5 悪女よ、自らの死の謎を解け
ミストはベッドの中で目覚めた。
──一度目の死のあとと同じように。
窓から射しこむ黒ずんだ夕陽。そっけない部屋の内装。すべてが同じ──いや、
アオギリの姿がない、と思ったときドアが外から勢いよく開いた。「ミストさま……!」血相を変えた彼はベッドの上の彼女に気づいて駆け寄ってくる。ミストはその勢いに驚きながらも体を起こして彼を迎えた。
「ミストさま、ご無事ですか?」
「……あ、ええ。心配いらないわ」
どうやらジュースを飲んで死んだあと、彼が前回と同じように時間を巻き戻したようだ。「よかった……」と彼は安堵し、ベッドの傍らにひざまずく。
「私の失態です。毒を持った人間をひとり捕まえたところで油断してしまいました。またあなたに死の苦痛を味わわせてしまうなんて……」
「気にしないで。アオギリさまが助けてくれたのでしょう?」
「ええ、ですが……」
──あなたには死の記憶があるはずです。
そう言われてオレンジジュースの味が舌に蘇った。胃が焼けるような苦痛を味わったことも。
死ぬ、とはあんなに恐ろしいことなのか。二度目にして寒気がするほどの恐怖に襲われる。
「俺はあなたを守りたかったのに……」
アオギリは悔しそうに唇を噛む。ミストははっとして、「あんなもの、なんてことありません」と虚勢を張った。彼のそんな姿を見ていられなかったから。
「顔をあげてください。私は──悪女です。私を殺したいほど恨んでいるものがいることくらい承知しております。死ぬ覚悟くらいできておりますわ」
「そんな……!」
「ですが──」
姿勢を正し、ミストは凛した声で言う。
「私も黙って殺されることはできません。毒殺のからくりが見えたとあっては、なおさらです」
驚いたようにアオギリはミストを見上げる。
「だれがほかに毒を持っていたかわかったのですか?」
「ええ。……正確には、いいえ、と言うべきでしょうか」
「それはどういう……?」
「まず──どこに毒が入っていたかはっきりさせましょう」
ミストは唇を舐める。ドレスアップ前で、なにもついていない薄紅色の唇を。
「私が死んだときの状況から、私たちは飲みものに毒が入っていると考えました。一度目はワイン。そして二度目はジュース……」
「……実際に、二度目のパーティではあなたがジュースをテーブルに置いた途端にあの男が不審な動きを見せたのです。一度目もこの男が隙を見てワインに毒を入れたのだと思ったのですが」
記憶をたどるように言うアオギリにミストは首を横に振る。
あの男が持っていた小瓶の中身はたしかに毒だろう。だが、
「一度目も二度目もあの毒は使われておりません」
「──!?」
「私は。飲みものに入った毒ではなく、べつのところに仕込まれた毒で死んだのです」
アオギリの表情に疑問が浮かぶ。「ですが、あなたは飲みもの以外口にされていなかったはずでは……?」
「そのとおりです」
「なら、毒はどこから……」
「最初からあったのです」
「え……」
「大広間に私が到着したときには、すでに。
私を殺した毒は────口紅の中に仕込まれていたのです」
彼は目を見開いた。「口紅……!」
ミストはこくりとうなずく。
「一度目も二度目も私は口紅に混ぜられた毒で死んだのです。そのため、毒を持った男が捕まったにも関わらず私は毒殺された……」
「騒動が起きたときに、あなたの目を盗んでだれかが毒を入れたということは?」
「考えられません。アオギリさまを見守りながら、私は胸の前でグラスを持っていましたから」
そのときのことをミストは思いだす。
そう──必要なのは、グラスに対する警戒ではなかった。グラスを見張ろうが交換しようが毒は必ずミストの体内に入るようになっていたのだから。
「では、あの男が毒を持っていたのは……」
「カモフラージュであり保険でしょう。
第一の毒が機能しなかった場合、あの男が私のグラスに毒を入れることになっていた。
乾杯のあと、私はワインを飲んだふりをしました。それなのに平然としているのを見て第一の計画は失敗したと思ったのです。だから毒の瓶を取りだした」
「カモフラージュというのは?」
「第一の毒が正常に機能した場合です。
口紅を用意した犯人は自分の身を守りたかった。私が毒殺されれば私が口にしたものが調べられて招待客の身体検査が行われるでしょう。
ですが、それでなにもでてこなければ口紅が怪しいのではという話になる。そうなればあの口紅の送り主に疑惑の目が向けられます」
実際、悪女であるミストが殺されたところでそこまで丁寧に調査が行われるかはわからないが。犯人としては用心するに越したことはなかったのだろう。
「なので、『毒を持った男』という存在が必要だった。自分が捕まらないために。私がべつの口紅を選んだときのために」
「そう、だったのですか……」
──その人物の名前は?
アオギリに問いかけられ、ミストは彼女の名を口にする。裁きを下す女神のように。
「ファッティ嬢。本名を、ファーン・トーレスといいます」
+++
濃い霧は山頂全体を覆っているようだった。ファジーフィールド家所有の城に到着したファーンは、門をくぐるなり黒髪黒目で長身の男に声をかけられて三階のとある部屋へと連れていかれていた。
社交界の噂になりそうな冷たくも美しい男だが、不思議とファーンは彼の名を知らない。廊下を歩いている途中で名を尋ねてみても「あなたが知る必要はありません」と淡々と言われるだけだった。
──私が醜いから?
