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1 彼女の記憶は霧の向こう



 アオギリ・ラミフィケーションは思いださなかった。

 前世の記憶も。彼女のことも。



「近々、ファジーフィールド家の長女の誕生日パーティが行われるそうだ」


 アオギリに与えられている一室に入ってくるなりコクナーがそう言った。


 彼はリヴァルド王国の第四王子だ。【万象把握】という、異能持ちと契約を結ぶことで相手が見たものを知覚するという異能を持っていることから異能騎士団の総括をしている。

 そのため"異能持ちの騎士とは"縁が深いのだが、なぜか彼はふつうの騎士でしかないアオギリを気に入って一目見るなりさっさと自分の従者にしてしまった。本人の意思も聞かずにだ。


 豪勢な城の一室に住み、コクナーが必要とすればどこへでもついていき、異能騎士団についての相談役になったり愚痴を聞く役になったりする。小さなころから騎士に憧れていてそれ以外の道は考えもしていなかったアオギリにはまったく予想外のことだったが、不思議と彼の供をするのはいやではなかった。つかみどころのない言動に惑わされることも多いが。


「ファジーフィールド……」


 書物を読む手を止めてアオギリはコクナーのほうに体を向ける。


 読んでいたのは海外の有名な脚本家が書いた戯曲だ。演技の経験はないが、脚本を読んでいると気分が高揚してついセリフを読みあげてしまうときがある。おまえは俳優になったほうがいいんじゃないか、と寄宿舎で同室だった友人によく言われたものだ。


「それが? コクナー殿下とどのようなご関係なのでしょうか」

「いやいや、僕じゃない。アオギリだよ」

「……?」

「きみもそろそろ結婚を考えてもいい年だ。どうだ、未来の妻を捜しにいくというのは」


 はあ、とアオギリは溜め息をつく。

 そういう浮ついた話は苦手だ。そのことはコクナーも知っているはずなのだが。


「興味ありません」

「ばっさり切りすてるね」

「本音です。まだそのようなことは考えられませんので」

「運命の出会いがあるかもしれないのに?」


 異能の暴発を防ぐためコクナーは常に仮面をつけている。そのせいで表情が読みにくいが、まさか本気では言っていないだろうとアオギリは沈黙を返した。


 わかったよ、とコクナーは肩をすくめる。


「なら仕方ないね。今回のパーティはちょっと面白そうだったんだけど」

「なぜですか?」

「アオギリは知らないかな。ファジーフィールド家の長女は悪女として有名なんだよ。九歳のときに年上の男を誑かしたのを皮切りに数多の男たちと関係を持ち、飽きると冷酷に捨てる──ってね。今回はその男たちが会場に押しよせるらしいんだ」

「……は? ふつう、そんな相手呼ばないでしょう」

「うん、だから呼ばれてないはずだよ。でも今回のパーティは特別で、自由参加枠なるものがあるらしいんだ。それをいいことに過去の男たちがわらわらやってくるんじゃないかって話」


 アオギリには理解不能な世界の話だ。そうですか、としか答えようがない。


「どんな修羅場になるか、アオギリをダシにして見にいきたかったのになぁ」

「殿下は……もちろん、招待状は受けとっていないのですね」

「うん。もちろん、受けとってないよ」

「…………」

「でもいいや、アオギリが行きたくないって言うなら──」

「こっそり参加するおつもりですか。私の目を盗んで」

「そ」


 悪びれずにコクナーはうなずく。急に頭痛がしてアオギリは自分のこめかみを揉んだ。

 そんなものに参加するなと言ってもコクナーは聞かないだろう。宣言通りアオギリを出しぬいてひとりででも行くはずだ。それなら最初から同行したほうがまだいい。


 まったく、とアオギリは二度目の溜め息をつく。

 色々なものに興味を持つのは彼の長所だと思っているが、さすがにもうすこし対象を選んでほしい。でないと従者の自分が苦労する。


「わかりました。本番はいつですか?」

「五月だよ。五月一日。ほんとうは一泊したいけど──」

「日帰りでスケジュールを調整します」

「ああ、僕の従者はまったく有能で困るよ」


 コクナーは大袈裟に首を振ってみせる。それには取りあわず、「詳細を教えてください」とアオギリは脚本を机に置いてかわりに手帳を開いた。コクナーは場所や時間を言っていく。


 会場である城は辺鄙なところにあるため、一泊となると少々困るが日帰りならなんとか調整がつきそうだ。さっさと行かせてさっさと帰らせよう。


 招待されていないとはいえ花束くらいは持っていくべきだろうな、と考えてからアオギリはまだその長女とやらの名前を聞いていないことに気づいた。その方の名前は、とコクナーに尋ねる。


「彼女の名前は────」


 ────ミスト・ファジーフィールド。


 万年筆を動かす手をアオギリはぴたりと止めた。

「ミスト……」なにかを探るようにつぶやき、ちらっと視線をさまよわせる。そして「ああ」と思いだしたように言った。


「私も聞いたことがあります。騎士学校時代、同室だった男がゴシップ好きでして」

「それだけ?」

「噂など。取りあう価値もないくだらないものですから」

「……そう」


 声を冷たいものにしてコクナーがつぶやいた。その声の響きを不審に思いアオギリは顔をあげたが、「ま、実際に見てからのお楽しみってことだね」とそのときにはもうコクナーの口調は元に戻っていた。


「彼女がほんとうに悪女なのかどうか、本物を見てたしかめよう」

「……はあ」


 それでなにがどうなるのか。相変わらず変なことに興味を持つひとだ、と思いながらアオギリは聞いたばかりの名前を手帳に書きとめる。忘れずに花束を頼んでおかなければ。


 ──それだけ?


 ふいにコクナーの言葉がリフレインする。……それだけ? ほかになにかあるのだろうか。

 自分はなにかを忘れている?


「…………」


 なにか。思いだすべき、大事ななにかを。


「……ああ、そうか」


 カードもつけておいたほうがいいだろう。メッセージはコクナーに任せるとして。

 やるべきことはそれくらいか。


「……まだなにか?」

「ん? べつに、なにもないけど」


 コクナーがまだドアの前に立っていることに気づいて尋ねると彼はドアノブをにぎった。「がんばってアオギリの婚約者候補を見つけようね」と笑って部屋をでていく。


「なにを言っているんですか……」


 呆れてつぶやいたときにはもうドアは閉まっていた。

 くだらないゴシップも婚約者云々も自分は興味がないというのに。また溜め息が零れる。


 アオギリは手帳を一瞥すると、ぱたんと手帳を閉じた。なんの感慨もなく。

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