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1 ネルフィ・ファジーフィールドは飽いている



 ネルフィ・ファジーフィールドは飽いている。


 姉を憎むものを一ヵ所に集めれば必ず面白いことが起きるはずだった。だが結果は爆弾が地滑りを起こして夜のうちに帰るはずだった貴族たちも泊まることになっただけ。


 その上。

 あの舞台を見てミストに幻滅するはずだったアオギリは、彼女を軽蔑するどころかさらに想いを深くしたように見えた。


 ミストを憎んでいる貴族たちが強制的に一泊させられたらなにか起きそうな気がするが、どうやら彼は姉の部屋を夜通し見張ることにしたようだ。名うての騎士に守られては不埒な考えを起こすこともできないだろう。


 どうして彼はここまでして姉を守る?


 恋は盲目というやつなのか。それともなにか特別な事情があるのか。

 どちらにしても──気に食わない。


 彼の婚約の申し出を姉は曖昧に濁したようだが、悪女の姉にまともなもらい手がないことなど彼女は自分でわかっているだろう。彼を逃がせば永遠に未婚になるか、どこかの独身中年貴族のような年齢の離れた相手に嫁がされることは目に見えている。ミストが答えをだすのも時間の問題だ。


 その前に清算してやりたかった。

 悪女とはどういう存在なのか思いださせ、"自分の手をひとつも汚すことなく"粛清してやりたかった。


 そうすればネルフィは──


 周りには悪く言われているけれど大好きだった姉が死んで傷心している健気な妹、という次の仮面をつけることができるのだから。


 ──あなたが生まれて二十年。もう、充分堪能したでしょう?


 深夜。自室で考えことをしていた彼女はベッドから立ちあがり、どの部屋にだれが泊まっているかを思いだす。


 火種は数えきれないほどある。あとは、着火するだけ。



+++



 ミストの誕生日が終わり、知らない朝がきた。


 開けたままのカーテンからは瑞々しい朝陽が射しこんできている。のどかに小鳥はうたい、部屋の時間はゆっくりと流れ、ベッドに横たわっている女が三回も殺されたことなどなかったかのようだ。


 いや──そのうちの一回は、殺されたとは呼べないけれど。


 アオギリが起こしにくるよりもはやく目覚めたようだ。ミストはベッドからでて、身支度をしたあとでドアノブをつかんだ。音を立てて開くと、廊下の隅に座っていた彼がはっとしたように顔をあげる。


 彼は眩しそうにミストを見つめた。


「おはようございます、ミストさま」

「アオギリさま。……おはようございます」


 こうしてミストが無事に朝を迎えられたのはすべてアオギリのおかげだ。「どうぞ、中に」とミストは彼を誘う。


「お疲れではありませんか?」

「心配はいりません。寝ずの番には慣れています」


 部屋に入って扉を閉め、アオギリはそう答える。たしかに彼の表情はしっかりしているが、一晩中なにかを見張っていた経験のないミストは彼の体が気がかりだった。


「部屋で休まれてはいかが? その間、私は侍女とおりますから」

「お言葉ですが、その侍女が味方だという保証はどこにもないのでは?」


 ミストつきの侍女は身元のたしかな女だが、だれがどこで繋がっているかわかったものではない。悪女に遊ばれた男の身内ということも考えられる。

 そうですね、とミストは認めた。


「では──ファーンさまのお部屋にいましょう。そろそろお見舞いにいかなくてはと思っていたところです。彼女は絶対に私の味方でしょう?」

「……そうですね。あのひとのところならば」


 アオギリは思慮深い表情でうなずく。

 このままミストをつきっきりで見張っているのと、一度休んで体力を万全にしてから護衛に臨むのとどちらか得策か考えたにちがいない。選ばれたのは後者だった。


「あなたが朝の支度を終えたら、彼女の部屋まで送っていきましょう──」





 微妙に濃淡がちがう黒いレースを何重にも重ねあわせたドレスをアオギリは『うきよえ』のようだと褒めた。ミストは初耳だったが、東洋に伝わる絵画らしい。

 そのことはよくわからなかったが侍女の手で着替えを済ませた彼女を見てアオギリが頬を染めていたので、ミストはいい気分でファーンの部屋へと向かった。アオギリが開けたドアをくぐる。


「ファーンさま、ご加減はいかが?」


 あらかじめメイドを通して来訪の意は告げてあった。ドレス姿でソファに座っていたファーンは、「ミストさま、アオギリさま……」とか細い声でつぶやく。


「わたし……わたし、ほんとうに申しわけないことを……」

「それはもういいわ。体調はいかが?」

「だいぶよくなりました。このままなら、なにもしなくても痩せられるかも」


 ファーンは力なく笑う。「その前に倒れちゃうわよ」とミストは優しく言い、アオギリに部屋をでていくよう目で合図した。

 彼は頭を下げると部屋の扉を閉めて去っていく。


「悪夢を見ていたようです。とても、リアルな……」とファーンはつぶやいた。表情は影を帯びており、前回別れたときの彼女とは別人のように見えた。


 どんな悪夢だったのか。ミストが尋ねる前に彼女は顔をあげる。


「あの方と随分仲良くなられたのですね?」

「……ええ。そうかもしれないわ」


 ミストはソファに腰を下ろした。ファーンと一緒にきているメイドはおらず、部屋にはふたりきりだ。


「うちのメイドが仕入れてきた話によると、アオギリさまはパーティであなたに求婚なされたとか」

「あら、耳が早いのね」


「で、どうなのですの?」ファーンは身を乗りだす。「あの方とご婚約されるのですか?」


「……まだ決めていないわ」

「すごく素敵な方ではありませんか。特にあの目がいいわ。東洋人の目ってどうしてあんなに神秘的なのでしょう。ミストさまとアオギリさまの子供はどんなにか愛らしいでしょうね……」

「気が早いわよ!」


 ファーンはくすくす笑う。まだ顔色は悪いが、恋の話に花を咲かせている彼女は楽しそうだった。


 悪女の噂をされるのはもう慣れた。けれどこんなふうに騎士とのまっとうな恋愛話をされるのは慣れておらず、ミストの頬が熱くなるが、友人がこんなに楽しそうにしているのだからもうしばらくつきあってあげたい。


 なのでミストはファーンがアオギリについて聞いてくるままに話した。特に舞台に乱入した話をファーンは目を輝かせて聞き、「なんて立派な方……」と溜め息をつくほどだった。


「あの方は本物の騎士ですわねぇ……」


 昼近くまでふたりの話はつづき、それはひとつのノックで中断された。


「はい?」


 アオギリか。昼食を持ってきたメイドか。特に不審には思わず、ミストはファーンが返事をするのを見守るが──


 入ってきたのはミスト付きの侍女で。

 彼女はミストにあるメッセージカードを持ってきたのだった。


 処刑場への呼びだし状を。

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