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4 ふたりが仕掛けた罠



 自分の未来を知っているミストにはそれは挑発のように聞こえた。このワインを飲んで死んだ未来を知っている彼女には。


 ──だが。これは、自分たちの計画を実行するいい機会だ。


「ああ、そうね──」


 ミストはグラスのワインを揺らして匂いを嗅ぐ。そして「いらないわ、これ」とネルフィに押しつけた。


「えっ?」

「なんだか匂いが変なのですもの。保管が不十分だったんじゃなくて? どうせちがいなんてわからないでしょう、あなたにあげる」

「…………」


 ネルフィはこわばった顔で押しつけられたグラスを見つめる。彼女の目には紅いワインに映った自分の顔が見えているだろう。


 ──飲むか。飲まないか。


 周囲の貴族たちの目がそれとなくふたりの姉妹に向けられる。悪女の姉にいじめられている天使のような妹──その偽りの姿を壊さないために、ネルフィはどうする?


「どうしたの? 見つめてないではやく飲んで片づけなさいな。それとも」


 ミストは腕を組み、驕慢に妹を見下ろす。


「まさか、ほんとうにその中に毒でも入っていて?」


 ぴくっとネルフィの肩が震える。「まさか、おねえさま……」ネルフィは笑みを浮かべてミストを上目遣いに窺うが、姉の表情が真剣なことに気づいてその笑顔を引っこめた。


 ──もし、これでネルフィがワインを飲まなければ。


 彼女はワインが毒入りだったと知っていることになる。その上でミストが毒を飲むことを止めなかったということは──


 ──私を毒殺した犯人は、ネルフィだ。


 ミストはネルフィがどう動くかを固唾を飲んで見守る。埃でも入っているといって執事にグラスを下げさせるか? それとも零したふりをするか? さあ、どうやって逃げる──。


 だが。

 ミストが予想したどの行動もネルフィは取らず、


 シャンデリアの光にグラスを透かすと、それに唇をつけて一気にワインを飲み干した。


「────」


 ミストは絶句する。

 まさか。ボロをだすより自殺を選んだ?


「ネルフィ──」

「ああ、おいしかった」


 グラスを唇から離し、ネルフィはにっこり微笑む。そして執事に空のグラスを渡した。


「おねえさまもちゃんと飲めばよかったのに。こんな美味しいワイン、めったに味わえませんわ」

「……そうね」


 ネルフィは犯人ではなかった? それとも……?


 アオギリの意見を聞きたかったがここで接触するのは得策ではない。彼女の行動を、アオギリはどう見ただろう?


「──あ。もしかしておねえさま、ご体調がすぐれないのですか? お酒ではなくジュースにしましょうか」


 考えこんでいるミストをよそに、ネルフィは執事にオレンジジュースを持ってこさせる。そして、どうぞ、と手渡してきた。


「……あなたでも気は利くのね」

「大好きなおねえさまのことなら」


 犯人に揺さぶりをかけ、不審な動きをしている人物を炙りだす。それがミストとアオギリの計画だ。

 ネルフィはそのテストをクリアした。彼女がミストのワインを飲み干した以上、そうみなさなければならないだろう。


 ──いや、それとも。


 彼女はグラスにまだ毒が入っていないということを知っていた? 毒はこれから入れられるということ……?


 なら、とミストは次の計画に移る。


「ミストさま、お誕生日おめでとうございます」

「あら、ファッティさまでしたか。どうしてここに樽があるのかさっきから不思議でしたのよ」

「ま、まあミストさまったら……それに私の名前はファッティではなく──」

「今夜はファッティさまが誕生日プレゼントにくださった口紅をつけてみたのですよ。いかが?」

「す、素敵ですわ。サンプルを見た途端、それがミストさまにふさわしいと思いましたの」


 知人の令嬢に声をかけられたのを機に、ミストは彼女とネルフィと一緒にさりげなくテーブルに近寄る。そして話に夢中になっているふりをしてグラスをテーブルに置いた。


 ──もう一度隙を作った。さあ、どうなる?


 肥満体の令嬢を悪女らしくからかいながら(かばうのはネルフィの役目だ)、ミストはグラスが気になって仕方なかった。だれが毒を入れにくるのか……。


 そして、効果はじきに現れた。

 きゃあっと婦人の悲鳴が大広間の一角から上がる。


「なにごと?」

「さ、さあ……」


 三人が目をやると、黒髪の男が茶髪の男の腕をつかんでねじりあげているところだった。

 ──アオギリだ。不思議そうな様子を取り繕いながら、ミストは食い入るようにふたりの様子を見つめた。グラスを胸の前で持ったうえで。


 取り押さえられている男の手にはガラスの小瓶。白い粉末が入っているそれをアオギリは取りあげ、「これはなんだ」と男に低い声で問いかけた。


「お、おまえには関係ない……!」

「答える気はないということか?」

「いっ、いででで! やめろ、腕が折れる! 離してくれ!」

「なら答えろ。これはなんだ」


 アオギリに右腕をねじりあげられた男は青ざめた顔で答える。


「……く、薬だよ。心臓の。いつも飲む時間だから飲もうとしただけだ」

「そうか」

「そうだよ! なのになんだ、この扱いは! 俺がだれか知ってるのか? おまえの家なんてパパに頼めばあっという間に潰してもらえるんだぞ!」

「それはすまなかったな。詫びの印として飲ませてやろう」

「え、」


 男の腕を押さえたまま、アオギリは取りあげた小瓶のふたを片手で開ける。そして男の口元に近づけた。


「……どうした? ほら、口を開けろよ」

「…………」

「心臓の薬なんだろう? 飲まないと命に関わるんじゃないか。貴様のその反応だと──」


 ぎり、とアオギリは腕をつかむ手に力を込める。


「飲んだほうが命に関わるようだな」

「ひっ──」

「警備兵を! この男は毒を持っている!」


 貴族たちから小さな悲鳴が上がった。「はやくしろ!」アオギリに怒鳴られ、執事は我に返ったように大広間を飛びだしていく。

 捕まった男は泡を食ったように周囲を見回していた。彼と目が合ったようでミストはぎょっとする。


「貴様がだれの命を奪うつもりだったのか。あとでじっくり問いつめてやる」

「ち……ちが……」

「なにがちがう」

「ちがう! 俺は命じられただ──」


 け、と言おうとした男が息を呑んだ。「あ……ああ……」そして急にへらへらとした笑みを浮かべる。


「……? おい?」

「あは、あははははは」


 異常な反応にアオギリは小瓶をスーツのポケットにしまい、「どうした」と男の肩をつかむ。男は笑いが止まらなくなったようにげらげら笑っていた。


「おいわかるか? 愛だよ、あーい! 愛こそ恍惚! 愛がすべて!」

「……は?」

「おれはー、おれはぁー、やり遂げたぞぉー!」

「…………」


 追いつめられて頭がおかしくなったのか。それとも、ふりをしているだけか。処置なしというふうにアオギリは首を横に振り、駆けつけた警備兵に男の身柄を渡す。


 そして人混み越しにミストを見つけた。彼は周りの貴族よりも頭ひとつ高く、その鋭い視線にミストの心臓が跳ねる。


 彼はミストの目を見つめたまま、自分の手を胸にあてた。


 『あなたを守りました』──。そんな、彼女にしかわからないメッセージを込めてゆっくりうなずく。


 ミストもそれにうなずき返した。

 その後、騒動など忘れたかのようにパーティは再開されて……



 オレンジジュースを口にしたミストは、前回のように血を吐いて死んだのだった。

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