第10話 二度目の戦い、前編
戦闘前編。
再び始まった和範と真理子の戦い。
だが、真理子は動かない。おそらく前回の敗北を教訓として、此方を警戒しているのだろう。しかも戦いが始まる前に真理子は相手を欺く巧みさと言った。
まず間違いなく、和範が公園で掛けておいた保険は全て嘘の情報だと悟られていると見るべきだろう。
和範が術を使う事も考慮に入れているに違いない。
尤も和範も前回とは違い、今回は術も使わねば勝てないと覚悟している。
前回の戦いで勝てたのは、相手の虚をついたからであって、純粋な体術で勝っているとは思わない。
ただ、術の行使そのものが問題だった。
和範の術の行使方法は大きく二つに分かれる。
1つは純粋に和範の力だけで行使する術。これの威力は多分真理子と同じか少し劣る位だと和範は見ている。
ゆえに、決定打にはなるまい。身体能力こそ上回るだろうが、体術にも劣り、術でも劣り、しかも詐術にも警戒されている。これだけでは、かなり厳しい戦いになるだろう。
そこで出てくるのがもう1つの方法である、八重香の力を借りた術の行使方法だ。
これを使えば、間違いなく100%の確率で真理子に勝てる。術の威力は桁外れに上るうえに、身体能力、反射能力、思考速度の上昇と全ての力が前者の方法に比べて桁外れに上がるのだ。
だが、この戦闘方法は一歩間違えば真理子を死に追いやってしまう。これこそが考え所だ。
別に和範は人を殺す事に対する忌避感は殆んど無い。自身の命を狙うような輩には手加減など不要と割り切っている。
だが、真理子相手には考慮してしまう。
理由は4つ。
1つは彼女の後ろにある組織に対する警戒感。つまり彼女を殺す事で取り返しのつかない状況へまっしぐらになる可能性を考慮しての躊躇。だが、それはその気になれば誤魔化しようは幾らでもあるし、最悪そうなってしまう覚悟も、八重香を宿して一年も立つ頃には既に済ましてある。
2つ目は、和範が八重香の力を使って戦うのは、一種の敗北だと考えている事。八重香の力は強大で、普通の人間が抗しきれるものではない。ゆえにただの人間相手に使うのは少々卑怯な気がするし、それに八重香の力に頼りきるのは、楽を覚えると人間はろくな者にならないと言う父の教えに背くものだ。八重香自身も和範の成長の妨げになるので、できる限り独力で切り抜けるように心掛けよと、忠告をしている。だが、これも自身の命を掛けて守るべきものでない事は和範も八重香も承知している。
問題は3つ目と4つ目だった。
まず、3つ目の理由は、真理子から闘志や警戒感は感じるが、悪意や敵意、殺意の類を全く感じない事だ。流石に和範も、自身に悪意や敵意、殺意を向けない者まで殺すのは躊躇する。今までに人を殺した事は無いが、その一歩手前位はある。何の因果か知らないが、どこかの犯罪組織と思わしき連中の取引現場に遭遇した事があるのだ。あの時は、いきなり悪意と殺意を向けられたので、それに対する当然の報復として、相手を殺しにかかった。八重香が止めねば和範は相手を殺していただろう。
つまり、八重香が止めたからやめただけ、事実和範の中では殺した事になっていた。和範は殺す気でかかり、相手は運良く死ななかった、それだけの話だ。(尤も八重香も和範を人殺しにしたくないとか、相手の命を気遣ったから止めたのではなく、この程度の連中の命と引き換えに今の生活を失うのは割に合わないと判断しただけなので、どっちもどっちだが)
だが、真理子には、和範が相手を殺すに足る条件となるそれらの要素が、決定的に掛けている。それどころか、此方を案じるような気配すら感じられる。これで殆んど殺す気が無くなる。
そして、止めの4つ目。これは何故か分らないが、真理子を殺してしまってはいけない気がするのだ。
明確な理由は無い。だが、八重香も殺すのだけは、やめろと言ってくる。おそらくは神の直感か、あるいは神託とでも言うべきものかもしれない。
この4つの理由で和範は、八重香の力を使って戦うように思い切る事が出来ないのであった。
真理子は、件の異能者と対峙しながら物思いに耽っていた。
この異能者は駆け引きこそ巧みだが、決して嘘はつかない人物だと真理子は見切っていた。だからこそ、異能者の言う事は正しい、と悟ってしまう。
確かにこの異能者は犯罪や悪事に手を染めていない。ならば、桂家の監視下に置いたり、ましてや真理子の支配下に置く事などやってはいけない事なのだ。
だが、何故か彼を手放してはいけない気がする。自分の傍にいて欲しいと思ってしまう。
そして、いつのまにか目の前の少年の呼び名が異能者ではなく彼へと変化していた。これは、彼への好意の表れなのだろうか?
