眠りの呪い
キンッ、と小さな金属音が響く。
それは、首から下げた反射の魔法が施されたアクセサリーが光り、現在進行形で何かを反射していることを示している。
(——気づかれたか?)
考えられる魔法は特殊な魔法を除いてサーチくらいしかない。
であればと大木に飛びつき、細い枝を揺らさぬよう慎重に体重を駆けながら上へと目指す。
一般にサーチ魔法は空間に対して有効だと思われているが、その実、水平方向にしか効果がない。
意識すればドーム状のようにも展開できるのだが、普通は大体自分と同じ背丈の者を探そうと無意識に制御してしまうのだ。
アクセサリーから光が消えたことを確認すると、やはりあれはサーチ魔法だったのだろう。
しばし息を殺して身を潜めていたが、再びサーチが飛んでこない事を確認すると、ハッと息を吐いて筋肉の緊張を解く。
サーチで何かを見つけた時は再度サーチを飛ばすなりで確認するのが普通だ。それがないとなれば、反射のアクセサリーが上手く機能してバレてはいないだろう。
(恐ろしく魔力精度の高いサーチだったな)
後方で控えているケラのサーチでも全身を微かな違和感が包み込むような魔力があるのだが、先ほどのサーチはまったく何も感じなかった。
この先には森に住まうエルフが薬草を育てているのだ。
しかも人と滅多に関わることがない森のエルフが、である。
それだけ稀有な存在がいきなり人の国で商売をしようとしているのだ。それだけで背後に何かあるのではと勘ぐってしまうし、さらには育成困難な薬草を育てているというではないか。
決して油断していたわけではないが、バグは気を引き締め直す。
幸いにも足場となる大木があちらこちらに生い茂っているので、速度は落ちるがそのまま大木から大木へと歩を進めていく。
(今回の目的はエルフと薬草栽培の規模を確認すること。であれば無用な戦闘は控えるべきだ)
もう一方の拠点に向っているセラにも重々言い含めてある。ケラは感情に流されやすいが、セラならば問題無いだろう。
枝葉をそっとかき分けて先を見る。
大木をいくつか抜けたその先、明るい場所があった。
不自然な茶色の土が見える事から、畑か何かだろうか。
そこが目的の場所だと見当を付け
バグはより一層と慎重になる。
(これは……)
近づけは明らかに周囲とは違う景色が見えてきた。
茶色に見えたのは土壁だ。
高さ一メートルくらいで、畑を囲うように聳え立つ。
こんなものは見たことが無い。
おそらく魔法で拵えたものだろう。
地魔法がある程度使える者であればこの程度の事は出来るのであろうが、そういう者は畑を護るのにこんな魔法を使わない。
畑を耕す者は魔法の心得が無いので、このような壁は作れない。
驚きの念を禁じえず、しかしバグはすぐさま意識を切り替える。
畑に二人の姿を見つけたのだ。
(片方は、エルフか……?だとしたら彼女が情報にあった森のエルフだろうか。もう一人は人間のまだ子供のようだが)
バグは動きを止め、全てを覚えるように視線を動かしていく。
エルフの特徴、子どもの容姿、畑の大きさ、植わっている作物、風景……。
僅か一分ほどでバグはこの景色をすべて暗記した。
この情報を渡せば誰でも薬草を育てる事が出来るか、と言われれば正直疑問だが、それでも時を切り取るかの如く情景を記憶できる能力は、バグを諜報員とたらしめる能力だ。
(長居は無用か)
視線の先、特にエルフの様子を伺う。
畑に肥料でも巻いているのか、あちらこちらへと顔を動かしている、その隙をついてゆっくりと後退する。
視界が徐々に枝葉で埋まる。
しかし最後までエルフの姿を視界から消すことは無い。諜報が最も気を付けるべき瞬間は、今まさにこの撤退する時なのだから。
エルフの一挙手一投足を見逃さぬよう下がり、終には大木の端まで来た。
じっと隙を伺い、後方の大木に飛び移るタイミングを計る。
『——隙が無いねぇ』
ぞわり、と背筋に悪寒が走ったかと思えばバグは迷うことなく大木から飛び降り、腰から短刀を抜いて振りかぶる。
