4 死後裁判
いやあああっ、とどこかで悲鳴が上がった。二階のバルコニーに到着したばかりだったアオギリははっとして声がした場所にすぐに向かう。ミストの悲鳴だと思ったから。
しかしたどりついてみればそれは城内を散策していたらしい貴婦人の声で──彼女は、目を見開いて石造りの窓の向こうを見つめていた。
「どうされました?」
「あ、あ……」
ふらりと失神した彼女を連れの夫人が抱きとめる。彼女たちを気遣う余裕もなく、アオギリは窓に飛びついた。
目に入ってきたのは城の中庭で男たちがなにかを引きずっている光景。黒く、細長いぼろきれのようなそれをすぐには人間と認めることができなかった。
……ミストさま?……
彼女が引きずられたあとには赤い血の筋ができていた。出血している……。その事実に気がつき、アオギリは矢も盾もたまらず駆けだした。階段を駆けおりて中庭へと急ぐ。
アオギリが到着するまでの間にほかの人間も中庭に集まってきていた。招待客の貴族だけでなくメイドや執事の姿もある。みな血まみれのミストのほうへ寄っていっており、砂糖にたかる蟻のようだとアオギリは思った。
「──なにをしている!」
アオギリが怒鳴ると四人の男は人形のような動きで一斉にこちらを見る。顔はだれもができそこないの仮面のように歪んでいた。
なんだ、こいつらは。アオギリは怯みそうになったがミストを彼らから解放するのが先だ。懐に手を入れて短剣をにぎりしめる。
「あ」と病人のようにやせ衰えた男が口から息を吐きだした。
「吊るせ」「吊るせ」「これは裁判だ」「邪魔をするな」「おまえは何者だ?」「吊るせ」「悪女を」「彼女を」「僕たちのミストを」
「邪魔をするな」
アオギリはふと自分を見ているのが四人の男たちだけではないことに気がついた。近くにいた執事と貴族の男の手が伸びてきて、意表を突かれたアオギリは地面に組み伏せられてしまう。
「離せ!」
跳ねのけようとしたが尋常ではない力で押さえこまれ、もがくことしかできない。どちらの男も力がありそうには思えないのに。
──異能で操られている……?
その可能性がちらりと頭をよぎった。だったら主導者を倒さなければ意味がないが、もし遠隔操作ができるならわざわざ中庭まできている確立は低かった。くそ、と歯がみする。
──誤った……!
四人の男はミストの髪を大樹の枝にくくりつけて彼女を吊るす。ぶらんと彼女の両腕が垂れ下がり、残酷な処刑を思わせるその光景にアオギリは目を背けそうになった。だが執事の男がアオギリの髪をつかむと強引にミストのほうへ向けさせる。
ご覧になりなさい、と執事に言われた。「これがあなたが起こしたことの結末です。グッド・エンド!」
──なにがグッドエンドだ。ふざけている。
たとえこれが彼女が悪女を演じてきた結果だとしても、こんな見せしめのような死を迎えていいはずがない……!
「それでは」と病人のような男が言った。
「これよりミスト・ファジーフィールドの裁判を行う」
おおおっ、と見物客たちから歓声が上がった。
病人のような男:彼女は十一年前、僕を誘惑したのを皮切りに男たちの間を渡り歩いた。僕と当時の婚約者の婚約は破談。僕は精神的なショックを受け、寝つくようになってしまった。爵位こそ継いだが実権を握っているのは弟だ。僕は家では子供に夢中になって家名に泥を塗った変態性欲者扱いだ。これはすべてミスト・ファジーフィールドのせいである。彼女には死刑がふさわしい。
傍聴人:賛成!
浅黒い肌の男:俺はミストが悪女と知ってて声をかけた。七、八年前、なんとか子爵との熱愛が噂になってたときだったかな? 俺が誘うとこの女はあっさり俺に乗り換えたが、いざ事に及ぼうとしたらひとつ条件があると言ってきた。なんだ、と俺が聞くとどうしてもほしいものがあるという。それを手に入れてくれたら私をあげる、というわけだ。
ミストがほしがったのは『孔雀の羽』と呼ばれる希少な宝石だ。値段はふざけたことに時価だとよ! 国王だって正規のルートじゃまず手に入らねえ。だが俺はそれが闇カジノの景品になっているという情報を聞いて潜入し……運だけでそいつをもぎとろうとした。実際、いいところまではいったんだ。だがよ……
(男、自分の左手の薬指を見せる)
浅黒い肌の男:あともうちょっとで手に入る、というところで負けがこんじまった。あっという間に赤字よ。あれはカジノ側が操作しているとしか思えねえ。
とにかく俺は『孔雀の羽』どころか自分の飯にも困るようになっちまって……金が払えないと知った運営は俺の指を一本持っていきやがった。ここでのことはすべて忘れろって言ってな。
俺はミストに会いにいったよ! おまえがほしいものは手に入らなかったが、それでも俺はおまえを愛していると言うためにな!
だが、もうミストはべつの男とよろしくやっていた。俺は門前払いだ。こんなになっちまった俺は家にも戻れやしねえ。俺にもこいつに死刑を求刑する権利がある、そうだろう?
傍聴人:賛成! 賛成!
恰幅のいい男:いやはや、このようなドラマティックな話のあとでは語りにくいですな。なにせ私のはどこにでもある恋物語でして。(おどけた仕草に聴衆がどっと沸く)
ええ、ええ、ほんとうにどこにでもあるお話なんですよ。親子ほど年の離れた彼女に私は心を奪われてしまい、彼女がほしがったものをすべて買ってあげるために財産を貢いだ。足りなくなったら借金もした。友人たちはおまえは騙されていると忠告してくれましたが、逆にそれが私を煽り立ててね。おまえに彼女のなにがわかるんだ、とこうムキになってしまったわけです。
気がついたら私にはなにも残っていませんでした。ミスト嬢すら私に見切りをつけるといずこかへ去ってしまっていた。信じられますか? 私に見返りを与えることさえなくですよ?
