日記の中の家族
1.日記の発見
私は、ダンボールに本を入れ、荷物を運んでいた。5年前に遺品整理士の資格をとり、片付け業者の社長として働いている。
重たい荷物が運べない老人や遺産物を処理する親族で、引き手あまたであった。日本は、人口が減少し、我が社は商売繁盛。
日中は、予約の電話が鳴りやまず、お金は増え、それと引き換えに毎日の忙しさに追われていた。
いまも、お金持ちである依頼主から、「両親の家の荷物を処分して欲しい。欲しい物があったら、自由にしていいから」と、気前の良さと器の大きさがその顔に浮かぶ。
頼まれた家は、現代の洋風づくりではなく昔ながらの平屋の和風造りで、建屋は100坪を超え、2日かけ3人で片付けに取りかかる。
その家の中は、住んでいないためか、埃がかぶり虚しさがあり、依頼主の両親は、よほど本好きであったのだろう。5部屋ある部屋のうちの3室が、本棚と本で敷き詰められていた。私は、その一番右から本を引き抜きダンボールにしまう。
本のジャンルはバラバラであった。
本の天と背表紙には、埃が被っていた。
鼻がむずむずしながら、また本棚に目を向けると、厳重に保管された銀の入れ物があった。
不思議に思い、手にとって中を確認すると、入れ物の中には黒い日記があった。
表面には、白い油の絵の具ではっきりと「家族」と書かれ、私は興味本位で自然と手が伸びた。日記に触れると、私の肌は毛羽が立った。
依頼主からは、「家のなかにあるものは売っても、捨てても良い」と言われており、素人の書いた文に市場価値はない。
しかし、私にはなにかとても価値あるものにみえた。
他の従業員を横目で覗くと、本をダンボールに詰めている。
私は、後ろめたい気持ちがうまれたが、そんなに慌てなくても、2日で片付けが終わることを知っていた。
私の頭は、一度疑問を持つと、他のことが頭に入らず、そのことしかみえなくなる。
社員もそのことは重々承知で、片付けも一度しだすと終わるまで休憩しないこともあった。サボりぐせというよりも、一つの衝動のようなもので、病気なのかもしれない。
この謎に包まれた日記も疑問の対象となり、私は、すぐにパラパラ目を通す。
そこには3枚の写真が挟んであり、日時や曜日はとくに書かれていなかった。
最後の見返しに伊佐田 無棹と書いてあった。
きっと依頼主の両親だろう。依頼主の名前は、伊佐田 勉であり名字から推測した。
私は、仕事を2人に任せることにした。
「ちょっと、貴重な本かもしれないから、詳しく査定してみる。ごめん。片付け任せるよ」
「わかりました」と嫌な顔をみせず、従業員は仕事を引き受けてくれた。
さっそく本を読むため、近くにあった、ラタンのロッキングチェアに座る。かなり座り込んでおり、人の模様で跡ができていた。その椅子は、私を拒否しているようでもあり、この日記を書いた「伊佐田 無棹」の特殊チェアなのだろう。
もしかしたら、この日記は、私のことを拒絶しているのかもしれない。
そんな疑問を持ち、日記を一字ずつ読んでいく。
それは、3枚の写真の日記であった。
2.日記の内容
この文章を目にするすべての人へ
私は、わけがあって一般的な教養のある文章を書けません。
それは、ディスレクシアと呼ばれています。
障害持ちの私のつまらない日記ですが、それでも、ゆっくり、ゆっくり、一文字ずつを照らし合わせて文と文をつないだ素人の文章です。ご不便をおかけするかもしれません。
それでも、役に立つ日記になるかもしれません。
そんな日記から一つでも学びがあったら、私も嬉しくおもいます。
*はしがき
家族という存在は、獣をうむが、また、人間も生む。
獣は、土足で、干渉し、自由に割り込み、その存在に水をさす。
赤の他人には、何も求めないのに、近くの人には高望みをする。
一種の狂暴な獣となると家族は殺し合いをする。
獣に取り憑かれたものは、本性をむき出しにして、弱者を喰う。
喰う獣は、お腹をすかせた大人は子供を喰らう。
自分を満たすために、自分のことより他人からもらうことのみを望むのです。
私にもその獣的部分は少なからずある。
しかし、その獣の部分と向き合っております。
ちょうどそのことを3枚の写真と共に綴っておきます。
*生まれの言葉
その獣のすべてを、僕は受け入れるんだ。
僕たちは、神を殺す選択をした。
その事実を、受け入れるんだ。
ただ、感情と向き合ってそれを活かすんだ。
この感情に名前をつけるんだ。
だって、そこに人生の深さがあるんからだ。
その深さが、長くなって、強く、逞しく、光りだすんだ。
ときに自分もきみも生ける屍となるかもしれない。
それもまた、輝きを生むんだ。
それは人だけでなく、星にもなるんだ。
数えきれないほどの星が夜空に浮かぶんだ。
ぼくも、あのどれかの一つなんだ。
笑って、笑って、ずっと、ずっと、照らしてみせるんだ。
月や太陽みたいに明るく照らさなくても、見上げたすべてが僕の笑顔になるならば、そしたら、月や太陽より輝くよね。
すべての生きものは、誰もが赤子で家族なんだ。
