ミストさま。どうか、私にあなたの護衛を一生任せてはくださいませんか」
「え?」
「一生おそばにいさせてほしいと。そう言っているのです」
ミストはぽかんとする。
「え……な、なんですか……?」
「私は真剣です。どうか、ミストさまも真剣に考えてください」
──そんな。まさか。
ミストは目を丸くしたままアオギリを見下ろす。
──求婚、されている……?
大広間はいまやしんと静まりかえっている。
女性は見目麗しい男に求婚されているミストに嫉妬のまなざしを向け、男性はアオギリに同情めいた視線を送っているというちがいこそあったが、ふたりに釘付けになっているのは共通だった。
ミストはアオギリのことしか意識できなかったけれど。
──もし、アオギリさまと結婚したら。
どんな未来が待っているのだろう。彼はいまと同じように私を守ってくれるのだろうか。
……悪女の私を?
「…………」
ミストはそっと手を引きぬこうとした。
いけない。悪女の私と一緒になれば彼の評判まで落ちてしまう。それだけでなく、もし彼の命まで狙われるようなことになったら──。
「……ご、」
ごめんなさい。そう答えようとしたとき、招待客の中にミストは気になる顔を見つけた。
顔、と言っていいのかはわからなかったが。
「……ミストさま?」
彼女の視線を追ってアオギリはそちらのほうへ顔を向ける。
人混みの中に紛れて立っていたのは目元を仮面で覆った男だった。
アオギリと同じくらい背の高い男だ。髪は金髪で肌が白い。フクロウの羽の彫刻がなされた仮面をつけ、臙脂色の礼服を着こなした姿は仮面舞踏会の主賓のようだが、この場では身だしなみに隙がなければないほど彼の異様さが際立つばかりだった。
ミストの知人がお遊びで仮面をつけているのだろうか。知り合いの男の顔をいくつか思いうかべるが、どれもあてはまりそうにない。
──まさか、次に私の命を狙うのはあの男なのでは……
ぞくっと鳥肌が立ったときだった。
「ああ、あれは……」とアオギリが言うのと同時に男が人混みの向こうへ消えた。不思議と周囲の客たちは彼に気づいていないようだ。
「……お知り合いなのですか?」
「ええ。あれでも忍んでいらっしゃるつもりなのです」
「いったいどなたですか?」
「それは本人の許可を得てから話しましょう。ですが、あの方があなたに危害を及ぼすことはないと断言します」
気にはなったが、アオギリがいまは話せないと言うならこれ以上追及しても無駄だろう。彼の上官かなにかだろうか。
招待した覚えはないが──それを言うならアオギリもそうだ。招待状はファジーフィールド家と交友があるものたちに送られたが、今夜のパーティはネルフィの思いつきで一部自由参加となっている。もちろん身分が高いものに限られているが。
仮面の男に気を取られたせいでプロポーズに返事をする雰囲気ではなくなってしまった。アオギリは立ちあがり、「せかすようで申しわけありませんが、なるべくはやく答えをください」とミストにささやく。
答え。そんなもの、もうとっくに決まっているはずだったけれど。
「わかりました……」
なぜだか断ることができず、ミストはためらいがちにうなずいた。
彼からの求婚に喜ぶ自分に気づかないふりをして。
「今夜は……ワインでもオレンジジュースでもないものを持ってこさせましょうか」
「……いいえ」
ミストを気遣ったのだろう。彼からの優しい提案をミストはしりぞけ、澄ました表情で答える。
「この世で一番紅いワインにしましょう。毒の夜を乗りこえた記念に」
そして、ふたりを囲む人垣の向こう。大広間の入り口では。
純白のドレスを着たネルフィが憎悪を込めてミストの背中を見ていたが、それに気づくものはだれもいなかった。
誕生日パーティは平和に進んだ。
ミストの思いどおりに──そして、ネルフィの思惑とはべつの方向に。
「ごきげんよう、スカーベク夫人。そのダイヤモンドの首飾り、とてもよくお似合いですわ」
「トレッチ侯爵、ご病気だと伺っておりましたがご加減はいかが?」
「ふふ、そうなんですの。とても素敵な妹で……」
悪女の姉が普段言うべきセリフとは真逆の言葉を口にして悠然と招待客たちに対応している。その隣でネルフィはにこにこしていたが、笑顔の裏ではそつなく挨拶を交わす姉に苛立ちを覚えていた。
──は? なに体調なんて気遣ってるの?
