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6 そしてふたりの道は分かれる



「このっ……!」


 鐘の音が余韻を残して消えていく。

 ガウデンツィはナイフをにぎりなおしてアオギリに襲いかかったが、人質さえ取られていなければ彼が負ける道理はなかった。ミストを自分の背に隠し、ガウデンツィからナイフをもぎとるとみぞおちを自分の短剣で殴りつける。


 かはっとガウデンツィは床に膝をついた。


「みす、と……」


 灰色に濁った眼がミストを見たが、そこにはもうなにも映っていなかっただろう。ガウデンツィは腹を押さえたまま床に倒れる。


 それを見届け、「ご無事ですか?」とアオギリはミストに向きなおった。ミストは黙って彼の胸にしがみつく。


「申しわけありません。あなたを……あんな、あんな辛い目に遭わせてしまった。さぞ恐ろしかったでしょう」

「……そんなことはありません」


 彼にしがみついているのはそのせいではない。

 ただ、彼が助けにきてくれたから。約束を守ってくれたから。そのことが嬉しくて、けれどどうやってこの気持ちを伝えればいいかわからなかったから、せめてこうしてそばにいるのだった。


「私は──信じていましたから」

「ミストさま……」

「ありがとうございます、アオギリさま。あなたはちゃんと私を助けてくださいましたね」

「……約束ですから」

「あなたは? お怪我などしていませんか?」

「ええ、俺は無事です」


 アオギリは優しく微笑んで答える。ミストもほっとして微笑んだが、彼がここにきたということはあのメッセージカードの言葉がなにを指ししめしているかアオギリが気づいたということだ。