争い、壊し、共食いをし、生きた屍となり、それでも、同じ家族なんだ。
地球に生まれた、共通の家族。
運命共同体の家族。大気を超え、大地を超え、時間を超え、空間を超えた家族。
そのことを忘れ、少しの間、獣として遊んでいるだけなんだ。
だから、僕は、すべての獣も受け入れるんだ。そしたら獣も笑顔にかわるのだから。
*3枚の写真
随分長い間、私はこの世にゴミをばらまいてきました。
私は、そろそろゴミをばらまくのをやめ、腐敗した屍の山となり、そのお手伝いをするようです。
象が、死を予期するように、私も死を予期しています。
しかし、私は生きた屍でなく星になるようです。
宇宙塵となる私を見つけたら、きっとあなたは、窓辺から夜空をみて、ニヤけた変な人になるでしょう。
けど、窓辺から空を見上げ、ニヤけた変な人が、世間となったところを想像してみてください。
地球にいる人類が家族となり、他の星に笑顔を届けるわけです。
月と太陽が笑顔を提供していると想像したことがあるでしょうか。
まだ、世間が私の意見に耳を傾けないのであれば、人類はまだ獣として遊ぶ選択をするでしょう。なにも、対した話ではありません。目は横、鼻は縦の人間に違いありません。ただ、神を殺した死神で、あの鎌や黒く染まった羽織ものでなく、土や海の死骸が死神です。
死神にとっては、獣も人間も差がありません。
獣は殺して、死を知りたく、それも、それで許容します。
だって、私もかつては獣でしたから。
奇妙に彩られた世界から、目を逸らしておりました。
僕の記憶は、蜂のような黄色と黒いペンキの縞模様からはじまります。赤いランプの点滅の踏切の脇から、電車が通り過ぎます。
ハイカラーのオレンジの口に、真ん丸に二つの大きな目、透明なガラスの髪は、一瞬で過ぎ去っていきます。その大きな体の後ろにも、また、顔があり、背面を目で追いかけ、僕の顔はきらきら光っておりました。
そのとき、僕は、それが人を運ぶ物とは知らず、ましてや人を轢き殺す狂気であることも、また知るすべがなく、無邪気に、だた、「でんしゃ、でんしゃ」と、僕は指をさし、片言に親に訴えていたことを覚えています。
はじめてその物に乗ったときは、新たな世界の誕生でした。
期待に胸を踊らせ、いざドアが開き中にはいると、待ち受けていたのは、なんともどんよりした腐敗臭です。
そこは、ゾンビや道化師の住処で、無気力の大人たちをいまでもはっきりと覚えております。どれも、座席や吊り輪で草臥れた死体の顔ばかりで、ある意味新たな世界の誕生でしたが、とても興ざめしました。
しかし、窓に鼻をつけ、ガシャンと風が吹き、すれ違う電車の顔には、興味がありました。
また、新幹線というやつは、クールで、綺麗さと純白さがあり、人を轢くこともないようです。
そんな僕の幼少期は、土日には風邪を引き、布団が3倍くらいの重さになり、寝込んでいました。布団を脱ぎ捨てると寒く、羽織と羽織で、また、熱い。
肉体に不便を感じつつ、風邪を引くことには、いささか、ふわふわした何ともいえない心地よさを覚えております。
20歳を過ぎても寝ることは欠かさず、8時間以上の睡眠をとりました。
そんな僕は、愛想のある顔ようで「可愛い、可愛い」と、褒められ日常生活を過ごしましたが、その「可愛い」は、人並み以上の顔ではあったようで、恋愛的な対象よりもキャラクター的な可愛さで、群を抜いたものでなく、いまこうして鏡を見ても、目と口はいいものの、鼻は平たくのっぺりと鼻の穴が横にひろがっております。
可愛いというのも、少なからずのお世辞であったようです。
そんな私は、褒められることが恥ずかしく、好きな女の子とは喋ることができず、ただにっこりした仏頂面で、とるに足らぬ普通の子でした。
私は、そんな自分の顔を久々にのぞきたく、3枚の写真を取り出しました。
1枚目は、小学2年のスイミングスクールの写真です。そこには、小さい頃、大人たちが可愛いという理由が良く分かり、こんな子が、にこにこ問いかけてきたら、なんでも許してしまうでしょう。
なので、大人たちは、そんな可愛い、僕をみてほとんど怒ることをしませんでした。しかし、年を重ねて、男の大人たちは少なからず嫉妬があったようです。
奥底にある獣の権威性と闘争心が、幼子である僕を包丁で刺した記憶があります。
といいますのも、僕は他人より文章が読めませんでした。重度のアスペルガーではないですが、私には、文字がコンクリートに落としたアイスに群がるアリにみえておりました。
苦い思い出を一つ話しますと、学校の授業で、順番に音読をする時に「背中がブルッとした」という文章を「背中からブルドックが」といい間違え、先生とクラス中が爆笑し、文章を読むことに少なからずの抵抗が生まれ、後ろから僕は包丁で刺され、どこか穴があったら入りたい気持ちでした。
そんな遠慮がちな僕でした。
その恥が膨れあがった私が、二枚目の写真です。高校3年の夏の野球大会の集合写真ですが、幼少期の可愛さは失われ、その変容に驚愕するあまりです。
面皰ズラと無理に笑顔をつくった獣がそこにはいます。笑顔は得意ですが、その腹の奥では煮えたぎるフツフツのなにかが住み着いています。