いつもどおりバカにしなさいよ、と他人にはわからないよう視線でうながすが姉は気づかないふりをしている。客たちはいつものような毒を含んだ言葉が返ってこないことに戸惑っていたが、悪い気はしていないようだ。
──あんたがそれだと私が目立たないじゃないの。
ただでさえ美しく気品にあふれる姉だ。これに性格のよさが加わったら、ネルフィなんてだれも見てくれないに決まっている。
いやだ、とネルフィは叫びたくなった。また、だれにも見てもらえなくなるのはいやだ。
気に食わないことはもうひとつ。姉のそばで控えている男の存在だ。
アオギリ・ラミフィケーション。国王直属の騎士団に所属し、国外の有力な貴族の息子だという彼はいままで社交の場に顔を見せたことがなかった。なのにどうして今夜はやってきたのか?
ひざまずいて姉に婚約を申しこんでいる彼の姿が脳裏をよぎる。人垣の中でおこなわれたはずなのに、その光景は準備されていたかのようにネルフィの目に飛びこんできたのだった。
普段パーティに参加しない彼がわざわざきた理由。それは、
──おねえさまに求婚するためだった……?
ありえない。けれどそう考えるしかないことも事実だった。
悪女の顔を一目見たいと願っている人間は上流階級にもたくさんいる。だから、申告制という自由参加枠を設けて彼女を嘲笑しにくる相手を増やしたのに。それが仇になるなんて。
美形の騎士。簡単な経歴しか知らない青年のことが、ミストに求婚したことによりいっそう魅力的に見えてくる。
彼がほしい。姉に好意を持っている彼のことが。
──そう、とネルフィは気を取りなおす。
パーティの本番はまだこれから。あれを見ればきっとアオギリもミストがどういう人間なのかわかって、自分が彼女にプロポーズしたことは勘違いだったと気づくだろう。
ネルフィが用意した舞台の上で──。
+++
「これは余興なのです」
大広間をでて、廊下を歩きながらミストはアオギリに言った。
「私の誕生日に、私をモチーフにしたヒロインがでるお芝居をやる。題は『ミスティエリス』。神話にでてくる女神と私の名前を合わせたものですわ」
「内容は?」
「男を手玉に取り、遊んだあとで残酷に捨てる貴族令嬢が彼らに復讐されて破滅していくというお話です」
アオギリは思わず足を止めた。前を歩いていた侍女が不思議そうに振りかえる。
「それは……誕生日に上演するには、あんまりではありませんか」
「悪女が生まれた日を祝福するにはふさわしいのではなくて?」
脚本は時代の寵児と呼ばれている海外の脚本家に金を積んで書かせたものだ。──もちろん、ネルフィがミストを操る形で。
『私を貞淑な令嬢として書いてくださいね』
そう注文すれば、ひねくれものとして知られているその脚本家がまったく逆の話を書いてくるであろうことをネルフィは知っていたのだ。
上演はミストには止められない。唯一の救いは身重の母を気遣って両親はこの場にはいないということだろうか。かれらもミストをもてあましていることはわかっているが、自身がやってきたことを誇張した芝居を肉親に見られたくはない。
そういえばファーンはどうしただろう、と招待客の中に彼女の顔がなかったことをふとミストは思いだした。
あのまま泣きつかれて寝てしまったのだろうか。あとでだれかに様子を見にいかせようかと思ったが、寝ているのならそっとしておいてあげたい。
それでは、と城内の地下劇場につづく階段の前でミストは立ちどまった。
「着替えてまいります。アオギリさまは、どうか……お部屋で休まれていてください」
「そんな──」
「いえ、なりません」
背後から突然声をかけられてふたりははっとして振りかえった。ファジーフィールド家のメイド頭である老女が唇を真一文字にしてミストを見ている。
「アオギリさまも客席でご覧になっていただくようお願いいたします。いまから上演するのはミストさまのお誕生日を記念したお芝居でございます。欠席は不遜となりましょう」
ミストが産まれる前から家に務めているメイドだ。忠誠は厚く、ファジーフィールド家の評判を下げているミストに対してあからさまに嫌悪感を示している。
彼女の願いは私の『排除』だろう。そう感じることはいままで何度もあった。
──メイドごときが私のお客さまに命令する気?
いつものミストならそう言いかえしていただろう。だが今夜のミストは彼女に向きなおると、「そうね」と静かに言った。
「アオギリさまにほんとうの私を見ていただくいい機会です。客席でお待ちくださる?」
「……よいのですか?」
「ええ……」
言いかえしてこないミストにメイド頭は意表を突かれたようだった。彼女にも聞こえるようにミストは言う。
「それでもまだあなたが私を守ると言えるのかどうか──教えてください」