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3 もっとも古い罪と罰



 ミスト・ファジーフィールドは自分を捨てた。



 アオギリから奪った【死に戻り】の異能を発動させた彼女は誕生日の朝まで戻っていた。無論、部屋に黒い騎士の姿はない。


 ミストは悪女である。その事実は変わっていない。

 けれどアオギリから異能がなくなったことで世界は"調整"を始めた。彼は異能騎士団に初めから在籍しておらず、代わりに第四王子の従者になったようだった。


 ミストとアオギリが死に戻ったことによる影響はそれくらいで、あとはなにも変わっていなかった。いや──正確に言えば、もうひとつ。


 ほんとうの自分を理解してほしいなどと願うことをミストはやめた。

 ──『悪女』ではないほんとうの自分をだれかに知ってほしかった。いつか彼女は、そう思いながら死んでいったこともあったけれど。


 けれど、そのせいでアオギリは死に至ったとも考えられる。

 ミストが甘えを捨てきれなかったせいで。無数の人間を傷つけておきながら、ほんとうの自分はちがう、これは本心じゃない、いつかだれかがわかってくれるなどと甘いことを考えていたせいで。


 そのせいで、アオギリという希望にすがってしまった。

 自分はまだ救われるのではないかと誤解してしまった。


 そんな考えは──もう、捨てなければならない。


 彼女は悪女の仮面こそが自分の素顔であると認めることにした。男たちを誘惑して捨てたのは妹に命じられたからではなく、自分の意思であったと。


 宣戦布告めいたことを言ってネルフィがミストの部屋をでていく。


 始まりは、そう。彼女の異能を奪ってしまったことだった。

 ネルフィの異能。【感情増幅】を。


 それからミストは両手にレースの手袋をはめるようになり、服も黒い色しか着なくなった。

 服の色は妹の命令だったが、ほんとうは自ら望んでいたのかもしれない。異能を暴発させてしまい、よりにもよってたったひとりの大切な妹を傷つけてしまった自分を苦しめることを。


 あのもっとも古い罪が今日、罰となってミストの前に現れるのなら。

 逃げずに受け入れなければならない。そうだろう。


 アオギリ(救い)など、悪女には初めからあってはならなかったのだ。


 ミストはドレッサーの前に立ち、引き出しから口紅を取りだす。

 すずらんの彫金が入った口紅。これに毒がふくまれていることをミストは知っている。


 ──これをつけてパーティにでれば、私は一度目の死と同じように死ぬことができる。


 もうアオギリは救ってはくれない。ただ、冷たい死を迎えるだけだ。


 口紅のふたを開ける手が震えた。死を、憎悪を塗りかためた紅色がミストを呼んでいる。


 この色で唇を彩ることは死神とキスをすることに等しかった。

 ──それならば。最期まで悪女らしくいようと、指先の震えを止め、凛とした表情で彼女は鏡の中の自分と視線を合わせる。


 死神さえも自分の虜にしてしまうつもりで──。


「──っ!?」


 だが、鏡に映った自分の背後に仮面をつけた男がいることに気づいてミストは飛びあがるほど驚いた。口紅が手から落ちて絨毯の上に転がる。


「だれ……っ」


 振りかえって叫んだと同時に気がついた。

 扉の前にいるのはコクナー。この国の第四王子で──いまのアオギリが仕えている人物だ。


 ──なぜ彼がここに?


 ミストが時を巻き戻す前も彼はパーティに参加していた。だから、城にいること自体はおかしくはないかもしれないが。


「やあ、ミスト」


 仮面の向こうでコクナーが微笑む。毒気を抜かれるような軽やかな笑みで。


 ──いまのアオギリはミストを知らない。だから、彼がミストに興味を持つはずがないのに……ミストはそう考えて、彼の異能について思いだした。


 彼の能力は【万象把握】。

 コクナーは──どこまで"把握"している?


「"前回"はアオギリが世話になったね」

「…………」

「でも困ったよ、彼が話した通り、僕が契約できるのは異能持ちだけなんだ。だからきみに異能を取られてただの人間になってしまったアオギリがなにを見ているか、僕にはもうわからなくなってしまった。手駒をひとつ失ってしまったようなものだ。残念だよ」