18歳の獣は、目に生気がなく、その様は、ゾンビや道化師にみえます。ちょうど、電車のなかにいたあの腐敗臭のする人間そのものに私はなっていたのです。
なんとも憎たらしい冷たい目、かといってなにも行動できず、恐怖に怯え、社会の不平不満を抱えたそいつです。当然、この虚ろな雰囲気では、人を寄せ付けません。
つまり、私は生きた屍として、美貌を捨て、人間関係を捨て、人生を捨て、ただ、長い長い1秒を布団の中で過ごし、重病にもなりました。しかし、このことにより屍と生気の宿る人を選別できるようになります。
ちょうど、それが3枚目の写真になります。
私の葬儀の写真にもなることでしょう。
悩みのない澄み切った私が写っております。
いささか、この写真を見ると、つくづく私が私であるのか、疑う有様です。なにか、自分が他人に見え、ただ、静かに導かれる生命体に思うわけです。
ふと、3枚の写真を見るのをやめ、それぞれの顔を思い出そうとしても、すぐに忘れ、思い出せません。
もう一度見ると、そこには獣と誰かがいる。
これを伝えようとしても伝わらず、自分でもはっきりと答えることができず、言葉が出てきそうで、あとちょっとのところで消えてしまいます。もどかしさを感じるあまりです。
どうやら死神が、私にも近づいているためでしょう。
こうして記憶が薄れていくなかで、この日記の一枚一枚をもう少し詳しく綴ります。
*スイミングスクールの写真
「洸汰。学校に遅れるわよ。早くパンを食べてちょうだい」
どこからか声がするが、僕はまだ、寝てたい。
時計をちら見すると、朝起きるいつもの時間まで、5分あった。
「まだ、寝れるじゃないか」と思い、「うーん」と、伸びだけをして、もう一度安らかな顔で目を閉じる。
「こら、洸汰、早く起きなさい」
こうして、気持ちよく寝ているところに、怒ったお母さんで僕の朝がはじまる。
そんな母は、呆れて口癖のように毎日
「朝は、10分が命取りなの。食器洗いができないじゃない」
と、母は英語教室のパートに行くためにテレビをつけ、時間を確認し、掃除や洗濯と、家事でバタバタし常に何かに追われている。
その口癖は「忙しい、忙しい」という、獣のそれであった。
僕は、そんな母を気にせず、7時30分に起き、パサパサの食パンを口に押し込み、牛乳でかけこみ、テレビに映る7時50分のわんこの時間で家を出る。
地区ごと設定された、通学路の花壇の前に8時に7人ほど集合し、8時10分には教室につき、8時25分まで運動場で、鬼ごっこ。8時30分に出席をとり、15分の読書タイム。
先生も、日常の業務で忙しそうに行動している。
それもまた、獣のそれであった。
そんな僕は、8時30分までに学校に行き、無断欠席も、遅刻もしたことがなかった。
いや、したことがなかったのではなく、遅刻や欠席ということを考えたことがなかった。
熱が出たら、両親が学校に電話をかけ、おじいちゃんが家にかけつけ、集合時間に花壇にいけば、あとは流れるように遅刻せず、毎日が進んでいく。
僕は、天才小学生。
決められたカリキュラムのふつうをこなすプロであった。
「なんでもできる。やればできるんだ」と、疑わない素直な子だった。だれもが、空を飛べると思うよね。僕も空を飛んでいたのだ。
しかし、現実がやってくる。先生が、テストを返却すると、右上には55点と書いてある。
周りを見渡すと、100点と95点の子が、
「1問間違えちゃった。ここの答え何?」
「ねこが2ひきおおい。だよ」と、言っている。
僕は、55点で、なにがいけないのか、分からなかった。
そんな母さんに、テストの点数を見せると「洸汰は、優しいから。その優しさだけがとりえだよ」
と獣でない声で何度もたくさん褒めてくれた。
僕には、姉もいて、僕と違い勉強ができたらしい。
テストの点数に興味のない僕は、何点であったか全く覚えていない。
そんな姉の生活を中心に僕の生活も動く。姉は習い事をたくさん行い、姉がピアノ教室に行っている時間は、僕は近くの図書館でやる意味のわからない宿題の書き写しを母と正面に椅子に座りこなしていた。
わたしは、退屈そうにドリルを開き机に顔を引っ付け横を向き、アリの文字と枠線と点線の境界をまじまじと見て不思議に思っていた。
4つに分けられたその中にしか答が書けず、そのことに違和感を覚えていた。
そんなことを考えているから、漢字も数学も覚えられず、ただ、宿題をしながら、お母さんの顔や図書館に来客する顔に目がいく。
お母さんは、英検のテストを受けるべく背中で自分の頑張っている姿を見せようとしていた。
しかし、私の目にうつる顔は、眉間に、ものすごい皺を寄せイライラしている獣だった。
どうして、そんなにつまらなそうに机に向き合うのか、僕は、ますますわからなくなった。
僕の本音は、図書館にある無限の本を机いっぱいに広げてみたかった。
けど、私は母の範囲外に出るための言動の仕方も知らなかった。
そして、自己主張できるほどの勇気も持ち合わせていない。
