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銀河通信  作者: 天水二葉桃
9/13

銀河通信 その9 Always Coming Home4

 今年の夏は、今までの夏ともう違う。

 私はさっきまで聴いていた今年初の一番ぜみ(?)の鳴き声と彼(女?)の飛び去った後ろ姿を想いながら、なんとなくそんなことを思っていた。


 ついさっき、アイスをとりに冷凍庫を開けた時のことだ。

 じ、じじっ、じじじ……という、蝉の練習鳴きのような声に気づいて、私は台所の窓を開けて外を見てみた。それは何だかすぐ近くで聞えたから近くの木にでも止まっているのかと思ったのだけれど、声自体が止んでしまった。そういえば、蝉の声、しないな。今年の夏はなんだかやたら静かで、日中は熱くても朝夕はすうっと涼しいので、夏を通り越して秋を感じるときもあったくらいで、おまけに蝉の声もしなかったから、やたらしんとした感じだったのだな、と改めて気づいた。

 長い土中での期間を終えてやっと外に出てきて、そしてちょっと練習、とでもいった感じで鳴いてみたんだろうなあ。なんだか可愛らしい。巣立ちを見守る親のような気分になってしまった。いずれまた鳴き出すかな? と、しばらくどきどきして待っていたら、じじ、じじじ、じ~~~わじ~わわわわ……と蝉らしく大音量で鳴き出し、ぴたっとまた鳴き止んでしまった。

 なかなか本領発揮とはならないのかもしれない。

 焦ることはない。

 ゆっくり自分のペースでやればいいのだよ(?)。

 植物たちに水をあげようと思って外に出たついでに辺りを見渡し、家の壁にくっついているその蝉を見つけたときは、こんな近くにいたのか、と驚いた。見つかった蝉のほうもびっくりしたのか、そのままどこか遠くへ飛んで行ってしまった。去って行く後ろ姿に、今年初の一番ぜみの声きかせてくれてありがと~~、子孫を残しても残さなくても、とにかく残りの蝉生を思いっきり生ききれますように! と旅立ちのエールを送るような気持ちで見送ってしまった。短い縁だったが、なんだかおもむき深い(?)縁だった。いとをかし。


 今年の夏はもう今までの夏とはぜんぜん違う。

 何かが違う。 

 変化の波の気配がそこかしこにあって、それは、いろんな予兆をはらんでいる。

 そしてわたしは、すでにその波に乗り始めている──それはちょっと不安なようで、でもわくわくするような、笑い出したくなるような不思議な感じ──新しい世界が目の前にどんどん開けていくとき特有のどきどきする感じが、体のあちこちからするからだ。宇宙の風にのっているみたいなここちよい疼き。微細な振動のような。ぴりぴりと指先から頭の先にまで、何か新鮮で、あたたかくやわらかな、楽しげな微電流が流れているような感じだった。この感じには、覚えがある。懐かしい。湊君に初めて会った年も確かこんな感じだった。

遥香はるか、出る用意できたの? 先生と待ち合わせしているんでしょう?」

 窓の外を眺めながらのんびりアイスを食べていたらママがやってきて、のほほんとしている私に心配そうに声をかけた。

「うん。これ食べたら出るから大丈夫」

「ご迷惑おかけするんじゃないのよ」

「うん」

「ねえねえ、ちょっとこっち来てみない?」

 ママが嬉しそうに私にそう言うので「?」と思いながらアイス片手に後をくっついて中庭に出てみた。

「これ、この葉っぱ、見覚えない?」

「あ、これ野イチゴの葉っぱじゃない?」

「そうそう。遥香が小学校に上がった記念に買って植えた野イチゴ。ジャムをつくれるほど収穫もなくて翌年にはもう他のハーブの勢いに負けてか見かけなくなって何年も経っていたけれど、まだ生き残ってたみたいなのよ~~。今年になって突然元気にあちこちから芽を出し始めたの。びっくりよねえ。今まで全然見かけなかったのに。ちゃっかり残っていたし、逞しく繁茂していたの。植物ってすごいわねえ」

 植物も蝉みたいに何年も土中で成長するんだろうか???

