第一話
「リオーナ、君が僕の愛しいマリアを傷つけたことは決して許さない。よってこの場で…」
「お待ちください、殿下。そのお言葉はわたくしから。リオーナ・ヴィラッツェの名の下に、ルイード殿下との婚約破棄を申し立てますわ!」
「んなっ!お前、王太子であるこの僕に対して婚約破棄だと!?そんなことが許されるわけがないだろう!」
あぁ、面倒だ。この一言に尽きる。
私、リオーナ・ヴィラッツェは全身に鋭い視線を受けながら遠い目をしている。王宮主催の大きなパーティーで騒ぎを起こしてしまったがために、その分観客も多い。早く話に決着をつけて、こんな場所からは立ち去ってしまいたいというのに。
「ルイード様…」
彼の腕に自分の腕を絡め、潤んだ瞳で見上げている彼女こそが、私から王太子の婚約者という地位を奪い取ろうとしている女だ。けれど、そんなことはどうでもいい。関心がなく名前すらきちんと覚えていない彼女に、この男はくれてやるのだ。
「あぁ、かわいそうなマリア…」
「殿下、お取り込みのところ申し訳ございませんが、わたくし予定が詰まっておりますので急いでおりますの。早く婚約破棄に同意していただけませんか?」
「いい加減にしろ!お前にそんなことを言われる筋合いなどない!!」
「あら、お言葉ですがそちらのお可愛らしいご令嬢と婚約なさるにはわたくしの存在が邪魔ではありませんか?どうして同意してくださらないのです?」
「ぐっ…」
今ここで、私からの婚約破棄の提案に同意しない理由など1つしかない。彼のプライドが許さないからだ。王太子である自分から婚約破棄を突きつけたという事実が欲しい彼にとって、私からの提案を飲むことほど都合の悪いことはない。今後の社交界で「捨てられた男」というレッテルを貼られて過ごすのが嫌だから。
「わたくし、女性に対して『お前』などという汚い言葉を使う方が大嫌いですの。そんな方と一生を共にするだなんてこちらから願い下げですわ。そこのあなた、彼を差し上げますから説得してくださりません?」
「うぅっ、ルイード様、リオーナ様が私に意地悪を…」
「マリア、分かったから泣くんじゃない。可愛い顔が台無しだろう?」
本当に、白々しい演技だこと。
話を切り出してしばらく経ち、会場内のざわつきが段々と大きくなってきた。もう何もかもうんざりだ。
「マリアを泣かせた罪は重い。リオーナ・ヴィラッツェ、君との婚約は破棄し、2度と僕たちの前に現れないことを誓ってもらう!」
「かしこまりました、固くお約束いたします。それでは」
ようやく彼との婚約破棄が決まったのでもう用はない。さっさと立ち去るのみだ。
私はドレスを翻し、ざわつく会場を後にした。想定よりも時間がかかってしまったが、あとは全て、計画の通りに。
「姉様、早く婚約破棄したかったのならあんなこと言わなければよかったのに…」
「あんなこと?」
「『わたくしから婚約破棄を申し立てますわ!』ってやつだよ。殿下から言って貰えば早かったでしょう?」
「あら、あんな男から捨てられた女として生きて行くのなんて御免よ。最後くらい一言言ってやらないと気が済まないわ」
「はぁ、姉様ったら…いつもより口調も強かったし…」
「さっ!私はもう行くわ。それじゃあね!」
「あっ、うん、元気でね!」
私は王宮を出て庭の植木に隠しておいたトランクケースを取り出して城門を出た。もうこれで、私を縛るものは何もない。王太子の婚約者という地位も、公爵令嬢という身分も捨てて、ただのリオーナとして生きて行くのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おじさん、カルセドニーまで1席空きはありますか?」
「空きはあるが…お嬢ちゃん、貴族かい?家出の加担はしないよ。早く家に戻るといい」
地味な外套を着ているとはいえ目立つパーティー用のドレスのせいか、乗合馬車のおじさんは首を横に振った。でもこの馬車に乗らなければ公爵家の捜索隊に見つかってしまうかもしれない。こればかりは譲れないのだ。
「料金は2倍払います。だからどうか、お願いします」
「ったく、しかたねぇなあ。200リルだ」
「ありがとうございます!」
トランクケースの中に入れていた財布からちょうど200リルを払い、乗合馬車の席に腰を下ろす。低いとはいえヒールで街中まで歩いてきたのだ。足が悲鳴を上げていた。
「僕にもカルセドニーまで1席頼めるかな」
「なんだぁ、今日は変な客ばかりだな…もうどんなやつでも構わんさ!もう出発するんだから早く乗れ」
「助かる」
ギリギリに乗車を申し出た青年は、空いていた私の目の前に座った。どこか高貴な雰囲気を纏った彼の顔をチラッと確認してみたが、深く被った外套のフードのせいでよく見えない。ただ、私の追手ではなさそうなので、彼のことを気にかけるのはすぐにやめた。
この乗合馬車が向かうのは隣国カルセドニー。私が住んでいたハイドランジア王国とは比べ物にならないほどの大国だ。土地が肥沃で、鉱山資源や海産物も豊富な国。人口も多いので、公爵家の追手でもそう簡単には見つけられないだろう。
王都の門を抜け、順調にカルセドニーへ向かっているのが分かった途端、ドッと疲れが襲ってきて深い眠りへと落ちていった。我ながら、なかなかに肝の座った女だ。
朝、幌の隙間から差し込む光で目を覚ました時にはすでに、王都から3つ分の街ほど離れたところまで来ていた。昨日の夕方から何も食べていないために、空腹の声を上げそうな自分のお腹を携行食で宥めながら、見たことのない景色、人、作物を眺める。
「ここで馬を変える。すぐ近くに商店があるから、必要なものはそこで買うといい。30分経ったら出発するぞ」
おじさんの声でぞろぞろと乗客がおりていく。私も食べた携行食を補充するために荷物を持って外へ出た。一夜ぶりに伸ばした腰が音を鳴らしたが、ゆっくりしている時間はないので急いで商店へと向かった。
おじさんオススメの商店は、旅人向けに携行食から衣類品まで幅広く取り揃えている場所だった。目立たない質素なワンピースと靴、十分な携行食を購入し、着替えた。髪も紐で括り直したので、もう貴族の令嬢には見えないだろう。金髪に桃色の瞳という容姿は多少人の目を引くかもしれないが、こればかりは仕方がない。
馬車の中にはあの青年だけが席に座っていた。戻ってきた私を捉えた瞳は、綺麗な飴細工のような金色だった。
「外に出て体を伸ばしてきた方がいいですよ。まだカルセドニーは遠いですから」
目が合った気まずさに耐えられなくなった私は、それだけ告げて自分の席に座り荷物を足元に置いた。
「そうですね、お気遣いありがとうございます」
彼がそう言って外に出て行ったのを横目に、私はふぅっと息を吐いた。
乗客を乗せてまた馬車は動き出し、席から見える景色はどんどん移り変わって行く。途中で御者も代わり、乗客も途中で降りたり乗ったりして、最初から乗っていた人も少なくなってしまった。
そうして10日が過ぎ、ついにカルセドニーの王都までやってきた。舗装されていない悪走路な上、ガタガタと揺れる馬車での旅は心身を疲労させたが、達成感の方が大きい。ここまで来れば、もう私の正体を知る人など誰ひとりとしていないのだ。