だから、お母さんにとって都合のいい、優しい僕を演じるダサい男優であった。
そして、その主演男優を見破られることを恐れた。
だから、お家では無口でニコニコする優しい子となっていき、外ではおしゃべりが好きでニコニコする自分という二面性が生まれた。
必然的に家を避け、外で遊ぶようになり、4人くらいの友達のを順番に訪問した。
そのときは、足が軽くいろんな家庭をしれ楽しかった。
教授の子供の家にも、本がたくさんあり、僕は、本を開いてみたかったが、ここでもそんな勇気はなかった。ただ、その教授のつくる新聞紙と銀紙に包まれた黄金色に輝く、ほかほかのサツマイモは、いまでも忘れず覚えている。
「おいしい」と、笑顔で夢中になって食べていると、僕は時間を忘れていた。
しかし、子供には門限があった。
時間が過ぎてしまった僕は、仕方なく重たい足取りで家にとぼとぼ帰る。
家に着くとドアに鍵が掛かっており、はじめての出来事だった。
急に、なにか悪いことをしたように思ったが、「お家あいてないよ。なんでかな?」と、時間に囚われない僕は無垢に言った。
頻繁に門限を破ったわけでなく、姉のピアノ日などの約束の日は、守っていたので、そんなに親も咎める必要がなく僕を家に入れてくれた。
そんな幸せな僕は、朝起きて、遊んで疲れたら夜寝る。そんな毎日を繰り返していたが、それでも、家に鍵をかけられた恐怖は覚えている。
大人たちは、時間の呪縛のなかで生きており、幸せをみようとはしない。
その結果から出る獣の言葉「忙しい、忙しい」であることを小さいながらに、はっきりとぼくは知っていた。もちろん、当時は、そのことを文章にする術などなかった。
そして、獣でなくなる方法も知っていた。
大人たちは、山頂に登ることにすぐに忙しくなるので、登山中にある、一輪のたんぽぽをみればいいのだ。一輪のたんぽぽは、美しかった。
こうして、一輪のたんぽぽの僕は「笑顔で世界を救える」と知っていた。
教師は、ニコニコしている僕を、おそらく不思議な子と思っていただろう。
大人たちが「怒っても、なにか、釈然としない」態度を取りだしたのは、小学4年生くらいだった。
「謝りなさい」と強めに叱るが、私は何が悪いのか良く分からなかった。
先生や大人たちは、叱るばかりで褒めることは滅多にしない。怒っている顔のほうが、よっぽどおっかない顔で、悪いことをしているとは思わないらしい。
その顔が、電車の中でみたゾンビや道化師たちで獣と一緒であった。
だから、僕はそんな大人たちにわって入って、ニコニコしていた。
ニコニコする僕は、友達に恵まれ、いじめなどとは縁がなかった。
ある一定の人間関係をつくることよりも、どこにも馴染む僕であった。
しかし僕は、勉強やスポーツなどを「自発的に何かをしたい」とはあまりしなかった。「忙しい、忙しい」という、お母さんに対して負荷をかけたくなかったのだ。
そんな僕をみて、母は「このままでは行けない」と思ったのだろう。
お母さんは、何かに囚われたかのように血相を変えて、不安な顔で我が子を送り出す。
そんな不安な顔をされたら、僕はもっと不安であった。
その送り先が、スイミングスクールであった。
母は、その場を離れ扉は閉じられた。
僕は、無理やり、1人でぽつんとなり、泣き出したくなり、はじめて孤独感を味わった。
やけに床が冷たく、部屋内で無機質な大人の声で、体操が始まり、元気で、無邪気な子供たちは、テキパキと、クラス毎に分かれ、何かに従うロボットにみえた。
まるで、新幹線に乗る車両番号で優越をつけ、グリーン車や一般車、喫煙者、ゾンビ車、道化者に分け、みんなが競争し、争いの地獄行きの電車であることは知らないようだ。
私は、ぽつんと立ちすくみ、隅っこに1人でいた。そんなはじめての連続の僕に、先生が背中を押す。
僕の背中に冷たい手が触れ、ブルッとした。とても、とても冷たかった。背筋が凍った。水に入り、バタバタするがあまり前に進まず、僕は青と赤の60分の時計をみたが、それもまたゆっくりだった。
僕よりも小さい子もいるのに、平然と水に入って先生に甘えている。私は、にっこりするのは得意だが、人に懐くことはすくなかった。いや、懐く人を選んでいた。スパルタで競争し、窮屈そうな苦痛な人とは触れ合えず、顔を見た時に、笑顔でニッコリする大人たちは好み、獣でないことをしっていたが、そんな人は、ごくわずかで子供の心を持った大人はキチガイのようだ。
こうして、僕はこのときから徐々に変わっていった。
テストの枠は、枠にしかみえず、○と✕は、○と✕にしかみえず、その価値以上でないのに、どうやって価値を探せばいいか、分からなかった。
その疑問で頭がいっぱいになり、同時に、僕は学年が上がっていくにつれ、点数が低いことを恥じ隠すようになった。
スポーツでは、ある程度の評価が得られていたが、スポーツも学問も一番には、大人たちは文句を言わない。
大人にとってのいい子は、顎があがり驕り、大人にとって悪い子は、徐々に恥じが生まれその感情を強くなり、その答えは「笑顔」であったのだが、その笑顔が大人たちにとっていいことでなくなっていくのだ。
