第五話
ガチャリと開く重たい大きな扉。右手を殿下の左手に預けているのが、この上なく落ち着かない。この心臓がドクドクとうるさいのは謁見への緊張のせいか、はたまた別の要因のせいか。
「ローレンスが参りました」
「あぁ、待っていたぞ。隣のお嬢さんが噂のヴィラッツェ公爵令嬢殿かな?」
「そうです。リオーナ嬢、父上と母上だ」
「お初にお目にかかります、リオーナ・ヴィラッツェと申します。国王陛下ならびに王妃殿下にお会いできましたこと、恐悦至極に存じます」
正式な謁見を行う玉座の間ではなく、おそらくプライベート的に使われているであろう応接室に通されたということは、他国の人間として公的に迎えるつもりはないということ。当然と言えば当然だが。そもそも私はハイドランジアでの身分を捨てた者なのだから。
「そんなに畏まらなくても良い。ローレンスの父でカルセドニーの現国王、シリウスだ。こっちは王妃のブリジット。気軽に名前で呼んでおくれ」
「で、ですが…」
人質の分際で国王陛下と王妃殿下をお名前で呼ぶなど無礼極まりない。どうしようかと迷っていた時、ローレンス様が助け舟を出してくれた。
「立ち話もなんだから、私たちも座ろうか」
「は、はい!失礼致します」
ローテーブルを挟んでお二方と対面した私は、完全に萎縮している。ローレンス様のご両親なので、私の両親ともそこまで年齢も離れていないはずなのだが、纏うオーラが全く違う。小国の公爵と大国の王族を比べるなという話だが、とにかく普通にお話しできる精神状態ではないことは確かだ。
そんな私を見計らってか、ローレンス様がお二人とお話ししてくださっている。緊張で何を話しているのか全く頭に入ってこないが、私をこの城に連れて来るまでの経緯を話しているようだ。
「そこで、リオーナ嬢の身分があやふやなままでは都合が悪いので、ヴィラッツェ公爵家に確認をとっています」
「えっ…!?」
そんな話は初耳だ。人質としてここにいる以上何かしらのコンタクトはとっていると思ってはいたが、私の身分をはっきりさせるためだとは思わなかった。
「勝手に連絡をとってしまって申し訳ない。ただ、今後のためにもそうしておいた方がいいと判断したんだ。許して欲しい」
「いえ、私は殿下のお気持ちに従うまでですので」
「ありがとう。返答は必ずリオーナ嬢にも知らせると約束する」
「お気遣いありがとうございます」
どんな返事だったとしても、私が取るべき行動は変わない。元々弟以外の家族とは折り合いが悪く仲がいいとは言えない関係性だったので、娘ではないと言われても構わないのだ。こちらから捨てた名前と身分なのだから。
「あなた達、ずっとその調子なの?」
「と、言いますと?」
「リオーナ嬢の敬語といい、態度といい、まるで主従関係だわ」
王妃殿下は頬に手を当て、こてんと首を傾げた。
「私と殿下の関係性は主人と人質ですので当然です。本来はこうしてお隣に座ることも許されないと認識しております」
「「「えっ…?」」」
「…え?」
私の発言に、部屋中が凍りつく。なにか間違ったことを言っただろうか。ぐるぐると発言を思い返したが、特に問題は見つからない。どうしようかと思っていたところで長い沈黙を破ったのは国王陛下だった。
「全く、お前というやつは…」
「これでは先が思いやられますわ」
「リ、リオーナ嬢、人質はないだろう!?」
はぁっ、とため息をつくおふたりと、慌てて立ち上がり私の手を取るローレンス様。はて、人質でなければ私はなんなのでしょう?
