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7 時計の針は二度戻る



「──ほんとうによかった。今度こそ間に合って」


 時計台はなにも変わっていなかった。ミストの隣にいる彼も。

 一見冷たく見えるが、ほんとうは情の深いまなざしでアオギリはミストを見つめる。


 ──どうして……?


「すべて思いだしました。コクナー殿下の異能で」

「…………」

「俺はこの場所であなたを守った。そのつもりになっていた。

 ですが、そのあとであなたは俺の異能を奪い……誕生日の朝まで死に戻ったのですね」


 それはミストが一番消したかった彼の記憶だった。

 アオギリの異能を強奪したこと。そして、【死に戻り】を使って時間を戻したこと。


 このことを知ったら。

 彼は、ミストを赦さないだろうと思ったから。


「……ごめんなさい」

「どうして謝るのですか?」

「私は、あなたの異能を奪ったから……」


 十一年前。ミストに異能を一時的にであれど奪われたネルフィは烈火のごとく怒った。だれかに頬を張られたのはあれが最初で最後だった。


 あのときミストは体で知ったのだ。他人の異能を奪ってはいけない。

 それは仲がよかった姉妹の関係を変えてしまうほど罪深い行為なのだから、と。


「ふたりが生きのびるために取れる最良の策だったと思います。謝らないでください」

「ですが……」

「そのことについて俺は気にしていません。……あなたを二回も自害させてしまったと思うと、そこは心苦しいですが」


 ミストは首を横に振る。

 それを言うならアオギリもだ。彼はミストを救うために何度も自分で自分の命を奪った。苦しみを、痛みを、感じないはずがなかっただろうに。


 アオギリはミストの傍らに膝をつく。

 単純な時間にすれば一日もなかっただろう。けれど、彼の存在すべてがミストには懐かしくて仕方がなかった。


 彼は苦痛を押しころした声で言う。


「なぜ俺の記憶を消したのですか。ミストさま」

「…………」

「答えてください」


 ミストは唇を引きむすぶ。

 言いたくなかった。だが、「俺と二度と関わりたくなかったからですか?」と聞かれて「ちがう……!」ととっさに答えていた。


「私は、私はあなたを……!」


 ──あなたを、救いたかった。


「私、は……」


 答えることは簡単だ。でも、ここで素直に認めてしまってはまた同じことになる。

 もう彼が自分のせいで傷つくところを見たくなかった。私は、と息を吸ってから冷たい声で言う。


「──私はあなたをもてあそんだだけです。記憶を消したほうが後々都合がよかった。だから消した。……それだけです」

「俺が見ていたあなたはすべて演技だったと言うのですか?」

「ええ、そう──」


 ためらうな。ミストは自分に言いきかせる。

 アオギリを遠ざけるためならば心の奥まで悪女でいようと決めたではないか。


「私を救おうとしてあなたが必死になるのを見ているのは楽しかったわ。でももうそれも終わりですね。あなたの異能は私が奪いましたから」

「【死に戻り】を……」

「こんな女のために命をかけて、あげくの果てに異能騎士団から外されることになって。お可哀想に」


 嘲笑いながら、ミストは彼が自分に見切りをつけてくれることを願っていた。

 ミストが死んでも彼の感情が動かないくらい。遠い、遠い存在になってほしかった。


 だがアオギリはその場から動こうとしない。

「俺の異能を奪ったのなら……」とすこし考えこんだあとで言う。


「【死に戻り】の発動条件についてもあなたは知ったはずですね」

「ええ。相手が死んでから十二時間以内に自分も死ぬことでしょう?」

「ちがいます。……特別な相手が死んでから、です」


 ミストははっと口をつぐんだ。


「あなたが奪ってもその条件は変わらないはず。

 ──あなたが俺の異能を使って死に戻ることができたのなら。あなたにとっての俺もまた」

「……やめて」

「特別な相手だということに──」

「やめて……っ!」


 ミストは悲痛な声で叫んだ。

 なぜ、なぜ彼はわかってくれないのだろう。


「もう私はあなたが死ぬところを見たくないの。私のそばにいればきっとまた同じようなことが起こる。だから」

「だから──俺を遠ざけてひとりで生きようとしているのですか?」

「そのほうがずっとよかった」


 アオギリに他人を見る目で見られても。ミストの味方がだれひとりとしていなくなっても。


「あなたさえ生きていてくれれば……」


 それだけでよかったのに。


「そうやってあなたは俺を守るのですね。自分で自分を殺し、俺から逃げようとしたときと同じように」


 再び滲んだ涙を、今度はアオギリの指がそっとぬぐった。

「俺も同じです」ミストを慈しむように言って、まっすぐに瞳を見つめる。


「あなたさえ無事なら俺はどうなってもいい」

「そんな……!」

「ええ。これでは堂々巡りです。だから、あのときの約束を変えましょう」


 アオギリはミストの目元にあった手を動かし、彼女の指にふれる。

 優しく。けれど、けして離さないと言うように。小指をもう一度ミストの指に絡めた。


「なにがあってもふたりで生きぬくと誓ってください」

「──ふたり、で……」

「そうです。俺とあなた、どちらかが欠けた未来なんてなんの意味もない」


 どうか俺のそばにいてください、とミストを見つめて彼は言う。


 このときミストは思いしった。どこまで逃げたところでアオギリはけして自分を離さないであろうことを。

 それがどれだけの痛みを伴うとしても、ミストとふたりで生きる未来を絶対にあきらめてはくれないであろうことを。


 ──それだったら。

 逃げようとするよりも、自分から彼の腕に飛びこんだほうがずっといい。


 きっとどんな運命よりも強く。彼は、ミストを抱きしめてくれるだろうから。


「──ええ。お約束します」


 ほかにだれもいない小部屋で、時を刻むからくりだけがふたりがひそやかに歌う声を聞いていた。やがて霧が晴れ、小さな子供のように指を絡めたふたりを儚い太陽の光が照らしだす。


 窓のほうを見上げたミストをアオギリはそっと抱きよせた。彼女の銀色の髪に唇を寄せ、「これからあなたのことを教えてください」とささやく。


「俺たちはまだ、一日しか一緒にいないのですから」



 このあと、ミストは彼に【死に戻り】の異能を返し。

 アオギリは再び彼女だけの騎士となった。


 世界でたったひとりの特別なひとを守る騎士に。

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