埋められない穴が私に流れ、週に1日のスイミングと宿題、そして家であまりに喋らない僕をみて、母は夕飯をつくるときに僕に音読をするよう求めた。
感情には、興味があるが文字には興味がない僕は半強制的に本を読むようになった。
「坊っちゃん 夏目漱石 親譲りの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。・・・」
こうして、私は矛盾を抱えながらも優しく生きてきた。
また、土日は家族でキャンプにいったが、そこでは、僕の穴は余計に広がることになった。
お母さんは、車の中で地図を広げ迷子になると、怒っていた。
母は、分からないことに対して、どうすればいいかわからず、感情を発散し自己防衛するのが癖であった。
そして、母は発散相手に父を選んだが、父は話を聞く人ではなく理解力もなかった。母は、会話力がない父に余計に怒り、父も、休暇に運転して地図くらい読み取って欲しく怒り、キャンプの道中の車内は、いつも愚痴と不平で溜まっていた。
車内は、煮えたぎるイライラで染まり夫婦の戦争の場で、お互いが殺しあっていた。
獣の巣に耐え難い、僕は「まだ?」と聞くのである。
もし、子供が車内で「まだ?」と聞くのであれば、大人は自分が獣になっていないか確認できる良い合図だ。
子供は、空気が澄んでいれば、車の中から外の永遠に違った景色を楽しむものだ。
僕が優しく、にっこり笑ってても、獣たちは後ろの席を見ないのだ。
ぼくは「大人は、不便だな。自分の感情でその場で行動しているんだな」と思っても、それを言葉にできず、ただ、虚しい笑顔がそこにはあった。
ぼくはキャンプに行きたくなくなった。
いや、キャンプは好きだった。夜空はとても綺麗だった。つまり、僕はキャンプが好きなのではなく、キャンプに行く道中が好きでなかったのだろう。
はじめて「笑顔で世界は救えない」と思った瞬間であった。
忙しい両親に本心を語ることは無駄であり、さらに家では語らぬようになった。
たまに、家族3世帯でキャンプに行くことがあり、親から逃げ私は違う家庭の車に乗ったが、そこでも夫婦のいざこざが行われていた。子どもたちは、大変だ。
それに合わせて、お腹が痛くなりパーキングエリアにすぐに向かう。
「お父さん、お母さん。そんなことで争わないで」って子供たちは言っているんだよ。
誰もが子供だったはずなのに、みんなそのことは忘れてしまう。
僕は、忘れられず随分苦しんだ。だって、受験にスポーツ、恋愛、ビジネスに世間は争いごとで、忙しい獣なんだから。僕は、その和に徐々に馴染めなくなっていった。
けど、なぜか分かってしまうんだ。その和に入れない子供は僕だけじゃない。クラスに何人もいるんだ。あの子とあの子、あの子。大体4人くらいはいるかな。だから、そんな子を見て、ぼくは手紙を書くようになったんだ。そして、何故かそういう人と隣の席になるんだ。
そのころは、可愛いことや褒めることができ、お喋りができるた。面白い話をしてふざけたけど、先生はこういうんだ。
「静かにしなさい」って、先生は僕をうるさい不思議な子と評価した。だから、目立たないように手紙になったんだ。
また、ずっと両親は、深刻な問題を抱えているみたいなんだ。自分だけが苦しんでいて、分かってもらえないと思る。だから、僕はにっこりテレビをみていたんだよ。
そうすれば、テレビを見ている自分を見て少しだけ微笑むからね。
嘘ついちゃったかな。ぼーっと口開けて、集中してみていたかな。
争いのない映画が好きで、空とぶお城やとろろ、風の国のアシタカは特に好きだったんだ。
それをね、お母さんに馬鹿にされたんだ。金色の野を馬鹿にするんだ。
だから、小さい僕の誇りに火がついたんだ。
「なんであんなにいい物をバカにするんだ」って泣いて泣いて、伝えたんだよ。
そう、僕は、泣き虫だったんだ。ずっと、ずっと、感受性が豊かだったんだ。だけど、泣くことや感情をあらわにすることを恥たんだ。そのため、感情という感情をしまいこもうとしたんだ。
けど、感情はしまい込めるものじゃなかった。
その結果、僕も獣になるんだ。無気力の獣に。
*高校3年の野球の引退写真
小学生4年生の時、私は、野球をはじめた。理由は、好きだった友達が野球をしていたからだ。中学・高校でも続けた。
学年が上がるに連れ、より強制的に動く手駒としての圧迫感が強くなった。
窮屈で、高校時代は生徒と先生の規則と争いが強かった。私は空き時間を見つけ、野球部の仲間とサッカーやバスケをやり楽しんだ。体を動かすことが好きなので、部活以外のスポーツは楽しめた。けど、顧問にそれも潰された。
「野球に集中しろ。怪我をしたらどうるんだ。試合も練習もなしだ」と、体罰や規則で監督は収まると思ったのだ。絶対的権力者の獣としての答えは、いつも規則・管理・支配である。なにも、私は秩序を見出したいのではない。
もっと、楽しい秩序にしたいだけなのだ。
それを、忙しい大人たちは我慢することが美徳であると思っている。
