5 残された時間
アオギリは死に戻った。だが、近くにミストはいない。
──なぜ?
ミストには伝えていなかったが、アオギリの【死に戻り】にはもうひとつの大きな特徴がある。それは必ず、特別なひとの死を回避するための分岐点に戻れるということだ。
だから、朝彼女と別れる前に戻ってカードの呼びだしに応じないよう忠告できると考えていたのに。
アオギリがいるのは自分の部屋。窓の外はすでに明るかった。朝に立ちこめていた霧はすっかり晴れている。
──いまは? 何時だ?
懐中時計を確認すると11時45分。ファーンの部屋にミストを迎えにいこうとする前だ。
朝にミストと別れてから数時間が経っている。
──ここから運命を変えられるのか?
自分に【死に戻り】の異能を与えた神に問いたかった。
ミストはもうカードのメッセージを見たのか。すでに呼びだされた場所へと行ったのか。
彼女はいったい、どこにいる?
自分がひとつ過ちを犯したことに気づいてアオギリはちっと舌打ちした。
死体を検めるだけでは足りなかった。彼女の血の跡をたどり、ミストがどこで殺されたか明らかにしなければならなかったのに。
だがもう一度同じ道筋をたどる気はない。
このループで、必ず。ミストを助けてみせる。
「どこだ……」
死に戻ったことにより、ファーン嬢とミストの侍女の部屋を訪っただけの時間を稼ぐことができた。この時間を遣えば──彼女を救うことができるはずだ。
彼女がいる場所を突きとめることができれば。
最古の罪。思いだせ。
ミスト・ファジーフィールドはこの城でなんの罪を犯した?
アオギリは記憶にある脚本の筋書きをたどる。
脳裏に閃くものがあった。あそこだ。あそこに彼女はいるにちがいない。
アオギリは逸る気持ちを抑えきれず、自分の部屋を飛びだすと目的の場所へと全速力で駆けていった。
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四度目の死から目覚めた彼女は小部屋にいた。
そのことに彼女は戸惑う。てっきり、いままでと同じように自分の部屋で目覚めると思っていたからだ。
──アオギリさまは?
周囲を見回すが彼の姿はない。ぎしりと梯子が軋んでミストは期待したが、現れたのは病的なまでに痩せた男──ガウデンツィだった。
「ひどいじゃないか、ミスト。僕は待ってたんだよ。きみがきてくれることを」
どうして。どうして彼はこない?
連続で彼の異能を使いすぎたのか? そのせいで力が弱まったのか?
前回同様、ガウデンツィはわけのわからぬことを並べ立てる。表情こそ変えなかったが、状況がいままでの死に戻りとちがうことにミストは焦っていた。
ほんとうに彼はここへくるのか。
──悪女の罪は、【死に戻り】の騎士でも救えないほど重いものなのか?
「そうだ、ミスト。今日はいろんな人間を用意している」
「……知っているわ」
「おや、そうかい? それじゃまるで予知の異能だね」
ガウデンツィはミストの言うことなどまともに受けとめていない。
梯子を軋ませて部屋に入ってくる男たちはやはりみな正気を逸した表情をしていた。
──これから起きるのは。
彼らがナイフを取りだしたのを見て体がすくむ。
前回、ミストはあれで滅多刺しにされた。恨みをぶつけるように。彼女の体に消えない痕を刻みつけるように。
今回もそうなるのか。
アオギリは間に合わなかったのか。
ミストは祈るように自分の胸の前で両手をにぎりあわせる。
彼女が祈るのは神ではなく──自分と同じ、ただの人間だったけれど。
「きみの罪を僕たちが罰してあげるよ、ミスト」
いつの間にか息がかかるほど近づいてきていたガウデンツィが空虚に笑う。そして、彼が果物ナイフを振りあげたとき。
「ぐっ……!」
一番後ろにいた知的な男がうめき声をあげて倒れた。部屋にいただれもが驚いて音がしたほうを見る。
そこにいたのはアオギリ・ラミフィケーション。
自身の短剣を鞘に入れたまま構えた彼は、一同が驚いている間に次の動作に移った。
腹を短剣で殴られ、浅黒い肌の男が声もなく崩れ落ちる。
「あ、あ……」
アオギリの視線が自分に向いた。恰幅のいい男は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなり、アオギリが男の首を締めあげて気絶させるまで指一本動かせなかった。どさっと土嚢を落としたような音と振動とともに男の体が床に倒れる。
「…………」
ガウデンツィは黙ってそれを見ていたが、おもむろにミストを抱きよせた。骨っぽい体を押しつけられて彼女がぞっとしたのも束の間、喉元にナイフを突きつけられる。
「動くな」
アオギリはふたりを見る。
「よくも邪魔をしてくれたな。けど……、おまえがそこから一歩でも動いたらミストがどうなるかわかるよな?」
「…………」
「武器を捨てろ」
アオギリは無言で短剣を床に捨てた。「ほかに隠し持っているものは?」彼は首を横に振り、ガウデンツィはふんと鼻を鳴らす。
人質に取られたミストは自らのうかつさを責めていた。あっけに取られていないでさっさとこの男から離れるべきだったのに。
なにか、打開策はないか。なにか……。
そのときアオギリと目が合った。彼の黒い瞳は思わず見とれそうになるほど澄んでいて──心配はいりません、とミストは言われた気がした。
──あなたのことは俺が必ず助けます。だから
「飛び降りろ!」
ナイフをミストの首に突きつけたままガウデンツィが叫ぶ。
「僕たちの時間を邪魔した罰だ。死ね、死んじまえ!」
「……おまえは、ほんとうにそんなことで彼女を自分のものにできると思っているのか?」
「は?」
「憐れだな」
「……!」
いいから飛び降りろ、とガウデンツィはわめいた。「おまえになにがわかるんだ、おまえに、おまえなんかに、ミストのなにが──」
そのとき、耳を聾するほどの音量で十二時の鐘が鳴った。
ここは時計台。鐘は昼と夜の十二時に自動で鳴る仕掛けがされており、城全体に音を届けることを目的に作られているため、鐘のすぐそばでその大音量を聞いたものは一瞬なにが起きたかわからず固まるしかなかった。
このことを予期していた人間以外は。
──ミストさま、こちらへ!
鐘の音にかき消されていたが、アオギリはたしかにそう叫んだ。そしてミストに手を差しだす。
──アオギリさま……!
油断したガウデンツィの腕を振りほどき、ミストは無我夢中でアオギリの胸に飛びこんだ。ガウデンツィとはちがう、たくましくしなやかな腕に抱きしめられる。
すみませんでした、と彼に言われた気がした。声は聞こえなかったけれど。
──俺が至らなかったせいであなたをあんなひどい目に遭わせてしまった……
ミストは首を振る。そんなことはない。アオギリは、またこうしてミストを助けてくれたのだから。
たとえ何度残酷に殺されたとしても。
それだけで、充分だ。




