神の誤算
よかった。あの女神じゃない。
姿見に現れたのは柔和そうな顔つきの老人。白髪に長い口髭を結わえ、全身からはどことなく後光が差している。
かつて魔王へと転生した時と寸分違わぬ姿にまずは安堵。
『そちらは息災かのう?お主を魔人族の王へ転生させてから随分立つが、何か困ったことでも起きたかい?』
「それが実は私、勇者に討伐されまして」
『……なに?』
柔和な顔つきが急に険しくなる。
その反応を見るからに、ヤトラが倒されるのは神様にとっても想定外だったようだ。
しかし神様は慌てない。
ふむ、と顎をしゃくると何やら手元で光る板を出現させた。
現れた板を指先で操作すると、少しずつ表情が曇っていく神様。
更に追加で数枚の光る板が現れ、忙しなく指が動く。
その光景に不安を覚え始めるヤトラだが、その後も神様は表情が険しくなるだけでなく、指先が微かに震え始たり、「馬鹿孫娘が」とか「権限がすべて持っていかれるじゃと?」などと不穏な言葉が聞こえて来ては、大きなため息が漏れること数度。
『……すまん。そちが居るからにと怠けていた儂が悪い。実はこの世界の管理者権限が馬鹿孫娘に盗られているようでの。儂からの干渉が一切行えんのじゃ』
「それでは、この世界は永劫あの女神の物に?」
そうはさせん、と厳しい顔つきになった老人が、まっすぐにヤトラを見据える。
『馬鹿孫娘はどうやらそちらの世界に閉じこもり、神界からの干渉を逃れようとしているようじゃが、そうはさせん。時間は掛かるが儂はこれから創造主の元に行き、馬鹿孫娘の罪状を明らかにしてくるつもりじゃ』
「いいのですか?身内ですからもう少しやりようというものが……」
『いいんじゃ。思えば馬鹿孫娘をいつまでも甘やかしていた儂や息子夫婦にも原因がある。いつまでも子供の悪戯で済むと思っている馬鹿孫娘にも、そろそろ灸をすえねばならん』
それはヤトラにとって無関係のためどうでも良いのだが、このままだとまずい事情もある。
神様のいう「時間が掛かる」は基本的に一〇〇年単位だ。ハイエルフである自分なら待てるが、ラウダたちならとうに墓の下だろう。それでは意味がない。
「神様。実は今回お願いがあっておつなぎさせていただきました。魔王であった私は討たれ、力なき魔人族が人間に弑されるという事が起きています。かといってハイエルフである私が人間に立ち向かえば、世界はさらなる混沌に落ちてしまいます」
『うむ。お主の事じゃ。魔人族を人間に転生させたいとでもいうのであろう?』
『ご理解いただけているのであれば話が早い。しかしあれは神様のみが使える御業と認識しています」
『確かに。転生は我ら神界に住まう者だけが使える技。しかし転生ではなく輪廻転生であれば、お主でも使えるであろうよ」
「輪廻転生、でございますか?」
『そうじゃ。儂らが使うのはその世界から外れた存在へと昇華させる転生。故にもともと世界の一部たる者は使う事が出来ん。しかし輪廻転生はその世界の中で命の始まりから終わり、そして再びの始まりを司る技。その世界で巡る命であれば転生させることが可能。ハイエルフの身であっても、人間への転生くらいは出来るはずじゃ』
これを、と神が姿見を通り越して一本の杖を寄越す。
真新しい木材で出来ているようだが、持ち手の部分は渦を巻き、しかし切り出したような加工がない。まるで最初からこの形で生えていたのを取ってきたような形だ。
『名もなき杖ではあるが、それは神界に生えている木で造られたもの。こやつに魔力を込め、その者を六回叩けば人間へと転生出来る。——ただし、一人につき使えるのは一度きりじゃ。輪廻の輪を強制的に飛び越して転生させるこの技は、二度目を使うと魂がすり減り、廃人か狂人となり果てる』
「分かりました。肝に銘じます」
『お前さんにばかり苦労をかけて済まんの。詫びというわけではないが、これは其方への贈り物じゃ』
テントの中、ヤトラの全身が優しい光に包まれる。