「あなたは……」


 ──どこまで知っているのですか? そう問いかける前に、「前回の、時計台での死まで」とコクナーが答える。


 アオギリがナイフで背中を刺されて。


「きみが【強奪】の異能で彼の【死に戻り】を奪い」


 時間を巻き戻したところまで、だ。


「……今日はここへその文句を言いにいらしたんですか?」


 コクナーは世界線が書き替わる前の記憶を保持しているようだ。【万象把握】の異能がなせるわざか。


 となると彼はこのすずらんの口紅が特別なものであることも覚えている。

 それを自ら塗ろうとしていたところを見られたばつの悪さに口調がつっけんどんになった。「いやいや」とコクナーは苦笑して、


「きみにふたつお願いしにきただけだよ」と指を二本立てて言った。


「お願い……?」


 王子が一介の令嬢になにを頼むというのか。怪訝に思っていると、「まずはひとつめ」と彼が言う。


「僕と契約を結んでほしい、ミスト」

「私が見たものを共有するというものですか」

「今日一日だけでいいんだ。きみの行く末を僕は見届けたい」


 すこし考えたが、それで特に問題があるとは思えなかった。「わかりました」とミストはうなずく。


「ありがとう。でね、こっちが本命なんだけど」

「……なんでしょう?」

「アオギリと契約を結んだとき、初めて見るものが見えてね」


 彼の碧色の瞳が伏せられる。物思いに沈むように。


「あれはおそらく……前世の記憶とでも言うべきものだ。そこで彼は役者をやっていた。舞台の上に立ち、強烈な白い炎で照らされて、この世界と同じように剣を振るっていた。そして……きみによく似た女性を処刑していた」

「────」

「あれはなんだろうな? もしかしたらこの世界とはまったく別の世界なのかもしれない。まあ、それはおいおい考えていくとして。

 僕はそれできみに興味を持った。アオギリの、前世の記憶。正確に言うなら……彼の前世の記憶に紐づいた強い後悔の念を通してだ」

「後悔……」


 ──この世に生を受ける前から

 ──そこで俺はあなたを殺めた

 ──あなたを助けたのは贖罪だったのかもしれない


 死に際にアオギリが言っていたのはそういうことだったのか。彼には前世の記憶があり、そこでミストとよく似た女を殺したことから彼はミストを気にかけていたのか。


 アオギリがなぜあんなにもミストに献身的だったのか、──前世というものがほんとうにあるとすると仮定すればだが──謎が解けた。

 ……そうか。彼は、ミスト自身ではなく前世で出逢った女性を救うために戦っていたのだ、と。


「その後悔に突きうごかされるようにして彼はきみを救おうとした。結果は……どうだい? きみの騎士はよくやったんじゃないかな?」

「……ですが」


 そのせいでアオギリは死んでしまった。ミストを、愚かな女を救おうとしたせいで。


「ミスト。きみはこれからどうするつもり?」

「…………」

「まさか──抵抗もせず、黙って死ぬつもりじゃないだろうね」


 そのつもりだった。

 毒でもなんでもいい。自分を殺したいだれかがいるなら、望んでこの身を差しだそうとミストは考えていた。


「そんなこと」とコクナーは言う。「そんなこと、僕は赦さないよ」


 ミストはきっと彼を睨みつけた。

 彼になにがわかるというのか。大切な相手が、自分を救ったせいで目の前で死んでいくところを見てもいない彼に。


「あなたにそれをお決めになる権限があるのですか?」

「ないよ。だから、お願いと言っているじゃないか」

「…………」

「初めてだったんだ。だれかを救いたいという、あんなに強い想いを感じたのは。何度死んででも特別なだれかを救いたいと願いつづけ、実際にやりとげようとする男を見たのは。

 その想いを無駄にしないでほしい。僕は、そうお願いしにきたんだよ」

「ですが」


 ──ですが。その想いのせいでアオギリさまは。


 ほとんど声にならない声でミストが叫ぶと、「そんなことはわかってる」とコクナーは言う。


「僕だけじゃない。アオギリもね」

「…………」

「それでもなしとげなくちゃいけないんだ。自分の力ではできないとわかっていても。だれかを救おうとするっていうのは、きっとそういうことだから」


 ミストの足元ではふたが開いたままの口紅が転がっている。

 この花についてアオギリはなんと言っていただろう。たしか……


『『純潔』や『幸福の再来』、そして──『再生』です』


 自分にはふさわしくないものばかりだ。だけど。

 一度でも、彼がふさわしいと思ってくれていたのなら。


「そうだ、言いわすれていたけど」


 コクナーは片手に持っていたなにかをミストのほうへ投げる。

 ミストが思わず胸の前で受けとったそれはすずらんの花束だった。名前の通り、鈴のような小さな白い花たちが愛らしく咲きほこっている。


 ──彼の目に自分はどんなふうに映っていたのだろう?

 この花が見合うような女に見えていたのだろうか?


「お誕生日おめでとう、ミスト。それは僕とアオギリからだよ」


 ひらひら手を振るとコクナーは部屋をでていく。

 そういえば彼はいったいいつ入ってきたのだろう。まったく気がつかなかった。


 部屋にはすずらんの清らかな香りが残される。


 ミストが花束についたメッセージカードを手に取ってみると、そこには祝福の言葉が書かれていた。


 ──《よい一日を》、と。





 アオギリ・ラミフィケーションは思いださなかった。


 ネルフィ・ファジーフィールドは覚悟を決めた。


 ミスト・ファジーフィールドは自分を捨てた。

 生きたいと願うのは恥ずべきことだと思う自分自身を。



 二十歳の誕生日が。

【死に戻り】の騎士がいない一日が、始まる。

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