いまのドレスの流行はウエストの細さを強調したものだ。自然、それを着る女性たちの体系も細くあることが求められる。
それとは真逆のファーン嬢は自分のふくよかな体型にコンプレックスを持っていた。特に──
『ファッティさま』
"デブ"をもじった仇名で呼んでくるあの女の前では。
「ミストさま、失礼します」
男がノックをして扉を開ける。ファーンははっとした。
豪奢に彩られた部屋の中には──ひとりの女。
ミスト・ファジーフィールドはドレッサーの前に座ってファーンを出迎えた。
「ごきげんよう、ファーンさま」
「……ご、ごきげんよう」
彼女が持つ神秘的な雰囲気に呑まれそうになりながら、ファーンは部屋の中に入る。男は逃げ道をふさぐように閉めたドアの前に立った。
「あの、どのようなご用件で……?」
「いえ、実はね」
ミストは手の中に握っていた口紅をファーンに見せる。
すずらんの彫金が愛らしいそれはファーンが彼女に贈ったものだった。二十歳の誕生日プレゼントとして。
「あなたにこんな素晴らしいものをいただいたでしょう? せっかくだから、ファーンさまにも使っていただきたいと思いまして」
「え……?」
「さあどうぞ、こちらへ。私が塗ってさしあげますわ」
ミストは椅子から立ちあがると口紅のふたをはずす。
ワインレッドの口紅。禍々しい血の色をしたそれは、悪女にはふさわしいはずだった。
悪女の死を彩るには。
「……どうかなさったの? ファーンさま」
「…………」
「あなたにも似合うと思いますわ。まるで、毒でも含まれているみたいにきれい……」
「──!」
ひゅっとファーンの喉から空気が漏れる。
知っている。この女は、口紅に毒が仕込まれていることを知っている──!
「さあ」
口紅を手にミストが近づいてくる。
「私が塗ってあげるわ」
悪女を殺すための毒を持った女が──。
「う、」
ファーンは耐えきれずその場に膝をついた。「や……やめて……!」
ミストは冷たい目で彼女を見下ろす。ファーンの背後に立っているアオギリも同様だった。
「……認めるのね? これに毒を入れたことを」
「…………」
「ファーンさま」
「……はい。も、申しわけございません」
神の前にひきずりだされた罪人のようにファーンは絨毯に両手をついてこうべを垂れる。
「わ、私……あなたに思い知らせてやろうと思って……!」
「…………」
「あなたはいつもいつも私の体型をバカにするけど、私だって痩せる努力をしてないわけじゃないのに! 私だって好きでこんな体型をしているわけじゃないのに! だ、だから……痛い目見ればいいんだって思って……」
「毒を持った男も今夜の会場に用意していますわね?」
「そ、そこまで……!?」
死に戻りの事実を知らないファーンは白目をむきそうになる。目の前にいるのは全知全能の神なのか。
共犯者の存在を指摘されては観念するしかなかった。その通りです、とうなだれる。
「毒はパパの会社の伝手を使って手に入れました。スティーブは従兄。金遣いが荒いからいつも金欠で──報酬をちらつかせたらすぐ食いついてきました」
「……そう」
「彼はミストさまが私の口紅を選ばなかったとき、もしくは口紅の毒が上手く飲みものに溶けなかったときの保険です。ほ……ほんとうにごめんなさい」
「それだけではありませんよね?」
「い、いえ。それだけです」
「正直に仰いなさい。嘘をつけば、それはあなたの中で腐って毒となりますよ」
ファーンは黙りこんだ。
嘘をつくことは簡単だ。けれど、他人を欺いたという事実と打ち明けられなかった真実はいつまでも胸に残りつづける。
それがいずれ腐ってしまうよりも、と彼女は言っているのだろう。
「……はい」とファーンは認めた。
「もし私に嫌疑がかかったとき、スティーブに罪をかぶせるつもりでした。あの男は捕まったら私のこともばらすでしょうけど……あの嘘つきの言うことなんてだれも信じやしないだろうから」
「そう」
「私は、ほんとうに卑怯者です……」
ファーンの告白を受け、ミストは一度目を瞑った。自らを殺そうとした犯人の言葉を心に刻むように。
「いいわ。私も存分にあなたを言葉でなぶったもの、憎まれても仕方がないでしょう」
「え──?」
悪女の口からでてくるとは思わなかったセリフにまたファーンは白目をむきかける。反省した? あの、ミストさまが?
「いままでのこと、ごめんなさい。よかったらあなたが健康的に痩せられる方法を探してあげるわ」
「あ……え……」
あの悪女が自分を殺そうとした相手を許すなんてありえない。ましてや気遣うなんて。
そういえばこの部屋に入ったときからあの厭な仇名で呼ばれていなかった。
いったいどうしたのだろう。これはひょっとして罠? ファーンは疑うが、ミストの紫色の瞳に意地悪な色はない。
なにかがあって改心したのだろうか。それとも。
それとも──これがほんとうのミストさま?
「あ、ありがとうございます……」
ファーンは安堵のあまりぽろぽろ泣きだす。
仕方のない子、とハンカチーフでファーンの頬をぬぐうミストはまるで優しい姉のようだった。
ミスト・ファジーフィールド。
三周目にして────毒殺エンドの回避に成功する。