とここまで考え、ふと思う。
(っ! こ、これでは私が彼に惚れているようではないかっ!)
だが、すぐにこの考えに疑問を覚える。
私が彼に惚れている?
……違うような気がする。いや、あるいは少しは惚れているのかも知れないが、それよりももっと大きな何かを感じる。
そう、思い出してみれば自分は最初から彼の言う事が薄々分ってしまっていた。正体がばれた理由として彼は、自分の演技が完璧すぎたと言ったが、果たしてどれだけの者がそれに気付けるだろうか?
それに、そもそも彼が此方の考えを悟りながら話を進めているなんて何故気付けたのだろうか?
そして、今も彼が此方に対して攻撃するのを躊躇しているのが分ってしまう。
考えれば考えるほどに疑問が深まっていく。
だが、今は戦闘中だ。気を引き締める。
が、闘志や警戒感は上がるのだが、それと同じ位彼を案じてしまい、真理子もまた相手を攻めあぐねていた。
真理子は知らないが、この事が真理子の命を守っていたと言ってもいい。
もし、真理子に和範に対する敵意や殺意が少しでもあれば、殺されてしまう可能性はかなり高い。
和範は、戦闘中の敵を老若男女で差別する事は無い。自分に害意を向けるなら幼子ですら平然と殺せる。無論殺人犯の汚名など態々着たくは無いから一々皆殺しにするわけでは無いが、どうしても必要なら和範は殺す。必要な事を必要なだけする。
無論、こんな世界に足を突っ込んでいるのだから、中には殺意や悪意、敵意を一切向けずに此方を殺しにかかってくるような人間もいる可能性はある。そういった人間は躊躇いなく殺せるだろうが、真理子のように此方を案じている人間に対してまで八重香の力を抜きにしてですら、全力を出して殺しにかかるのは気が引けるのだ。
暫くの間睨み合っていたが、不意に片方が動いた。動いたのは和範の方だ。
和範は、一々悩んでいても仕方がない、真理子を殺せないのならば、相手を殺さないようにして、できるだけ怪我をしないような戦いをしつつその中で全力を出せば良いと割り切ったからだ。
基本割り切りのいい和範がここまで躊躇したのは、戦う相手に案じられると言う事が想像の埒外だったからだ。
だがもう決断をした。
ならば後はこの難条件の下で勝利を収めるように務めねばならない。出来ないのなら所詮自分はそこまで。
そこまで考えた時にはもう既に体の方は攻撃に出ていた。
此方の動きに防御の構えを取る真理子、その真理子に向って素早く踏み込み至近距離まで到達する。そこで、右足を踏み出すと同時に右拳を突き出す順突き。威力よりも速さや命中を重視した一撃は真理子の左肩近くへと吸い込まれていく。が、真理子はこれを避けようとしない。不思議に思う和範だが、動作は止められず拳はそのまま突き込まれると思った矢先にそれは起こる。
左肩を狙った右拳が冷やりとした瞬間、滑るようにさらに右へと逸らされ真理子の体から外れ体勢が崩される。
まずいっ!
と思った時には和範は咄嗟に前方へと思いっきり転がっていた。そして、自分の横腹があった辺りを真理子の膝が空振る。もし、行動が一瞬でも遅れていたら今頃は悶絶していたかもしれない。
そして、真理子の体を改めて見る。真理子の体の表面を霜のようなものが覆っていた。
あんな真似は普通出来ないから、術を使ったのだろう。
それにしても厄介だと思う。
真理子はおそらく術士としてはかなり上位に位置するのだろう。今までにも術士は見た事があったが、真理子みたいに術の発動を察知できなかった相手は一人もいなかった。
いや、真理子ですら最初の戦いでは術の発動を察知できていた。
だが、今は出来ない。
これが、前回と違い慢心を捨てたからなのか他の理由があるのかは分らないが、こうなった以上無詠唱の術の発動は感知できないと考えるべきだった。
厄介だなと思っていた所に、八重香から念話が届く。
(何なら、妾が術の発動を教えてやろうか?)
この申し出に和範は少し考えて、返答をする。
(ん~。いや、やめとく。
今の九重真理子は確かに今まで見た事ある術士とは別格だけど、これから先、名門とか言われてる術士連中は実はこれ位出来て当然なのかもしれないから今後を考えてこのままでいく。)
(妾の勘としてはそういうのとは少し違う気がするのう。
…それに、実は妾も察知が少し遅れたしのう。)
これには少し驚いて問い返す。
(本当かよ?
でもその言い方だと八重香すら欺けるほどの技量って訳でもなさそうだな。
どういう事だい?)
(言葉にすると難しいが…
そうじゃのう、ある種の運命とでも言うべきかのう…あるいは相性と言うか…
お主も何か感じんか?)
