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5 頭の中の声



 一階のテラスにアオギリはいた。白い霧を背景に、彼の黒い姿はくっきりと浮かびあがって見えた。


「どうなさったの?」とネルフィは彼の隣に立つ。


 アオギリの頬は赤かった。

「いえ、なんでも」と彼は目を逸らす。かすかに息が上がっていた。こんなに美しい容姿をしているのに女性に慣れていないのだろうか。


「顔が赤いわ……」


 さりげなく彼の腕にふれながら内心でネルフィはほくそ笑んでいた。

 愛らしい少女を抱きとめたとき、彼はどきりとしただろう。淡い恋心をいだかずにはいられなかっただろう。


 ネルフィの異能はそれを増幅させたようだ。

 彼は、もう──ネルフィのことしか考えられないにちがいない。


「風邪かしら。だいじょうぶですか?」

「……ええ。私のことはお気になさらず、大広間へ戻ってください」

「そんなわけにはいかないわ」


 ──助けてくれたお礼がまだですもの。そう言って、アオギリにこっちを向くようネルフィは彼の腕をひっぱる。


 なにかと顔を向けてきた彼の頬にお礼のキスをする。

 それで終わりのはずだった。彼は完全に自分のものになるはずだった。


 けれど。


 背伸びをして顔を近づけてきたネルフィの体を、アオギリはそっと押しかえしたのだった。


 そっと、力強く。


「え……?」


 おかしい。【感情増幅】は効いているはずなのに、どうして。


 ネルフィが戸惑っているとアオギリは「()()()()()?」と叫ぶように言った。


「え?」

「俺の中にいるのは。俺が救わなくちゃいけないのは。だれなんだ」

「な、なにを──」

「この想いはなんなんだ!」


 わけがわからずぽかんとしているネルフィの前でアオギリは髪を掻きむしる。


 ネルフィに目を見つめられてからだった。『彼女を守れ』そんな声が頭の中に響きわたった。周りの声も聞こえなくなるほどの大音量で。


 ──命をかけて彼女を守れ!


「うるさいっ、うるさい……!」


 そこまでして守らなければならない『彼女』など自分は知らない。なんだ? この声はなにを言っているんだ?


 ──自分は騎士だと証明しろ!


「騎士? 俺はちがう、」


 ──このままじゃ彼女は死ぬぞ


「死ぬ……」


 ──守れ。おまえの異能(ちから)で。死に戻りの能力で!


「俺は……そんな、異能なんて……」


 ──おまえはそうやって彼女を救ってきたんだ!


「うあああああああああああっ!!」


 うるさい。声がなにを言っているのかまったくわからない。

 そばにいる少女のことも忘れてアオギリは咆哮する。頭が痛みで割れそうだ。


 思いだせ。なにを。思いださなくちゃいけない。なにを?

 自分はいったいなにを忘れている?


「……だ、」


 いたんだ。たしかに。自分が守らなくちゃいけない相手が。


「彼女は何度も死んだ」


 彼女は何度も死んだ。毒を飲んで。首を吊って。ナイフで刺されて。


「そのたびに、俺は……」


 一緒に死んだほうがましだ。そう思った。ちがう。今度こそ彼女を救ってみせるともう動かない彼女の前で誓った。そして短剣を自分の体に突きさした。


「そのはずだったのに」


 最期のとき。俺は、彼女より先に死んでしまった。

 これじゃ【死に戻り】は発動しない。でも、彼女は生きていたから。


 それでよかった。それだけでよかった。

 彼女を守って死ぬことができた。最期に彼女を生かすことができて──アオギリは満足だった。


 あのときに自分の生は終わったはずだったのに。

 どうしてまだ、自分はここにいる?


 いったいだれの異能で俺は死に戻った?


 ──私のことなど忘れてください


 どうしてそんなことを言うんだ。


 ──あなたは、私のことなど忘れて生きて


 あなたを守ることだけが。俺のすべてになっていたのに。


「だれなんだ……」


 思いだすな。いや、思いださなくてはいけない。

『彼女』のことを。自分を思いだしてほしくないと涙ながらに願っている彼女のことを。


「あなたは、いったい──」

「答えを知りたいかい?」


 頭の中で喚く声はいつの間にか静かになっていた。その静寂にやわらかい声が入りこんでくる。

 仮面をつけた男がテラスに立っていた。


「コクナー、殿下……」


 アオギリは呆然とつぶやく。金髪の少女はすっかり怯えたようにテラスの隅に逃げていた。


 すべてを見通しているかのような碧色の瞳で彼はアオギリを見ている。


「僕の異能にはもうひとつ使い道があってね。これは異能力者には使えないんだけど……でも、いまのきみならいけるだろう」

「…………」

「僕の力は日記のようなもの。そこに書かれたものを見たいときみが望むなら見せてあげよう。きみ自身の経験として」


 どうだい、アオギリ。


 霧の中で主が問いかけてくる。アオギリの答えは決まっていた。


 どんな手を使ってでも知りたかった。『彼女』が何者なのか。この想いはいったいなんなのか。

 知らなくては、いけなかった。

 アオギリがアオギリでいるために。大事なものを忘れてしまわないために。


「──見せてください。すべてを」


 コクナーは仮面に手をかける。そうして──


 彼の感覚を通して得たものを、アオギリはすべて受けとったのだった。

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