その我慢は、煩悩であるにも関わらず、自分が知らないことを知らないと認められない獣なのだ。ライオンは、捕食し生肉を食べ、獰猛であるとは思っていない。人間も似たようなものだ。
規則や管理、束縛をされればされるほど、早く野球やめたくなった。
だから、4番になってホームランを打っても、何とも思わなくなっていた。
ピッチャーもやるようになったが、三振を取ると打者の悔しがる。
一体私は何と、戦っているのか分からなかった。
ピッチャーは、尊大な羞恥心になった。一番の背番号を、自分のユニホームに編むことがあり、馴れない手付きで指の先に5度ほど針が刺さった。その番号は、右向きに歪んでいた。
一番をもらうことが恥ずかしかった。
打者でも同じで、ホームランを打つと相手のピッチャーは、悔しがり、その感情を私は受け取っていた。だから、あまり打ちたいとも思わなくなった。けど、チームは好きだったから、自分のできる最低限の頑張りをした。
私は不思議と、練習試合ですら最後のバッターに一回もなったことがない。そして、出塁率は高かった。それは、争いを好まず「繋ぐ4番」としての意識が強かったからであろう。尊大な羞恥心で目立ちたくなかったのだ。
なので、ヒーローなんてものになったことがない。
羞恥心から逃避に変わっていき、それが現実化していった。大人たちは、私にこういっていた。
「もっと、努力をすれば、ホームランを打てるのに、才能があるのに」と手前勝手にいいたい放題。
相手のピッチャーのことを考えると、たまに投げるコースや腕の振り、高慢や恐れ、誇りなどからボールがとまるんだ。
それを、打てばホームランになるけど、「努力ってなんだろう?」と、私は考えるようになった。そうすると、ボールは止まらなくなる。相手のピッチャーの感情を考えだすと、スランプになった。
そして、ゾンビたちの「もっと、努力をしなさい」には、そのあとに言葉がつづいているようだ。
「努力をすれば、幸せになれるんじゃないかな?」と漠然とした、忙しい大人の答えだ。つまり、努力できない自分に後悔して、それを子供に押し付ける。
獣は、弱者を喰おうとするのだ。
また、試合終わりのミーティングでも「いまの高校の時しかできない」というのは、ほとんどが、打てなかった監督自身の後悔の証拠である。
我慢をし、忙しい大人は顔に皺ができゾンビと道化師になると、自らが証明していた。
このとき、私は未熟な高校生で答えを出した。
「努力なんて、どうせ無駄。だれも幸せになれない。争いのもと。感情は必要のないもの」と、自分を押し殺した。争う気力もなく、世間の言う「努力すれば、夢が叶い幸せになる」という、幻の集団的な心理で行動ができなくなった。
考えて欲しい。1人が勝てば1人が負ける。
大人たちは、自分たちでその事を証明しているのに、言及すると獣となる。
だけど、私は世間を捨てるだけの勇気もなかった。だから、世間の見栄えで大学へいくことにした。
最低限の惰性の頑張りと強制的な義務感で、なんとか、最終試験で大学に合格した。
最低限の努力で最高の成果を上げた、高校三年生の写真の18歳の顔からは、電車のゾンビと道化師であった。
*葬儀の写真
一
ゾンビと道化師となった大学時代は、バイトをし電車で通学したが、保護フィルムがかかり記憶が、ほとんど失われている。
寝ることで現実から逃避したのである。
重度な肺炎になり、42度の熱が毎晩出ても病院にもいかず、一週間放置したが、若い体は入院手前で、薬を飲めば自然と治った。
肉体的には、完治したが、息苦しさは変わらなかった。
寝て起きる寸前に、大学の単位が足りなくて慌てて起きる。実際は、単位は足りて学士を取得した。友達がぼちぼち大学を辞め、寝て、バイトをし、大学に行き、遊ぶ。これの繰り返しに辟易としていた。これくらいしか記憶がない。
そして、私は世間に出ることは、あのゾンビと道化師になることだと決めつけていた。世間の顔を伺った私は、臆病で教授のコネを使ってインフラの中堅どころに安定を求めた。
世間に出る可愛い顔と、また相手の感情については良くわかった。
だから、それに合わせて面接の受け答えをし受かった。だけど、世間と争う気力もなく妥協で就職しているため働く意欲などない。
案の定、就職すると余計にゾンビと道化師に触れることになった。忙しい大人は、若いやつによく当たる。
「いまの若いやつは甘い。俺たちが就職したときは、もっと賢かった。もっとできた。もっと厳しかった」と、どの時代にも鳴り響く獣の遠吠えが一般化していた。
先輩を見ても、嘘だと分かってしまうほどの、お世辞と忖度で、上司に尻尾をふる。
一度、先輩に聞いてみたことがある。
「どうして、そんなに貶されて胡麻をするのですか?」
「それが、サラリーマンなんだ」と、優しく答えてくれた。私は不思議と、対面ではやさしく触れ合える。
が、この場所では、驕っている人に酒を盛り、その酒を綺麗に注げる人が、世渡り上手で出世していた。自分の後は、自分のように生きる人間であった。
考えるのを辞め私は、ただ、業務をこなすロボットになっていた。
