** 悪女と騎士の物語-1
それからミストとアオギリがやったことは、死を回避したときの行動を参考にして動くことだった。
ファーンの共犯者であるスティーヴを捕らえ、ファーンにはこれまでの行いをきちんと謝罪した。(余談だが、アオギリはきっちり舞台に乱入して前回と同じセリフを前回よりも上手く口にした。悪女の処刑を期待していた観客さえも感動させてしまうくらいに)
爆弾騒ぎについてはコクナーが助言をくれた。それをもとに、地下劇場での芝居が始まる前にネルフィの幼馴染を捕まえて締めあげたところ火薬の在処を吐いた。山の中に隠してあったそれらは警備兵に回収させた。
街へ降りる道はふさがれず、宿泊客以外は日が暮れる前に帰っていった。その中にはミストを刺しころした四人の男たちもふくまれている。
彼らはミストとアオギリに意味深な一瞥をくれただけでおとなしく馬車に乗りこみ、ミストを殺すどころかナイフを取りだすこともなく帰路についた。
こうして、ミストの二十歳の誕生日パーティはつつがなく終わった。
風邪を引いたと言ってネルフィが城に泊まることなく早々に帰ってしまったことだけは気がかりだったが──。
「ああ、見えてきましたよ」
霧が晴れる前にミストも馬車に乗りこんだ。
隣にはアオギリ。そして、コクナーの姿まである。
これはミストを家まで無事に送りとどけたいが主も放ってはおけない、というアオギリの悩みにたいしてコクナーがだした解決策だった。すなわち、ミストの家まで自分もついていけばいい。
なんとも気さくな王子だ、とミストは半ば感心して半ば呆れてしまった。
ちなみにコクナーとミストの【万象把握】にまつわる契約はすでに終了した。
アオギリの【死に戻り】の異能はもどったが今回は歴史の改変はおこなわれず──異能を持たないものが異能騎士団にいては大きな矛盾が生じてしまうが、異能を持っているものが王子の従者でも問題はないからだろう──アオギリはコクナーの従者のままだ。そのうち騎士団のほうに戻してあげるよ、と約束されたそうだが。
そして、馬車に揺られること三時間。やっと見慣れたファジーフィールド家の居館が見えてきて、ミストはふたりに声をかける。
アオギリは乗りこんだときと変わらない折り目正しい姿勢で座っているが、コクナーはうとうと舟を漕いでいた。「あちらですか」とアオギリが声をひそめて言う。
煉瓦造りのその屋敷に凝った意匠はないが、そのぶん温かみがあり、どの建物よりもミストは気に入っている。赤茶色の屋根が見えただけでほっとしてしまうくらいに。
「素朴でいい建物だと思います」
「そうでしょう?」
「ひょっとしたら、将来きみがあそこで暮らすことになるかもしれない」
寝ていたと思っていたコクナーが突然話に割りこんできた。「よく見ておきなよ、アオギリ」
「冷やかさないでいただきたい」
アオギリは隣にいるコクナーを睨みつける。睨まれたほうはひょうひょうとしているので、それが照れかくしなのか本気で怒っているのかミストには判断がつかなかった。
──ミストを一生守るというプロポーズについて。
あれは誤解だったと城をでるときに明らかになっていた。そういえばあの返事がまだでしたね、とミストが言うとアオギリはきょとんとして、あのプロポーズです、というミストの説明に『い、いえ! あれはそういう意味では……!』とアオギリは顔を真っ赤にしたのだった。
『あなたを全力で守りたいという意思表明のようなもので……そ、そんな、ぷろぽーずなんて大それたことを言ったつもりは』
『……なかったのですか?』
『は、はい。……いえ』
一度はうなずいたものの、アオギリはそれを撤回する。顔を赤くしたままで。
『きちんと考えたいと思います。ですから、俺に機会をください』
『機会? なんのですか?』
『あなたとふたりきりになる機会です』
彼はミストを守ってくれた。けれど、それは恋や愛情によるものではなかったのか。心残りを抱えたまま城を後にすることとなったのだった。
ミストの父親は外出中だったが、母親が一階の客間で三人を出迎えてくれた。コクナーは挨拶だけすると早々にどこかへ行ってしまったけれど。
