5 初体験
「うわぁ……」
地下牢がどういうものかなんてイメージでしかなかったが……大方イメージ通りの場所だった。
日の光も入らないから薄暗いし、カビは至る所に生えているし、クモの巣はあるし、そして何より寒い。煉瓦の隙間から、ときおり冷たい風が入ってくる。
牢の中には、カビと汗が混じったきつい香りを放つボロボロのベッドと、トイレ(というかバケツ)があるのみだ。とりあえず部屋の真ん中あたりに、膝を抱えて座り込んだ。
うぅ寒い。パジャマ姿で即座に連行されたので、着替えも毛布も持って来れなかった。あの大臣め、絶対許さん。
この世界は身分社会だ。日本では考えられないが、ここでは身分の高い者が絶対で、その者の機嫌一つで首が飛んでしまう。私の事も建前上は取り調べをするが、実際もう処刑は決定しているかもしれない。そう考えると身震いした。
今までこちらに来てから、激動の毎日を過ごしていたので、あまり深く考える事は無かったが、急に家族や日本が恋しくなってしまった。お母さんやお父さんは今頃、私を探しているのだろうか。悲しんでいないか。病院の患者さん達は大丈夫なのか。考え出したら、不安は止まらない。
私は日本に帰れるのだろうか。帰りたい。日本のご飯が食べたい。お母さんが作った味噌汁やおにぎりが食べたい。
どの位時間が立っていたのだろうか。気が付くと視界がぼやけていた。自分が泣いているからだと理解するのに少し時間がかかった。そういえば、こっちに来てから一度も泣いてなかった。
「あんたが、あの大臣に突っかかった奴?」
突然男の声がした。顔を上げると鉄格子の向こうで、愉快そうにこちらを見ている男がいた。乙女が泣いているのに、空気が読めない奴だ。突然の事で驚いたが、涙を拭ってから返事をした。
「別に突っかかってはいない。自分の仕事をしただけ」
男は泣いていた人間が、いきなり強気な返事を返して来たので、少し面食らったようだった。
「へぇ、そりゃ災難だったな。あんた外国人だろ? この国では長生きしたければ、どんなに理不尽で間違った事でも、取りあえず頷いておくんだよ」
「そんな事出来ない」
「上手く立ち回れって事だよ。あんた下手そうだもんな」
男は鉄格子越しに毛布を投げきた。
「それでも巻いとけ。少しはマシだろ」
思っても見なかったプレゼントだ。誰か知らないが助かった。
毛布はそこまで生地も厚くないし、ゴワゴワしていたが、身体に巻けば風が凌げた。
男をまじまじと見る。腰に剣を差していたので、衛兵だという事は分かったが、ただの衛兵ではない。赤いマントに、胸元には王家のエンブレムーー近衛騎士だ。何度か陛下に会いに行った時に見た事がある。
ナトムさんに聞いた話だと、近衛騎士になるには、貴族の血筋、剣の腕が必須で、貴族の男子の憧れだとかなんとか。
という事はこの男も貴族なのか……失礼だが口調が貴族らしくない。
しかし明るいグレーの瞳に、少しウェーブのかかった黒髪、長身で顔も整っているので、さぞやモテるのだろう。
「俺はマグシム。騎士団第三部隊隊長だ。宜しくな」
「カンナです。それよりマグシムさん助けてくれませんか? 近衛騎士様でしょ」
「俺が大臣より身分が高いと思う? 助かりたければ真剣に女神に祈るんだな」
「はい?」
何言っているんだこの人は。なぜ、そこで女神?
「女神は本当に助けが必要な時は、必ず助けてくれるらしいからな」
「……そうなんですね」
ここの人達は信仰心が厚い。というより神様と人との距離が近い。
みんな毎日のお祈りを欠かさないし、何か本当に困った時は、女神様が助けてくれると強く信じている。私自身も、別の場所に瞬間移動という不思議体験をしてるけど、これも女神の仕業なのかね。それなら、お願いだから元の場所に帰して欲しいな。
そんな事考えているうちに、マグシムさんはいつの間にか、椅子を用意して、鉄格子の前に座っていた。長話する気満々だよこの人。
「本当だぞ。有名な話を挙げるなら、50年前の王様が、ある日、文字が読めない病気になったそうだ。それで女神に祈ったところ、空から二つの不思議な丸いガラスが落ちてきた。それを顔の前にかざしたら、なんと文字が見えるようになったとか」
「いやそれ眼鏡だろ」
思わず、つっこんでしまった。
「あんたも女神に祈ったから、ここに来たんじゃないの?」
「え、違いますけど……」
「あんたが大神殿で捕まった日は、偶然にも国の繁栄を祈る大事な日だったんだよ」
「……」
「すごい奇跡だよな、カンナ」
「呼び捨てしないで下さい」
なんだよ、お堅いなぁと声がしたが、無視して考える事にした。
そもそもここは何処なのだろう。ヨーロッパ? っていうか地球だよね? 服装や食事、生活様式を見る限り、中世のヨーロッパのようだけど、何故か言葉が理解できるし、通じるし、女神が王様に眼鏡という魔法のアイテム?を授けてくれるし、もう訳が分からない。地球ではないのかな……
いやいや、それより今は生き延びる方法を考えなくちゃ。どうすればあの大臣から逃れられるのか。陛下に助けを求めるのが一番だが、ここからじゃ、どうする事も出来ない。なんだよもうダメじゃん、終わったよ私の人生。
かなり時間が経っていたのか、気付いたらマグシムさんも居なくなっていた。