変に、コミュニケーションを取るわけではなく、ただ、そこにいる1人で標的にもならないよう務めたが、どうも私は目立つらしい。ゾンビや道化師の仮面ではなく、どこか小さい頃の笑顔が残っているらしいが、退勤した電車の扉の吊り輪から映る自分は、スーツを着たゾンビにしか見えない。
嘔吐感から、答えを探すべく中学から読まなくなっていた本を休日に書店で手に取った。
すると、同じように同調圧力で蔓延るゾンビや道化師の存在について、ありありと書かれていた。
小説、自己啓発、哲学、倫理とジャンル問わず本を読み漁るようになった。
どうも、この虚構はソクラテスの時代から始まっている。それ以降の書物は、聖書や神話でしかわからない。
どの書物にも人間の獣的部分が乗っている。
そして、「神は死んだ」とある。
世間を見ると、神や仏について考えることもないようだ。
なにか漠然として「宗教家」や「信者」としてしか、考えていないようだ。
にもかかわらず、神社に行き、墓参りにいく。行動と言葉が一致していない。
それよりも、勉強にスポーツ、恋愛、ビジネスで世間は「忙しい」と言う。
この世間とは、なんだろう。
自分の中から見た世間に過ぎないのだが、それを、他人の指標で境界を引く。
酒の飲み会やキャバクラ、ギャンブル、朝まで飲み明かし、またキャバクラへ行き、そのまま働き、日曜日はギャンブル、酒にお金を使う。
そのなかで、本を読み漁り、私は睡眠時間の確保ができずイライラも募っていた。
たしかに、金銭的な安定はあるが、果たしてゾンビや道化師でない人間はここにいるのだろうか?
そこで、私はゾンビや道化師に触れ合うことにした。
彼らはみなやはり苦しんでいた。
その悩みは、家庭や人間関係、仕事、不倫、健康と各々の症状で現れていた。
声が大きい人は、はっきりした主張を言え出世をするが、それは、見栄っ張りでそれを見破られると、急に自分と敵対した派閥として、大声で「あいつはおかしい」と主張する。
道化師の仮面を剥がすと、醜い自分の獣となり、その正体である自分を恐れるのだ。その正体を知り得ると、可愛い感情になるのだ。
ほかにも、責任から逃れる道化師もいた。
ひたすら、責任を逃れ、会社にしがみつきお金の補助金や支援金をもらおうとする。
だから、そういった人は、大きな仕事は引き受けない。
大きな仕事というのもないんだけど、彼らにとってはリスクが高い事故や問題がおきやすい仕事は断り、簡単であるものだけを選ぶ。
それを見破ると道化師の仮面は剥がれ、獣となる。とても可愛い存在だ。
そして、ボスの道化師もいた。
ボスは、何でも自分の言う通りにならないと治らない。
「これは、どうなっているんだ?」と部下を怒鳴りつけ、自分が確認するまで事を任せられない。
それを見破ってしまうと「あいつは、分かっていない」と、また道化師の仮面が剥がれ獣の顔が現れる。
私はこのコンプレックスと向き合う人は見たことがあるが、本当の意味で向き合えた人は書物の中でしかしらない。
きっと、まだ自分も道化師で仮面を被っており、獣的な部分があるのだろう。
そんな自分も可愛い。
そうやって、人類を受け入れていくうちに徐々に人間関係に変化が起きた。
自分の周りに、獣の要素が少ない人になっていく。
類は友を呼ぶというが、あながち間違いではないようだ。
二
この頃から、すっかり忘れていた記憶を感情で思い出すようになっていた。都合の良いことも悪いことも脳裏にフラッシュバックする。
人は感情で記憶する。衝撃的なことははっきり覚え、書き写した夏休みの宿題は忘れる。感情に響かないものは、結局残らないのだ。
本も同じだ。ほとんどが、アリの文字で感情に何も響かない。
しかし、そのなかで感情に響き、アリのなかで一番大きい女王アリのようにみつけやすい。
さらに、アリだけでなく、本は鳥、イルカ、虫とキャンプで出会え生き物を想起する。私は、なにかわかった気がする。
死神に、獣も人間も差がない。
勝手に自分が、神や恐怖、獣と識別して肉体で遊んでいるだけであり、随分、世間を気にして恐れていた。
それからは、電車のなかのゾンビや道化師、獣、人間、死神ですら可愛くみえた。
私は、仮面でない自分を知ることで上手くいくことがわかった。
「汝、己を知れ」と、頭に浮かび、私はボロボロ泣いた。
が、ここで人生が終わるわけではなかった。また、終わらないとも知っていた。
だから、あっさり会社を辞めてしまった。
お金のことなんて気にもせず、ただ、辞めた。
会社からは引き止められたが、私の決意は変わらなかった。
自分の正体がわかったからだ。
家族のせいや誰かのせいにして、世間の自分としていたのもまた自分。
私は最後の会社を終え電車に乗って、1人で笑っていた。
ゾンビや道化師の正体が分かりその臭いがはっきりわかったからだ。
そして、最寄りの駅で降り、その電車の後ろを見送った。
背面には、人身事故で亡くなった屍もそこにはあるかもしれない。
一体、この世を呪った屍はいくつ有るだろう。
