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2 妹、ということ



 ネルフィ・ファジーフィールドは覚悟を決めた。

 姉を葬る覚悟だ。



 十一年前、ネルフィは一度だけ姉に異能を奪われたことがある。


 山奥にある霧の城はファジーフィールド家の別荘地として夏場によく利用されていた。吸血鬼の伝説が残るこの城を姉とふたりで探検することがネルフィにとってなによりもの楽しみだった。


 食糧庫。ワインセラー。川につづく洗濯場に、地下の劇場。姉といればなんでも輝いて見えたし、石造りの壁に残る気味の悪いシミも骨董品のような古い剣も怖くはなかった。姉が絶対に守ってくれると信じていたから。


 男の子のような遊びは両親やメイドたちには内緒だった。ふたりは大人から隠れるようにしてこっそり城の中を見てまわった。


 そして姉妹は時計台へたどりつく。

 ネルフィ副隊長、ここを我々の秘密基地にするぞ。からくりのある小部屋を姉は一目で気に入り、えらそうな声を作って妹にそう言った。はい、隊長。ネルフィも大好きな姉に迷わず従った。


 小部屋は埃っぽかったからふたりはまず掃除をすることに決めた。のろまなメイドの隙をついてモップを借り、床をきれいにして、小窓を開けて涼やかな風をふたりで感じながら休憩しているときに事件は起こった。


 ──あ、


 姉が突然頭を押さえるとうずくまったのだ。

 おねえさま? だいじょうぶ? ネルフィは不安になって彼女の腕にしがみつき、ミストにその手をにぎられて──


 ──だめ……っ!


 自分の異能を──姉に、奪われた。


 目に見えないものなのにどうしてわかったのかと聞かれれば、それは異能持ちの直感としか言いようがない。

 このときネルフィは識ったのだ。姉の異能は他人の異能を奪う類のものであること。そして、自分はずっと奪われつづけていたことに。


 強烈な異能が目覚めたことで姉は混乱して涙を流していた。

 その姿はとても美しくて。だれにも汚すことができない宝石のようだ、とネルフィは思った。


 宝石。ネルフィは母がはめている紫色に透きとおった宝石がはまった指輪が好きだった。光にあてると内部に一条の線が走ったように輝き、それはまるで雲の切れ間から太陽が射しこんでいるかのようで、その奇跡めいた美しさにネルフィは心をつかまれたのだった。


 ──ネルフィ、これほしい!


 そう言うと、いつも優しい母が困ったような顔をした。ごめんなさい、ネルフィ。これはね……。


『もうミストにあげる約束をしているの』──そんな答えを返されてネルフィは火がついたように泣きわめいた。自分の思いどおりにならないことが、大好きな母が自分のほしいものをほしいようにくれないことが悔しくて悲しかった。


 ──ネルフィにはべつのをあげるから

 ──やだ、これがいいの!


 泣いてわがままを言えばそのうち母が折れてくれる。そんな計算もあったが、これだけは母は許してくれなかった。母は大泣きしているネルフィを抱きあげると自分のジュエリーボックスの前に連れてゆき、好きなものをあげるからね、と様々な色を放つアクセサリーを見せてなだめたのだった。


 これ以上駄々をこねたらおかあさまにきらわれてしまう。そう思ったネルフィは仕方なく、自分の瞳と同じ青い色の宝石がはまった指輪をえらんだが──


 でも、ちがう。

 ネルフィがほしいものはそんなものではなかった。


 母がいつも身につけていた指輪が。母と、姉の瞳と同じ色をした紫色の宝石が。ネルフィはほしかったのに。


 いつもいつもいつもいつも優先されるのは姉だった。ネルフィがほんとうにほしいものは手に入らなかった。姉のせいで。姉が奪ったせいで。


 異能が発現した混乱が収まり、ミストの嗚咽も静かなものになっていた。ごめんなさい、と彼女はネルフィに謝る。


 ──すぐにあなたのを返すから……


 その涙に濡れた美しい白い頬を。

 ネルフィは、気がつくと叩いていた。


 ぴしゃんと水音が混ざった音が小部屋に響く。


 姉はぽかんとしていたが、ネルフィ自身も自分がなにをしたのかとっさにわからなかった。呆然としている姉を見て、じんじんする自分の手のひらの痛みを感じて、わたしはいま姉をぶったのだと知る。


 その痛みがネルフィも自覚していなかった恨みを思いださせた。

 姉が持っているドレスも髪飾りも靴もほんとうはネルフィのものになるはずだったのに。


 姉さえいなければ。


 ──ぜんぶおねえさまのせいじゃない!