 表情を曇らせたミストに「どうかなさいましたか?」とアオギリが問いかける。ミストはためらいがちに彼から目を逸らした。


「……あなたは、あのメッセージカードを見たのですね」

「はい。正確には、死に戻る前にあなたの侍女から聞いたのですが」


「それなら──」口内がかさつき、ミストは唾を飲みこむ。「私の『最古の罪』がなにかも、もうご存じで?」


 はい、とアオギリは彼女をまっすぐに見つめたままうなずいた。


「十一年前。あなたは、ここで……」


 ──自分が知っている彼女の過去。それを告げようとしたとき、背中に鋭い痛みを覚えてアオギリは固まった。


「……? アオギリさま……?」


 ミストは不思議そうに顔をあげる。そして……


「ざまぁ、みろ……」


 アオギリが肩越しに振りかえると褐色の肌の男が床に崩れ落ちるところだった。

 いつの間に背後にきていたのか。全員気絶させたと思って油断していた。


 まさか──背中にナイフを突きさされるまで気がつかなかったなんて。


「アオギリさま!?」


 ミストの位置からナイフは見えなかったが、状況から彼が刺されたのだと察する。「はやく下へ。Bに手当てをさせましょう」と急いで言うがアオギリは首を振った。


 ナイフの刃は心臓に達している。

 もう────助からない。


「……それよりも。あなたはすこしでも安全なところへ逃げてください。俺はもう、おそばにいられないから」

「なにを言ってるの……」

「ミストさま、俺は……あなたのことをずっと前から知っていました。この世に生を受ける前からです」

「え……?」

「そこで俺はあなたを殺めた。この手で」

「……!」

「あなたを助けたのは贖罪だったのかもしれない。ですが、信じてください。俺は、ほんとうにあなたが……」


 アオギリの黒い瞳がかすむ。彼の体は力を失ったようにミストにしなだれかかった。

 ミストは彼を抱きとめたが、長身の彼を支えきれず一緒に床に座りこむ。


 ついさっきミストを力強く抱きしめてくれたはずの彼の体がみるみるうちに力をなくしていく。それが恐ろしくてならなかった。


「やめて……」


 ミストの膝の上で彼のまぶたが閉じる。蒼白くなっていくその顔を見つめ、ミストは思わずつぶやいていた。


「あなたは【死に戻り】なんでしょう? なら、あなたが死ぬことなんてない。そうですよね?」


 そう言いながらミストは彼から受けた異能の説明を思いだしていた。


 彼の【死に戻り】の発動条件は"特別なひとの死から十二時間以内に"自分も死ぬこと。


 彼がひとりで死んだだけでは、発動しない。


「────っ」


 ならば。ならば自分も死ねばいい。


 そうすれば彼は助かる。また一緒に死ぬ前の時間に戻ることができる。

 そこからやり直すしかない。


 衝動に突きうごかされてミストは小部屋を見回した。男のひとりの手から零れたナイフを見つけ、それを取りにいこうとしたとき。


 アオギリが、なにかを言った。


「え……」


 とっさに聞きとれず、ミストは「なに? なんて言ったの?」と目を閉じたままの彼に問いかける。

 アオギリは口元にわずかに笑みを浮かべていて──ほとんど声にならない声でこう繰りかえした。


『あなたを、守れてよかった』


 その言葉にミストの頭は真っ白になる。


 自分はいままさに死のうとしているのに。ミストを守れてよかった、などと。


「っあ、ああ……」


 それがアオギリの最期の言葉になった。彼が息を引きとったことを本能で知り、ミストの顔がぐしゃりと歪む。


「アオギリさま! いや、いやぁああ……っ! 返事をして。返事をしてください。こんな、あ、あなただけが死ぬなんて……!」


 彼の肩を揺さぶるがアオギリの体はぴくりとも動かない。彼の体はまだ温かい。たしかに、つい数秒前まで生きていたのに。


 信じたくなかった。この世で初めてミストを守ってくれた彼が。一途に想ってくれた彼が。こんなふうに死んでしまうなんて。


「アオギリさまぁああっ!」


 ──まだ私はあなたのことをなにも知らない。それなのに。


「帰って、帰ってきて……っ」


 アオギリの体にすがりつき、小さな子供のように彼女は泣きわめいた。目の前の現実を否定しようとして。

 だが時計の針は無情に進むことしか知らない。時は──戻らない。


「アオギリ、さま……」


 レースの手袋をはめた手で目元をぬぐい、ミストはふと思いだす。


 ここは彼女が初めて罪を犯した場所。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。


「────」


 ……そうだ。アオギリの異能が【死に戻り】なら、自分がそれを奪えばいい。

 発動条件は満たしている。特別なひとは、アオギリは、こうして死んでしまったのだから。


「……どうか赦してください。アオギリさま」


 ミストは手袋をはずす。

 あれから一度も日の光にあてたことがない腕は骨のように白い。


「あなたの異能────私が奪わせていただきます」


 ミストの異能は【強奪】。

 素手で触れた相手の異能を無条件で奪う、特殊で、かつ忌まわしい力。


 このせいでミストは悪女として生きることを強いられていた。こんな異能などほしくなかったとずっと思ってきた。けれど。


 この力で、アオギリを救えるのならば。


 ミストは手袋を脱いだ右手でアオギリの頬に触れた。

 触れられた相手に拒否権はない。問答無用でミストはアオギリの【死に戻り】を奪う。その瞬間、彼が自分に告げていなかった異能の詳細についてもミストは識った。


 この力を使えば、自分と相手の命を救うためのターニングポイントのひとつに必ず戻れるということ。そして、世界線を書きかえる前の相手の記憶を保持させるかどうかを選べるということ──。


 ミストの答えは決まっていた。

 アオギリはミストを救おうとして死んだ。それならば。


「──私のことなど忘れてください」


 たとえ、ミストの知らないところでどんな因縁があったとしても。


「あなたは、私のことなど忘れて生きて」


 自分と関わらないほうが彼は幸せだった。そのことだけはたしかだ。


 だからこれからミストはふたつのことをやらなければならない。

 アオギリの後を追い、時間を戻す。そして。


 二度と彼がミストを守る気を起こさないように。

 悪女を、極めることだ。





【第三章 終幕】

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