5 第四王子は万象を把握する
「王子さま、ですか……」
仮面の男の正体はお忍びでやってきた自国の王子だった。
彼のことを知らないわけではないが、まさか王族が"自由参加"しているとは思わなかったのと、新聞が取りざたするのは優秀でいずれ王位を継承することになるであろう第一王子ばかりのため仮面の男と第四王子がとっさに結びつかなかった。なんだったら正体を明かされたいまでも。
「申しわけございません、このような格好で」とミストがせめてベッドからでようとすると「いいよいいよ、そのままで」とコクナーは笑った。
「殺されたばっかりなんでしょ?」
「……なぜそれを」
「それがこの方の異能なのです」とアオギリ。そ、とコクナーは扉の前でうなずく。
「僕の異能は【万象把握】。契約を結んだ異能持ちが見て感じたことをすべて自分のものとして把握できるんだ」
「そのような異能が……」
コクナーも異能を持っていることに驚いたが、その詳細にもミストは目を瞠った。千里眼に近いものがある。
「では……契約を結んだ異能持ち、というのが」
「頭の回転が速いね。そう、アオギリだよ。アオギリを通して僕はきみが死ぬのを見てた」
「コクナー殿下の恐ろしいところは死に戻る前の世界線についても把握できるところです。本来、私の異能で時間を戻したあとでも記憶を持ちつづけることができるのは私自身と発動するきっかけとなった方のみなのですが」
「素直に褒めてくれよ」
コクナーは冗談めかしてアオギリに返すがアオギリは真剣だった。たしかに、【死に戻り】に直接関係のない人間がすべてを知っていたら恐ろしいが──彼の場合はそれだけではないような気がした。自分たち以外の人間が関わっていることに妬いているような。
まさかね、とミストは心の中で苦笑する。
「で、もうひとつ僕は恐ろしい点を持っている。それは契約者の周囲で異能が使われたらその具体的な内容がわかるということだ」
「え──」
「たとえ契約者本人が気づいていなくてもね。
さあ、ミスト。これでどうして僕がここにやってきたのかわかっただろう?」
わかりたくなかった、とは言えなかった。物腰柔らかな仮面の男が発する妙な威圧感に呑まれるようにして彼女は答える。
「きのう……順番に数えて第三の日と言いましょうか……【透明人間】の異能が使われたかどうか教えてくださるため、ですね」
「もちろんそれ以外もね。結論から言うと、」
「第三の日、異能は一度も使われていない。
ミストが殺される前も──殺されるときも。そしてそのあとも、だ」
「アオギリの【死に戻り】は例外としてね」とコクナーはつけくわえる。
ミストは彼らから目を逸らすとシーツをにぎりしめた。
「それでは……?」とアオギリがつぶやく声がどこか遠くから響いてきているようだった。
「ふつうの人間が私の目を盗み部屋に侵入したということですか?」
「そうなるんじゃない?」
コクナーはにやにや笑っている。
──ああ、このひとはもう答えにたどりついている。初夏の花々が刺繍されたシーツを見下ろしながらミストはそう思った。知っていてあえて黙っているだけだ、と。
「そのようなことが可能なのでしょうか……」
可能なはずがない。ミストは胸の中で彼に言う。
部屋に扉はひとつだけ。そこは彼が一晩中見張っていて──アオギリが言うのだから、ほんとうに一瞬たりとも視線を外すことはなかっただろう──ほかに抜け道もない。人間が隠れられそうなところはすべてあらかじめ彼が探しておいてくれた。
彼は、完璧にミストを守ってくれたのだ。完璧すぎるほどに。
「あいにく」とコクナーはアオギリに向けて両手を広げる。
「僕の仕事は問われれば答える、それだけでね。すでに書かれた日記のようなものだと思ってくれ。僕は過去を変えられないし、未来を変えようとも思わない。きみたちが開くことは自由だけれど」
「ひとの命がかかっていても、ですか」
「この世におけるすべてのことで、だれかの命がかかっていないことなんてひとつもないさ」
もういいかな、とコクナーはアオギリとミストに言う。
ふたりは反射的に顔を見合わせたが、第一の夜に異能が使われていないと宣言されてはほかに聞くべきこともなかった。なぜ付き合いがあるわけでもない伯爵令嬢の誕生日パーティに参加しているのかは気になったが。
「そうですね……」と言いかけてミストは思いだす。
「あの、爆弾騒ぎ。あれも異能を持たないふつうの人間がやったことなのですか?」
「あいにく、あれは僕の能力の観測外でおこなわれたものだ。イエスともノウとも言えない」
「それならば──なぜ犯人はあのような騒ぎを起こしたとコクナーさまは考えますか?」
「僕に聞くの? 面白いね」
尖ったあごに手を当ててコクナーは笑う。深い緑色をした瞳はミストのことを言葉通り面白がっているようだった。
「それはもちろん、道をふさいで城を密室にするためだよ。ここは上演されていたあの劇よりも面白い。悪女の姉……。天使の妹……。きみと浮名を流した貴族の男たちにきみがファジーフィールド家の品位を落としたと嘆く使用人たちまでいる。
これが閉じこめられたらどうなるか、なかなか見物だと思わないか?」
「コクナー殿下」
あけすけな王子の発言をアオギリが諫める。コクナーは肩をすくめ、「僕の見立てはそんなところだね」と言った。
「これからも生きのびてくれよ──ミスト、アオギリ」
そしてじっとミストを見つめる。なにかと不審に思ったとき、彼はひらひらと手を振って部屋を出ていった。
口調は軽いのに不思議と緊張する相手だった。ミストは小さく息を吐きだし、「初めてお会いしましたがとても──その──奇特な方ですわね」とアオギリに言う。
アオギリは渋面を作った。
「……そう、ですね。つかみどころがないとも言えます。しかし策略にとても長けた方であり、殿下の策に救われたことは何度もあります」
「なぜ私の誕生日パーティに?」
「…………」
返事に困ったようにアオギリは黙る。「答えにくいことでしたら……」とミストが言うと「そういうことではないのですが」とアオギリはちらりとドアのほうを見た。
「なんというか……単純に、あの方は面白いことが好きなのです。私たち騎士と契約を結び、知覚を共有しているのもいわゆる面白いこと探しのためでして。私があなたの誕生日パーティに参加を決めたら即首を突っこんでこられたのです」
「……そうだったのですか」
よくあることと言いたげなアオギリの口調から、彼とコクナーの普段の関係が見えるようだった。振りまわす王子と振りまわされる騎士だ。
ご苦労さまとねぎらってやりたくなる。
「コクナーさまがいらっしゃった理由はわかりました。アオギリさまはなぜここに?」
「彼のお守りですね。一言で言えば」
「……なるほど」
なぜだか納得できてしまった。コクナーの世話を焼くのはおそろしく大変だろうが。
「ミストさま、私からもひとつよろしいでしょうか」
「ええ、なんですか?」
「どうしてあなたは自害なされたのですか?」
ミストの顔からすっと表情が消える。
アオギリの目は絵画に描かれた海辺から戻ってきており、さびしそうに彼女を見つめていた。