こんな女は死ぬべきだと思いますね。
傍聴人:賛成! 賛成! 賛成!
知的な男:私はミストさまの妹のネルフィさまと婚約しておりました。私の家とファジーフィールド家はとても仲がよく、私たちの運命は私たちが生まれる前からほぼ決まっていたようなものです。
私もネルフィさまを愛しておりました。しかし、ミストさまは悪魔の化身であり……私の心を誑かすと……彼女以外考えられなくなるほど骨抜きにしてしまった。気がつくと私はネルフィさまとの婚約を白紙にしていました。
すべてミストさまのせいです。その証拠に、私が彼女と婚約しようとしたら彼女は鼻で笑ってこう言いましたから。
『だれのものでもないあなたに興味なんかないわ』
彼女はネルフィさまのものがほしかっただけなのです! なんという悪女でしょう!
みなさま、彼女には死刑がふさわしいとは思いませんか!
傍聴人:賛成! 賛成! 賛成! 賛成!
傍聴人:死刑! 死刑! 死刑! 死刑!
シュプレヒコールが沸き起こる。老若男女、だれもが拳をつきあげて『死刑!』と叫ぶ。
興奮が最大限に達したところで、病人のような男、一礼。
病人のような男:ありがとうございます。
病人のような男、懐から血にまみれたナイフを取りだす。
病人のような男:すでに私たちが彼女に留めを刺してしまいましたが。本番はこれからです。
みなさま、ミスト嬢が憎いですか?
(拳をあげる観衆)
彼女を殺したいと願っていますか?
(足を踏み鳴らす観衆)
では、みなさまで彼女を死刑にしましょう。ひとり一殺。ナイフでこの悪女の体を刺していくのです。
歓声と拍手。中庭は異様な空気に包まれる。
アオギリはもがくが拘束は外れない。
アオギリ:やめろ……
病人のような男:では、僭越ながら私から……
アオギリ:やめろ! 彼女をそれ以上傷つけるな!
アオギリの制止は興奮しきった観衆の声にかき消される。
病人のような男、木に吊るされたミストの前に立つとナイフを振りあげる。
暗転。
気がつくと中庭は静まりかえっていた。
人の気配はしない。鳥の声も聞こえない。
どくどくと全身の血が脈打っている。あちこちが熱く、肉が空気にさらされている感覚があった。よく見ると自分の体は切り傷や打撲傷だらけだった。
しんと静まりかえった中庭で──。
アオギリは、短剣片手に立ち尽くしていた。
足元には死体。無数の死体。仕立てのよいタキシードもドレスも執事服も仲良く血にまみれている。だれもが目を見開いていて、自分が死ぬなどと思っていなかったことを窺わせる。
……俺はなにをしていたんだっけ?……
地面に真っ赤な血が浸みこんでいく。靴まで血まみれだ。中まで濡れたようで、足が気持ち悪かった。
……こいつらを止めなければ、と。そう思っていたはずだが
目に映るのは殺戮のあとでしかなかった。
ナイフを持っている人間は数えられるほどしかいない。ほとんどは丸腰だ。それなのに自分は殺したのか。騎士でも兵士でもない人間たちを。
……だが、悪人ではあったはずだ。
彼らはアオギリの特別なひとを傷つけようとした。だから……。
「……ミストさま……」
彼女は変わらず木に吊るされている。アオギリが足を踏みだすとぐちゃぐちゃと気持ちの悪い音が地面で鳴った。血の臭いは鼻が利かなくなるほど強烈だった。
彼女を木から外そうとしたが、髪がからまっていてうまく解けない。すみません、とつぶやいたあとでアオギリは短剣を彼女の髪にあてた。血に濡れた刃物の切れ味は落ちていたから、時間をかけて髪を切っていく。
やがて彼女は自分の腕の中へと落ちてきた。
彼女の体は、もう、冷たい。霧を抱きしめたかのようだ。
短剣を捨てて彼女の体を抱きしめる。彼女の体は刺し傷だらけだった。いつか彼女を抱きしめたときよりも体が軽く感じられるのは……血が体からでていってしまったからか……
「ミスト、さま……」
やり直さなければ。彼女を救わなければ。
そう思ってアオギリは短剣を拾おうとしたが、死体の調査を行うよう彼女に言われたことを思いだした。
機械的な動きで彼女の体を地面に横たえ、傍らに膝をついて傷をひとつひとつ調べてゆく。
比較的古い四つの傷が一番深そうだが、これだけでは死ねなかっただろう。失血死か。最期のときがすこしでも安らかだったことを祈ることしかできない。
メッセージカードが彼女の胸元から覗いていたが、血まみれでもう用をなしそうになかった。
なぜ彼女はひとりで呼びだしに応じたのだろう。ひとりで行動することが危険なことはわかっていたはずなのに、なぜアオギリを伴わなかったのか。
自分は信頼されていなかったのだろうか?……
眠っているような彼女の死に顔はアオギリのことを忘れたかのようで胸が痛んだ。そのとき、アオギリは彼女の左手がなにかをにぎっていることに気がつく。
いや、にぎっているのではなく、これは……
「…………」
ゆびきり。
アオギリと約束を交わしたときの形で、彼女の時が止まっているのだった。
そのことに気づいたアオギリの瞳に、涙に似た光が宿る。
彼はミストの手を両手でにぎりしめ、はい、とうなずいた。
──俺があなたを助けにいきます。必ず。
それがたとえ、あなたの最古の罪を暴く結果となったとしても。