(そういや、なんか最初と違って戦い難いよな。
慢心を捨てたとしてもここまで劇的に戦い難くなるとは思えないし…)
(どうやら相談はここまでのようじゃの。
今度は、小娘の方から仕掛けてきたぞ。)
どうやら、真理子が祝詞を唱えているようだ。
「ひふみよいむなやこと。
秋山之下氷壮夫よ、汝の神威を持ちて、水霊の気、風霊の気を足し霜の嵐とす、霜晶嵐!」
今まで聞いた事が無い為、和範の知らない術だろう。
しかも、おそらく信仰対象の神の力を背景とした術。
そして、真理子から霜の嵐が吹きつける。霜なのに、身を切るような寒さを感じる。
しかも、体力をガンガン削ってきやがる!
下手な攻撃の術より、こういう広範囲に無差別に届く術の方が厄介だ。
対抗する為に、和範も祝詞による術を行使する。
「ひふみよいむなやこと。
神法をもって我、汝に支配下へ下る事を命ず。水霊の存在よ我を守る鎧と化せ、水霊纏鎧!」
和範が術を行使すると、体の表面を水の膜が覆っていく。
これにより、霜の嵐は、完全に無効化された。
元々広範囲を対象とした術の為、同じ祝詞を用いた狭い範囲を対象とした術相手にはかなりの実力差が無い限り通用はしない。
そして、和範と、真理子の間には然程の実力差は無い。それを見て取ったのだろう、真理子は霜の嵐から、和範同様霜の鎧とでも言うべきものへと術の効果を変化させた。
その術が変化してゆく際の流れによどみがまるで無いのを見て、和範はこれはこれは、と苦笑する。
また、八重香も和範と同じ事を考えたのだろう、呆れた声を出しながら念話で思った事を伝えてくる。
(相性が良いというか、悪いというか…
まさかお主とよく似た戦闘様式の持ち主とはのう…)
この八重香の念話に和範も頷く。
そう和範にも似たような術がある。
"水天針"、と名付けた術は、広範囲に水の針を飛ばすというもの。
この術は実は、水霊纏鎧と表裏一体の術として作ってあり、水天針から水霊纏鎧へ水霊纏鎧から水天針への変化は自由自在だ。
だが、それは真理子の術にもいえるようだ。
つまり、この術で出来る事は真理子も熟知しているだろう。よって、この術で真理子の虚をつくのはかなり難しいと言う事だ。
尤も、逆を言えば相手の術による不意もうたれ難くなったという事だが。
だが、そんな事よりも、和範はある種の喜びすら感じていた。別に、強敵と戦える喜びなどではなく、それは、大切な者と邂逅できた喜び、かつて八重香と出会えた時にも感じた喜びを今再び和範は感じていたのだった。
そして和範は動く。
真理子は、少し驚いていた。
広範囲を対象にしているとはいえ、今まで真理子が祝詞を唱えて用いた術を完璧に無効化したのは本家の術者でも、そうはいないし、分家には父の東吾以外には一人もいない。
つまり、目の前の彼は父や、本家の上位の術者並の使い手だと言う事。
そして、あの水霊纏鎧と言う術、あれはおそらく真理子の"霜晶鎧"と同じ系統の術の筈。
ならば、此方の出来る事を彼は熟知しているだろうし、自分もまた彼の出来る事を熟知している。
…やはり彼とはある種の相性の良さがあるのだろうか?
真理子はそう考えて少し嬉しくなる。そして、自身の中にある彼への気持ちを少しだけ理解した。
これは恋愛感情では、ともすれば相手への憎悪に早変わりするようなそんな気持ちでは無い。
もっと、こう、荘厳で生涯変わらないであろう気持ちだ。
何なのか明確には分らないが、おそらくこの戦いの果てに理解する事になるのだけは真理子も確信していた。
だからそれを理解する為に真理子は動く。見ると彼も動いていた。
そして、霜の鎧と、水の鎧を纏った二人が激突する。
だが、その顔は決して戦っている者同士の顔では無い。
それは、まるで仲間とでもようやく出会えた者同士の顔に似ていたのだった。
和範は、酷薄な部分がありますが、決定的な部分では割り切れていません。まだ彼は15歳の少年でしかありませんので。
それと今回真理子の詠唱の中で出てきた神様は古事記に載っていたものから引っ張ってきたものです。秋と霜を神格化した神様で、弟との賭けに負けた後、約束を反故にして、弟が泣きついた母親に折檻される神様。物語の都合上最初にあまりに有名で強い神様はいきなり出せないので仕方ないが…う~ん微妙。
最後に、作中でも和範が語っているように、八重香の力抜きの純粋な実力では真理子のほうが上です。尤も些少劣る、といった程度ですが。後編ではどうなる事やら。