空を切るかと思われた短刀は、甲高い金属音を上げて何かに弾かれた。
バグは短刀を手放すと同時に着地。
予備の短刀を抜き、中腰に構えて視線を巡らせる。
やはり気づかれていたかと苦々しく思うが、自分の役目はまだ続いている。気づかれても最終的には逃げおおせれば良い。
同時に、セラの事が気がかりだ。
今ここで早々に逃げおおせれば、エルフの敵意がセラに向く可能性がある。セラはここよりもさらに奥に進んでいるため、下手をすれば撤退時に待ち伏せされる恐れもある。
(——いや、撤退だ)
判断に迷う時間はない。
これまで使用してこなかった身体強化を全身に発動し、バグは後方に大きく跳躍する。体から漏れ出る魔力で察知されやすくもなるが、後退を優先する。
すでにエルフの姿は大木で見えないのだが、それでも攻撃が来るなら畑の方からだろう。
警戒を怠らずに跳躍を何度も繰り返し、一度しか通ってきていない森の中を完ぺきに覚えているのか、迷うことなく後ろ向きで下がっていく。
「幻影よ」
魔法を使う。
自身の幻影を作り出すものだ。
幻影はそのまま後方への跳躍を繰り返していき、自らは身体強化を解いて一本の大木の影に身を潜める。
もしエルフが追ってきているようであれば、別方向に逃げるのだ。
ここで使うのはサーチなどの魔法によるものではないく、振動や香り、風の流れと言った自然由来の手がかりだ。
呼吸と心音を数秒で落ち着け、ゆっくりと周囲の雰囲気を全身で感じ取る。
(——静かすぎる)
それはこの森に入ってからずっと感じていた事だ。
道中で獣にも魔物にも出会わず。
ふと、バグはこの森がなんと呼ばれているかを思い出した。
遠い記憶。
幼い頃、王都に住んでいたいた時に祖母と薬草採りに出かけたことを思い出す。
あの頃は薬草なんて駄賃欲しさに子供が採ってくるものであり、王都のすぐそばにも良く生えていた。
祖母に手を引かれ、薬草を採っていた時だ。
『いいかい、バグ。向こうに見える森には決して入っていはいけないよ。入れば二度と目覚めない眠りの呪いに掛かってしまうんだから』
『眠りの呪い?』
そうさ、と祖母は頷く。
『あの森は眠れる王が支配する国。入った者は決して帰れない、眠りの森——』
バグは改めて周囲の状況を探る。
始めに気付くのは生き物がいない。
しかし、それは本当にいないのだろうか。
セラのソナーでも確認出来た動物は少ない。
ケラのサーチに引っかかった魔物は僅か。
確認手段としては十分すぎるし、セラとケラの腕前であればまず間違いない。
だというのに、腹の奥底から染み出るこの違和感は何だろうか。
(——そうか、この大木か!)
瞬間、足首にシュルシュルと蔦が強力な力で巻き付いた。
「ロックナイフ!」
バグは土魔法による無数の刃を作り出し、蔦を切り刻む。
同時に大木から離れると、周囲を囲む大木から距離を取るために開けた場所に立つ。
「……まさか樹木の化け物とはな」
見回せば四方から迫りくる木の根や枝、蔓。
タコの足の様な、しなやかな動きでこちらを囲むように包囲網を狭めてくる。
このままではじり貧だが、かと言ってこの状況を打破できるだけの武器はない。
ならば、逃げるのみ。
「ロックブリッツ!」
身体強化をし、本来なら敵へ使う魔法を自分へと使う。
足元から岩が勢いよく盛りあがり、バグを天高く吹き飛ばした。
「ブラスト!」
大木よりも高く吹き飛ばされたバグは、風魔法による突風を引き起こす。
これで幾分か距離は稼げたはずだ。
落下の衝撃もブラストを使用することで強引に消し、走る。
樹木が敵だとすれば、ここはまさに敵地のど真ん中なのだ。
視界の端から現れえる蔓を短刀で払いのけながら走る。幸いなのはこの蔓がふつうの草木と同じ強度で、直ぐに切れる事だろう。
とはいえこれが丈夫な木の根になってくれば、切るのも容易い事ではない。
(ケラとセラは無事だろうか……)
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