6 【死に戻り】の騎士よ、悪女の死の謎を解け
「簡単な話です。現場は密室でだれも入れなかった。異能も使われていない。ならば」
──部屋の中にいた人間が、あなたを殺したとしか考えられない。
「この場合の部屋の中にいた人間とは、あなた自身です。ミストさま」
ミストはまぶたを閉じる。
子供でもわかる単純な式だ。1+0=1。部屋の中のひとりに足されても引かれてもいないのなら、その"1"が犯人。
ミスト・ファジーフィールドは、自分で引き裂いたシーツをロープがわりにして首を吊ったのだった。
「わからないのは動機です。なぜあなたは自害しなければならなかったのか──?」
「…………」
「これ以上殺されることを恐れたのですか?」
「いいえ」
「数々の恨みを買ったことを悔いてのことですか?」
「いいえ」
「それならば、なぜあなたは……」
「わからないのですか」
ミストはぴしゃりと彼の言葉を跳ねつけた。瞳にうっすらと涙の膜を張って。
「殺されることなど恐ろしくはありません。数多の恨みを買ったことなど悔いてはおりません。
私を信じてくれるあなたが傷つくかもしれないことに比べたら、そんなもの」
第三の日に彼女は知ったのだった。
彼はミストを必ず守ってくれること。けれど、それを快く思わない貴族たちもいるということを。
自分が殺されるだけならいい。悪女としての報いなら受けるだけだ。
でも、もしアオギリにまで危害が及んだら? 取りかえしのつかない事態になったら?
そんなこと──考えるだけで恐ろしかった。
「あなたのことを私は守りたかった……」
「…………」
「初めてだったのです。私のことを守ってくださる方は。私を、悪女ではない私を見てくださった方は」
だから、彼が守ってくれた命を捨ててもアオギリを守ろうとした。
「常識から外れた異能を持つ相手がいればあなたは私の護衛をあきらめると思っていました。……まさか、あのような方がここにいらっしゃっていたとは」
コクナーの存在は完全に誤算だった。彼の異能さえなければ、どうにかアオギリを説得してミストの生存をあきらめさせたのに。
「ごめんなさい……」
アオギリはベッドの傍らに立つ。
彼の顔を見ることがミストにはできなかった。花の刺繍が入ったシーツをくしゃりと握りしめる。花びらが落ちてしまえばいいと願いながら。
「私は──あなたの重荷になってしまったのでしょうか」
「……いいえ。いいえ!」
ミストは震える声で叫びながら首を振る。「私はあなたに守ってもらえて嬉しかった……! ですが、でも、だからこそ」
アオギリを、悪女の自分から遠ざけなければならないと思ったのだ。彼が巻きこまれないように。
アオギリは片膝をつくとミストの手に自分の手を重ねる。よく鍛錬していることがわかる、武骨で大きな手を。
「ミストさま。この世にあるすべての異能には発動条件があることをご存じですか?」
「え?……ええ、なんとなくは」
異能持ちは例外なく自分の能力の詳細と発動条件を知っている。だれに教えられることもなく、だ。
ミストもそうだったからそれはよくわかっている。
アオギリはうなずいた。
「コクナー殿下の場合は異能持ちと契約を結ぶことです。契約さえ結べば常時好きなときに発動できますが、相手が破棄すればそれで終わり。あくまで受動的な能力なのです。ほかにも、相手の瞳を三秒以上見つめることや握手を交わすことが必要なケースもあると聞きます」
「あなたの場合は……?」
「俺の場合は──」
アオギリはミストの手を上からにぎりしめる。
「世界でたったひとりの特別なひと。そのひとが亡くなって十二時間以内に自分で自分を殺す、または死ぬことで発動するのです」
「────」
「だから。……だからどうか、あなたの護衛をあきらめろなどと言わないでください」
──あなたを守ることだけが、私のすべてなのですから。
てっきり彼の死だけが条件なのだと思っていた。まさか、もうひとりの死が必要だったとは。
世界でたったひとりの特別なひと。その言葉を胸の中にそっとしまいこみ、ほんとうによろしいのですか、とミストは尋ねる。
「私などで、ほんとうに……」
「あなたしかいません。……あなたが俺を知る前から俺はあなたを知っていました。ほんとうのあなたを」
だからどうか、このままあなたを守らせてほしい。そう言われてミストはうなずくことしかできなかった。口を開けば小さな子供のように泣いてしまいそうだったから。
彼がどうしてここまでミストを想ってくれるのかはまだわからない。でも、その想いをありのまま受けとめたかった。彼の真摯な想いを──。
ミストが落ちつくまでアオギリは待ち、約束です、とミストの手を取って自分の小指と彼女の小指を絡めさせる。
「これは……?」
「俺の国の風習です。約束を交わすとき、こうやってゆびきりをするのですよ。嘘をついたら針を千本飲まなくてはなりません」
「まあ、怖いのね」
「たいしたことではないでしょう?」
ミストはくすりと笑う。
アオギリも微笑み、誓いましょう、と自分のたくましい指に比べれば小枝のように細いミストの指にからめたまま彼は言った。
「俺は必ずあなたを守りぬくことを。あなたは、あきらめずに最後まで生きぬくことを」
「……わかりました」
「こうやって歌うのです」
ゆびきりげんまん、と節をつけてアオギリは歌う。初めて聞く歌だったが、ミストも彼に合わせて歌い──歌っているうちに、ふと、目の前にいる彼が幼い子供の姿に変わったような気がした。
……母親とこうやってゆびきりをしている彼……
……おかあさんは俺がずっと守ってあげる、と舌ったらずな声で宣言する彼……
……硬い道路に倒れている彼……
……彼の足元に流れているのは、血?……
「ミストさま?」
異国の情景に気を取られていたミストは彼の呼びかけにはっとした。いまのはなんだろう。不思議な歌につられて見えないものが見えてしまったのだろうか。
「……なんでもありません。それより、ほかにもこういう歌はあるの?」
「ええ、そうですね。では……」
──もう夜も更けたことですし、子守歌でもうたいましょうか。
彼はそう静かに微笑むと、どこか哀切な歌をひとりの令嬢のために歌いはじめた。
ミストが知らない異国の言葉で。
【第二章 終幕】