あの電車は、どれだけの生きた屍を運んでいるのだろう。
そう、思っても、にやにや想像できた。
世間は、ただ、自殺した人という「汚名」だけで終わる。
私は、最寄りの駅で降りて、家まで夜空を見て歩いた。
そこには、星たちが色んな形で笑っていた。
あの星とあの星で笑って、こっちの星とこっちの星で笑っている。
敷かれたレールで囚われていると思えば苦しくなり、電車のレールのなかでも楽しく生きることもできる。
いろんな形で楽しめる。死神と遊ぶことだってできるのだ。
私は、私として生きる。
私は、かつての僕として優しい素直な笑顔となっていた。それは大人のためでも自分のためでもない笑顔。
ただ、そうしていたかった。
三
仕事を辞め、明日から何をしてよいか分からなかったが、とりあえず、日記を書いてみることにした。それが必要な気がした。なぜかわからないけど、もう頭の中で文章はできあがっていた。
細かい修正は必要だけど、骨組みは決まっていた。
予め組まれているプログラムのように文章が連なっていく。
3枚の写真から、2日でこの日記の文章はできあがった。
いまは、両親の気持ちも色濃く分かった。
子育てや資本、仕事で必死だったのだろう。
その結果「忙しい、忙しい」と、常に獣のようにせかせか動いている。
それでも。こうして私を育ててくれた。
感謝しかない。
そして、その両親から学べることはたくさんあった。
良いことも悪いことも全てが学びであった。
両親も人間と獣の側面があり、可愛くみえた。
だれもが未熟である。
獣となったら、その時教え合えばいい。
お互いに弱者を喰うのではなく、協力し合えば良い。
体が不自由に馴れば、肩をかせば良い。
金がなくなったのであれば、ある金を共用すれば良い。
食べ物がなくなれば、食べ物を渡せば良い。
智慧がないのであれば、智慧を渡せば良い。
心配しているのであれば、つまらないから楽しいことをすれば良い。
そうやって、獣的な自分から新たな自分を見つけ出す。
傷の舐め合いの獣の家族より一家団欒の家族を私は求めた。
そこから、新たな学びがあったんだ。
*あとがき
私の旅は、あれから何も変わりません。
周りからは、少しばかり変な人に見えたくらいのものです。
生存・生活するために、すべての人を許容するようになってから、無為自然の微笑みが日常に染み付いています。
もちろん、獣からみたら、不快感がうまれ偽善者にしかみえなかったでしょう。
けど、そんな人も許容し続けて、随分、長生きをしました。
私も日記から分かる通り獣にもなり、いまも少なからずの獣なのかもしれません。
そして、立ち上がることのできない生きた屍を何度も目撃しました。
虚構や圧力は、いまだにある。
それもまた、一つの風味。
権威性と保守性、男女のなかも、凹凸も、補い合って成り立っている。
風味の咀嚼が終われば、獣も人間も万物斉同。
それが中道で、生も死も、また然り。
あの夜空を見上げたとき、どれだけの人の笑顔を思い描くことができるだろう?
星の中にぼくが見つかれば、永遠となります。
それ以外何もありません。
そして、語れぬ日記はこれで終わりです。
3.日記の結末
私は、時間を忘れ、チェアーに座っていた。
本を読み終えると、はじめは唖然とした。
ラタンのロッキングチェアが不思議と自分にフィットしている。
その後に、この日記に書いてある語れぬ感情が溢れた。
「社長、本日分の片付けおわりましたよ」と、1人の従業員の声にはっとした。
普段、感情を表に出さない私が、恥じもなく頬を濡らしていた。
従業員と少しの沈黙が生まれ、気を使ったように彼が話し出す。
「その本、価値があるんですか。いつも、素人が書いた本なんて価値なんてないと、言っていましたよね」
私は、彼の言葉に自分の獣をみつけた。
確かに、この片付け屋は、世間の役に立ち、お金儲けもでき順調にいっている。
世間からみたら、社長としての成功も収めている。
けど、追われる毎日で、いつまでこの業務をすればいいのか、分からなかった。
私は、その答えを見つけたくなり従業員をご飯に誘う。
「飯を奢るから、この日記をつまみにゆっくり。どうだ」
「どうしたんですか、そんな時間があるならちょっとでも、働く社長じゃなかったですか?奢りならいきますよ。あいつも誘ってみます」と、もう一人の従業員も誘う。
私は、この家族である依頼主の事も知りたくなり
「依頼主さんも誘ってみるよ。この本を渡したいしね」
「え、お客さんの接待ですか?」と嫌そうに従業員が言う。
従業員の忖度の獣を私は見え「おまえ、人間と獣の違いってわかるか?」
「どうしたんですか?さっきから、社長その本を読んで頭でもおかしくなったんですか?」
「そうかもしれないな」
「妙に、素直な社長で気持ち悪いです」
そんなさりげないやり取りをする一生に働く仲間もまた、一家団欒に思えた。
作業を終え、平屋の和風造りの家を出て、あの夜空を見上げると、そこには、いくつもの笑顔がみえた。
従業員の笑顔。友達の笑顔。自分の笑顔。子供の笑顔。ずっと、永遠にすべてがあるような気がした。