「おかあさま、具合はどう?」
「結構ですよ。──ほら、上のおねえさまが帰ってきましたよ。レニー」
母のおなかは一目でわかるほどふくらんでいる。その中にいる尊い生命に母は優しく呼びかけ、「返事したわ」とおっとりとした笑顔をミストとアオギリに向けた。
ちなみに彼女は『この蹴りの強さは男の子ね』ともう決めてかかっていて、レナードの愛称であるレニーでもう呼びかけている。活発な女の子だったらどうするのだろう、とミストはちょっと気にかかっていた。
「ネルフィはどうしていますか?」
「それがね」と母は眉根を寄せる。「帰ってくるなりずっと部屋にこもりっきりなの。お医者さまは軽い貧血だろうから心配いらないって言うんですけれど……」
「様子を見てきます。……すみません、アオギリさま」
「いえ、私のことはお気になさらず」
どこかの殿下も行方知れずになったことですし、と彼は仏頂面でつけくわえる。それもそうだと思いながらミストは一度席を外し、妹の部屋をノックした。返事はなかったが、「入るわよ」と言ってドアを開ける。
ネルフィはベッドの上に座りこんでいた。
「……おかえりなさい、おねえさま」
「ええ、ただいま」
昨日の朝会ったときは、間違いなく妹はミストの命を奪う気でいた。
それがどうしたことか。彼女は憔悴し、昼間なのにアンダーウェア一枚でいる。
ネルフィの様子がおかしくなったのは、大広間から飛びだしたアオギリを追いかけていったあとだ。
この傷心はアオギリが思いどおりに手に入らなかったから? ミストは首を傾げるが、そこまでの執着をあの日会ったばかりの彼に持つとは考えにくかった。ならなぜ……。
「おねえさま」
暗い声でネルフィはつぶやく。
「いずれわたしはここをでることになります。わたしがおねえさまにしてきたことの報いとして」
「え……?」
「おねえさま。おねえさまは覚えてますか? わたし、おかあさまがよくつけていた紫色の宝石がついた指輪がほしかったの」
そう言われてミストの記憶がよみがえった。
そうだ──むかし、母がつけていたその指輪がうらやましくてねだったことがあったっけ。そうしたら母は、
「これはおねえさまの二十歳の誕生日にあげるつもりだから、わたしには渡せないって言われたの。……わたし、すごく悲しかった。おかあさまの愛情までおねえさまに取っていかれたような気になるくらい」
「そんなこと……」
「見捨てられればよかったのに」
ぐしゃりとシーツをにぎりしめてネルフィは言う。
「おかあさまに見捨てられればよかったのに。おねえさまなんて」
──悪女の噂は母の耳にも入っていただろう。けれど、もともとのんびりした性格の母はそれをたいしたことではないと考えていたようだ。
まともに取りあわず──ミストに注意することも噂の火消しに走ることもなく、という意味だが──姉にも妹にも変わらない態度で接しつづけていた。
それがネルフィには歯がゆかったにちがいない。
ミストが一言、母から『あなたはそんなひとじゃない』と言ってもらいたかったように。
「でも、けっきょく」
──見捨てられるのはわたしのほう。ネルフィはしわくちゃになったシーツを見下ろす。
「わたしがおねえさまにやってきたことは、おかあさまとおとうさまにぜんぶばれて」
──わたしはどこか遠いところへいくことになるでしょう。ふたりの愛情も届かない遠いところへ。
それでミストは感づいた。アオギリはコクナーの異能ですべてを思いだしたと言っていた。
もし、そのときと同じことをコクナーがミストの両親にもするつもりなら。
そして、ネルフィが覚悟しているのがそのことだとしたら。
コクナーが両親に見せるつもりのアオギリの記憶は──ネルフィの罪を暴くものなのだろう。異能を悪用して犯罪を唆した罪を。
ミストはネルフィの憔悴した姿をじっと見下ろす。
彼女の瞳は父と同じ透きとおった青色だ。それが羨ましいときもあったと正直に言っていれば、ここまで自分たちの仲はこじれなかったかもしれない。
もう、遅いけれど。
「──それで?」と彼女は妹に向けて言いはなった。
「それが私になにか関係があるの?」