 姉さえいなければ自分は母親に愛してもらえた。母が大切にしているあの指輪をもらえた。ぜんぶ、ぜんぶ姉のせいだ。


 ──待って、ネルフィ。あなたの力は……


 すぐに返せる。そう姉は言おうとしたようだが、最後まで聞かずに『そんなのもう遅いわ』とネルフィは叫んだ。


 異能を持たない姉と持っていた妹。唯一のアドバンテージもこれでなくなってしまったことにネルフィは遅れて気がつく。

 それも──他人から異能を奪うだなんて。そんな忌まわしい力。


 ──いったい、どれだけのものをわたしから奪っていけば気が済むの?


 姉さえいなければ。ネルフィは、幸せになれたのに。


 ──私はおねえさまに奪われたの。だから──


 すべて壊してやる。姉の未来も過去も。大事なものはすべて。


 ──これからのおねえさまの人生、私が奪ってもかまわないわよね?


 それが十一年前の夏の日のこと。

 姉であるミストがもっとも古く、もっとも新しい罪を刻んだ日──。


 あのあとすぐミストはネルフィに異能を返したけれど、『奪われた』という事実は消えなかった。蘇った数々の憎しみも。


 それは姉のことを愛していたぶんだけより深く。時が経つにつれ、薄れるどころか濃くなっていた。


「今日はたくさんのお客さまがくるわ」


 姉の誕生日、当日。まだ身支度をしていない姉の部屋にネルフィは行き、彼女に向けて微笑みかけた。


 ベッドに腰かけていたミストは無言でネルフィを見返す。


「おねえさまが手ひどくもてあそんだ方ばかり。おねえさま、だいじょうぶ? おねえさまが殺されたりしないかネルフィは心配ですわ」


 彼女がだれにも愛されることがないよう、ネルフィは姉に『悪女』でいることを強要した。

 美しいが悪魔より残酷な女。それが姉の世間からの評価だ。彼女の死を願う人間はたくさんいても、彼女を守ろうとする人間などこの世にいやしない。


 今日の誕生日パーティは彼女にとって敵地に飛びこむようなもの。

 ミストは、孤立無援だ。


「──そうね」


 さぞ怯えているだろう。ネルフィはそう思って様子を見にきたのだが、妹の言葉に姉はうなずくと────くすっと声を立てて笑ったのだった。


 とても優雅に。断頭台の前に立つ王女のように。


「あなたとこうして話せるのも今日が最後になるかもしれないわ。言いのこしたことはなくて、ネルフィ?」

「……そんなもの」


 なぜ姉はこんなに落ちついているのか。

 覚悟を決めたというのか? 二十歳の記念すべき誕生日に、無数の人間に命を狙われるかもしれない状況で?


 そんなことできるはずがない。すでにこの日を経験しているならともかく……


「おねえさまこそわたしに言いのこすことはないの? いいのよ、わたしを憎んで」

「憎むなんて」


 同性でも、妹でもぞっとするような艶やかな笑みでミストは笑う。


「感謝しているのよ、あなたには。私を悪女にしてくれたのだもの」


 ──どうしてこんなふうに笑える? ネルフィの焦りはさらに募った。

 姉にはなにか策があるとでも言うのか。姉の味方になるような人間は侍女のBだけで──彼女も所詮、なんの力も持たないただの令嬢でしかないというのに。


 ただの虚勢だ。──そう。最期のときを優雅に過ごしたいというのなら、妹としてネルフィもそれにつきあってやろう。

 そのぶんだけ無様に死ねばいいだけなのだから。


 ネルフィは可憐な花のようににっこりと笑う。


「たくさん遊びましょうね、おねえさま」


 ミストは微笑を崩さない。


「ええ。昔のように、ふたりきりで遊びましょう」


 ──これは、ミストが二十歳になったときにあげるのよ


 身重の母はいま父と一緒に街中にある館にいる。

 母の指にはめられている指輪は、ミストがそこへ帰ったとき彼女の指に移るのだろう。


 それだけは赦せなかった。

 それだけを赦したくないがために、ネルフィは姉に悪女でいることをしいたのだった。母の気が変わればいいと思って。


 だけど母は変わらず姉を愛しつづけていたから。

 ここで決着をつけなければいけない。ネルフィはそう思いつめていた。


 異能を乱用することは母の言いつけにそむくことになる。【感情増幅】は使い方を誤れば正気の人間を廃人にさせることもできる強力な異能だ。だけど、そんなことばれなければいいだけの話だ。


 もう手段などかまっていられない。


 二十歳の誕生日。姉を家に帰すことなく殺さなければ。


 もちろん、自分の手は一切汚さずに。

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