「とにかく、ローレンスはしっかりと説明して気持ちを伝えること、いいわね?」
「…はい」
「その結果、リオーナ嬢の同意を得られたら、また報告に来なさい。話はそれからよ」
王妃殿下はビシッと人差し指を立てて言った。どうやらローレンス様は私に話していない重要なことがあるらしい。ヴィラッツェ公爵家に連絡をとっている件と関係があるのだろうか。
国王夫妻への謁見を終え、部屋に戻ってきた私は締めつけの少ない楽な格好に着替えた。コルセットでウエストを絞るようなドレスは着慣れているが、ずっと着ていて気持ちのいいものでは無い。
「お疲れ様でございました。いかがでしたか?」
「おふたりとも、纏っておられるオーラが並大抵ではありませんでした。さすが大国カルセドニーの主ですね」
エマと話しながら紅茶を飲んでいると、誰かが訪ねてきたことを知らせるノック音が部屋に響く。この部屋を訪れるのはエマたち侍女かローレンス様だけだ。私の世話をしてくれている侍女たちは全員室内にいるので、訪問者はローレンス様だろう。
「今少し時間を貰えるだろうか」
「はい、もちろんです」
「ありがとう。すまないが君たちは外に出ていてくれ」
エマたちをひとり残らず部屋の外へと出したローレンス様は、2人がけのソファに腰を下ろす。私との距離はわずか十数センチ。いつもは正面に顔を合わせるのに、珍しい。何か言いたいことがある様子にも関わらず、言葉を選んでいるのかなかなか話が始まらない。いつもなら、他愛も無い言葉を交わすのに。
「その…先程は許可なく手を取って申し訳なかった。この通りだ」
「いえっ!私は気にしておりませんので、頭をあげてください。一国の王太子様がなさるべきことではありません」
姿勢を戻したローレンス様はふんわりと微笑んで礼を述べる。その綺麗な笑顔ほど、私の心臓に悪いものは無いだろう。
そしてまた、部屋に沈黙が流れる。
紅茶が冷めた頃、痺れを切らした私は自ら話題を切り出した。
「ローレンス様、何かお話があったのでは?」
「…あぁ、大事な話を、しなければならない。少し長くなるが聞いて欲しい」
「はい」
「リオーナ嬢と初めて会ったのはまだ15歳くらいの頃だったと記憶している。当時の君は次期ハイドランジアの王太子妃だったから、僕に王城の案内をしてくれたよね。その時初めて、人を好きになった。許されない感情だと分かっていたから、気持ちに蓋をして忘れようと勤めたが、もうその時には遅かったみたいだ。アーティファクトで姿を変え留学生として潜り込むなんて無茶、よくやったと思う」
そんな、まさか、でも…
「ルイード王太子と婚約破棄を宣言した場にもいた、ここから先の話は前にも少しだけ話したね。最初は、婚約破棄を申し立てて颯爽と王城から去るリオーナ嬢を保護しようと考えていた。でも好都合なことに君はカルセドニー王国へ足を向けてくれたんだ。そのまま、カルセドニーに到着してから保護する計画に変更した。けれどリオーナ嬢の勇敢さを見縊っていたらしい。すぐにどこかへ消えてしまった。連日街を歩いて探しても、なかなか見つからない。諦めようと思っていた時、ようやく歩いている君を見つけたんだ」
1週間近く宿屋に引きこもっていたせいで見つからなかったらしい。
「思わず王城に連れてきてしまったことは申し訳ないと思っているけれど、リオーナ嬢の安全が優先だったから許して欲しい。きちんと説明をしなかったせいで人質だとあらぬ誤解をさせてしまったことも謝らなければならないな。すまない」
「い、え、もう大丈夫ですので…」
「ありがとう。ありとあらゆる非礼は詫びる。君に想いを伝えるチャンスをくれないか」
ローレンス様の気持ちを聞いてしまえば、もう後には戻れなくなるだろう。私の中に芽生えた淡い気持ちも、ぐんぐんと育ってしまうことだろう。でも、拒否なんてできない。したくない。
「…はい、もちろんです」
「よかった。そうだね、障害は多いと思う。それでも、リオーナ嬢と生涯を共にしたいと思う。どうか、私の妃になってはくれないだろうか?」