「……わからないけど。でも、一応言っておきたくて」
「バカな子ね」
ミストは妹の前に立つ。そして、彼女のあごをつかんで上を向かせた。
「おかあさまとおとうさまのことなんて私には関係ないわ。私とあなたは姉妹。このことだけはなにがあっても絶対に変わらない」
「…………」
「暇だったらまた殺しにきなさい。そのときは、だれにもばれないようにね」
励ましも慰めも自分たちにはふさわしくなかった。不敵に笑うミストを見て、ネルフィは驚いたように目を見開く。
──どんな感情でも受けとめてあげる。私はあなたの姉だから。
「またふたりきりで遊びましょう、ネルフィ」
ミストが客間に戻るとアオギリはマントルピースの前に立って母からなにか話を聞いていた。
「ミストはほんとうにおてんばでね……」と言われているからなにかとアオギリを見れば、彼は写真立てを手にしているのだった。幼いときのミストの写真が入ったものを。
「よくネルフィを連れて屋敷の中を冒険していたんですよ」
「いまのミストさまからは想像できませんね」
「冒険家みたいな服を縫ってくれと言ってメイドを困らせたこともありましたねえ」
「おかあさま!」
そんな昔のことをアオギリに話さなくてもいいではないか。「やめてください」とミストはアオギリの手から写真立てを奪ってマントルピースの上に伏せる。小さなころの彼女が見られなくなり、彼はすこしさびしそうな顔をした。
「私はもっとあなたのことが知りたいのですが」
「子供のときのことなんてよいではありませんか」
「俺は知りたいです」
「そ、そう言われても──」
淑女とは程遠い子供時代のことを知られるなんて恥ずかしい。顔を赤くしたミストを見て、母はくすくす笑う。
「アオギリさま、今度はひとりでうちにいらしてください。たくさんお話してさしあげますから」
「ぜひ」
「ぜひではないでしょう……!」
真顔でうなずく彼にあわてたとき、「なんだか楽しそうな話をしてるね」とコクナーが客間に入ってきた。
いったい他人の家でなにをしていたのか。ミストは問いかけるが彼は苦笑いで肩をすくめただけだった。
「それより、きみの母上と話したいことがあるんだ。でていってもらえるかな。アオギリも」
「あなたはこの家のなんなのですか?」
「殿下、あまり我が物顔でうろつかないでほしいのですが」
「ファジーフィールド夫人、かまいませんね?」
母は目をぱちぱちさせ、「コクナーさまは自由な方なのね」とほがらかに笑った。それでは、とコクナーは彼女の隣に座る。
ミストはアオギリと顔を見合わせ、『好きにさせておこう』という答えをふたりでだした。「あとでとっておきの誕生日プレゼントがありますからね」と微笑むミストの母とコクナーに見送られながら客間をでる。
「さて……」とコクナーは表情を引きしめるとミストの母を見た。
「これからあなたには辛いものを見せなければなりません。長女であるミスト、そして次女のネルフィがあの城でどう過ごしていたかについて──」
きょとんとしている姉妹の母の前でコクナーは仮面を取った。自身の異能、【万象把握】を使ってすべてを見せるために。
すでに家にいたメイドたちには城でのできごとを見せてある。ミストの死の光景。そして、裏で糸を引くネルフィについて。
彼女たちはにわかには信じられなかったようだが──いずれ姉妹への評価をあらためるだろう。そして無邪気に噂を流すだろう。コクナーはそう確信していた。
悪女であるミストと天使のようなネルフィ。ふたりに対する世間の目が変わるには長い時間がかかるにちがいない。だが、いつかきっと真実が明らかになるはずだ。
ミストは悪女を演じることをやめて、ネルフィは自らの行いについて罰を受けることに決めた。
そしてなによりも──
「ネルフィ……。あなたの異能でだれかを操ってはいけないときつく言い聞かせてあったのに……」
ふたりの母親である彼女が認識をあらためていこうとしている。
これこそが大きな変化のはじまりになるだろうと、コクナーはまだ真実という名の過去を見ている彼女の傍らで思った。
真の悪女はだれだったのか。
いずれ、だれもが知るところになる。