「……」
胸元の位置で両手を組む。目を瞑って女神に試しに祈ってみる。
女神様お願いします、ここから出して下さい、っていうより日本に返して下さい。日本に帰りたいです、帰りたいです、帰りたいです……
数分待ってみたが何も起きなかった。
「やっぱりダメかぁ」
深い溜息を吐いて、ベッドに腰掛けた。腕を組んで、どうしたものかと考えているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
「カンナ! 起きなさいカンナ!」
「えっ……」
煉瓦の壁の隙間から光が射している。鳥のさえずりも聞こえる。朝になったんだ。そして、ゆっくりと覚醒してきて、目の前の人物がはっきりと判別ついた。
「プロン様! どっ、どうしてここに?」
陛下の叔父、プロン様はにっこり笑う。
「処刑になるかも知れないのに、熟睡するとは……将来大物になるな」
「プロン様、私処刑されるような事は何もしていません! 信じて下さい」
「分かっているよ。ただお前が大臣に嫌われただけだ。フェルや私が気づかないうちにお前を処刑しようと思ったのだろう。だが私が釈放の手続きをしたから、もう大丈夫だ」
嫌われただけで殺されるのか、勘弁してくれ。
でもプロン様のおかげで助かった。
「プロン様、助けていただきありがとうございます」
プロン様に笑顔を向けた時、プロン様の顔色が悪い事に気が付いた。冷や汗をかいている。
「プロン様、お身体の調子が悪いのですか? 顔色が……」
「いや、大丈夫だ。それより礼は私ではなく、お前が捕まっていると、私に密告してきたマグシムに言いなさい。彼は私の近衛騎士でね、軽い男に見えるが優しい男なのだ」
そうだったのか。自分の身も危険になるかもしれないのに、よく知りもしない人間の為に動いてくれたのか。さすが近衛騎士。そっけない態度とってごめんなさい、マグシムさん。
地下は朝でも寒い。毛布を身体に巻きつけたまま、鉄格子を通り抜ける。しばらく登り坂の廊下を歩いて、階段を上がれば、地上だ!
「でもプロン様にもこうして助けてもらいました。本当にありがとうございます、このご恩は絶対忘れません」
もしかしたら今日死んでいたかもしれないのだ。私には助けてくれない神様より、プロン様の方が神様に見える。
「あはは、そんなに言うなら、一つお願いがあるんだ」
「はい、なんでしょうか」
プロン様は大柄な体格だ。身長も高いが体重も陛下より重いだろう。130キログラムくらいだろうか。廊下は登り坂なので、プロン様の背中を押しながら、ゆっくり進む。
「私の代わりにフェルを助けてあげてくれないか」
「…………え」
いきなりすごい事を頼まれた……陛下を私が助ける?
「私のような力のない人間が、陛下を助けられるとは思いませんが……」
「味方になってあげてほしいんだ。王とは孤独だ。しかも、あいつは4年前、まだ19歳の若さで即位した。フェルは優秀な王だが、大臣達の中には若いと言うだけであいつを過少評価し、王位を簒奪しようとしてる者も少なからずいる。だから、助けてあげて欲しいんだ」
プロン様は足を止め振り返る。陛下と顔はあまり似ていないが、瞳の色は陛下とそっくりな綺麗な海の色だった。
「フェルの父親、私の兄上は立派な王であったが、4年前に病で亡くなってしまった。フェルの母親も既に亡くなっており、私がフェルの親代わりをしていたのだ。次の王を決めるにも、私は母親の身分が低いため王にはなれないし、器もなかったからね。可哀想にあいつは若くして、国を背負わなくてはいけなくなったのだ」
すごい世界の話を聞かされている。19歳で国を背負うって、どれだけの不安やプレッシャーを感じているのだろうか。想像できない。
「私は長生きはできない気がするんだ。最近はたまに身体が痺れたり、めまいや呂律が回らなくなる時があってね」
「え、大丈夫なんですか? お医者様には診てもらいましたか?」
「あぁ、だけど原因は分からないそうだ。だから、今の内に君にお願いしておこうと思ってね」
プロン様はなぜ私のような力もなく、突如現れた怪しい外国人に、こんな事をお願いするのだろうか。不思議に思っていると、それが顔に出ていたのかプロン様は笑顔で答えてくれた。
「私はこれでも、人を見る目はあってね! カンナなら、絶対にフェルを助けてくれると確信している」
長い登り坂の廊下を進み、階段を上り、やっと地上に出られた! ここはどこだろう。城の東側だろうか、窓から差し込む日差しが眩しい。普段なら紫外線を気にして太陽は極力避けていたが、今は日差しを浴びれる事が嬉しくて窓に駆け寄った。
太陽最高〜気持ちい! 眩しい! 生きてて良かった。本当に助かって良かった。
「プロン様、本当にありがとうございます」
プロン様の方を振り返り再度お礼を言う。
「……」
返事が返ってこない。どうしたのだろう。プロン様を見ると顔は見えないが、頭を抑えて固まっている。
「プロン様? どうしました?」
心配になって、プロン様に近づこうと一歩踏み出した時、プロン様はそのまま意識を失ったように床に倒れた。
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本日はもう一話投稿予定です。