 私は疑問に思いつつも、初々しく可愛らしいぎざぎざのついた葉っぱと細いつるを眺め、またここであの可愛らしい白い花や葉の緑と赤い小さな実のコントラストを見れるんだなあ、と嬉しくなった。

 しばらくにこにことふたりで新芽の群れをみていたら、

「あら、もうこんな時間。そろそろ出ないと遅刻するんじゃない?」

「わ、ほんとだ!」

 予想外のハプニングの連続で、時間配分が狂ってしまった。でもそれは、なんだか幸先のよさそうなハプニングだった。あわてて家を出て、駅まで早足に歩きながら私はわくわくしていた。

 今日はこれからレイラ先生と先生のお友だちが例の民族楽器を使った演奏をスタジオで収録するのを見学させてもらえるのだ。実際に楽器を見せてもらえるのも、その演奏を聴かせてもらえるのも、すべて楽しみだった。

 父が音楽好きで、エンジニアの本業の傍ら内緒のアルバイトでバーのピアノを弾いたり、おじさんバンドを組んだり、色んなジャンルの音楽を凝ったステレオで聴いたり、自分で色々楽器を演奏したりミキサーでアレンジしたりするような趣味人で、その影響か、私も音楽が好きなのだ。私は楽器の演奏はできないので(チャレンジしてみたが三日坊主で終わった)聴く専門だけど。





 【風の丘】においてもらえることになった私は、そこには色んな人たちがいるのにちょっと驚いた。部族以外の色んな人がナギや私みたいに、ここではひとつの大きな家族のように普通に生活していたからだった。暮らしむきは質素だったけれど、なんとなく、ひとびとはみな豊かだった。

 一番は時間の過ごし方。

 ここでは、みんなそれぞれの時間軸をもっているようで、決まった時間にみんながこれをする、ということがあまりないのだ。

 日の出とともに起き日の沈むと同時に休みたい人もいれば、夜の闇のなかで夜行性動物のようにいきいきと活動するひともいるし、いろいろ。街での時間の観念とは違って、それぞれの生体リズムによってまちまちの時間を生きている。時間割を強制されない、生体リズムで自由に生きられるってことが、こんなに精神的にも肉体的にも豊かなものなのか、開放的なものなのかと、私は初めて知った。

 急かされたり焦るということがないぶん、みんなおおらかなのだ。

 無駄にぴりぴりしているひとがいないので、改めて私は、街や礼拝所での生活を便利にする時間割が人や生命というものに与える影響について考えてしまった。それはある意味予定が組みやすく合理的で効率的で便利なようだけれど、いつのまにか、生命や生体のリズム、そのロジックから遠ざかり、都合とか合理性とか利便性などが優位に代わり、自分たちがコントロールしているつもりで支配され使われる側になるものだったのだ。

 それぞれが固有のリズムをもっているし、天体の運行と潮の満ち干や生物のリズムが連動するように、何かもっと大きなもののなかの生命のリズム、宇宙のリズムのようなものと連動していくものがあるようだった。それはひと本来のもつ感覚を目覚めさせるし、呪縛のようなものを解きやすくするし、そのひと本来の固有の振動数を上げていく──それは魂の成長や進化にかかわるような運動だった──のに、私はすぐに気づいた。

 シャンティだけの能力ではなかったのだ。

 本来、みんながもっているものだったのだ。

 【風の丘】の長老は【風の馬】の曾祖父でもあり、シャーマンだった。彼はそのひと本来の生命のリズムを取り戻し、調律したり調和させたりしながら、固有の振動数を微細なレベルにまで上げていって魂の成長や進化を促進する術をこころえていた。そしてそれをみんなに、それぞれに合わせて授けていたのだった。 

 ナギは彼のそばで自分の研究を兼ねて手伝ったり、部族外のひとにわかりやすいようにまた翻訳して伝えたりと、色々と積極的に携わっているようだった。

 ここでの生活は、私にはとても刺激的だった。

 何よりも新鮮だったのだ。

 シャーマンの力をお伺い目的や利己的な目標達成のための相談やなんかにではなく、癒しや助けを求めるため頼るだけのために使いものにするのでもなく、自らの魂の成長のために、ふつうに役立てている人たちの存在を知ったから。

 そして、そこには、支配や操作、搾取のシステムが、ない。

 そういった支配の構造自体が、まったくないのだった。

 まさに自然。おのずからしかり。魂の、その調和を伴った、それぞれのペースでの成長や進化の促進があるだけだったのだ。成長したい人もしたくないひともいる(今の魂の段階での水平的な探究を現在の目的にしている魂もある)。それもまた自由なのだった。何らかの価値基準を押しつけられたり強制されることもなく、それぞれの在り様がそのまま尊重されているだけだった。

 それは、まさに、私が求めていたもの。

 言葉にならない魂の希求のようなものとして、いつも感じていたものだった。

 ああ、こういうひとたちもいた──よかった──。

 初めてそれにふれた時の感動は、とても大きかった。

 やっと、ずっと探していた何かに初めて廻りあったような、そんな新鮮な感動だった。



 【風の馬】はすでに立派な若きシャーマンで部族の若きリーダーでもあり、長老である曾祖父の手伝いをしていた。私は彼の姉である【羽をもった水蛇】と一緒に薬草つみを手伝ったり、ナギのそばでお手伝いをしたり、動物たちの世話をしたり(ほとんど一緒に遊んでいたようなものだけど)、ぶらぶらとあちこちを散歩して色んな人の話を聞いてみたりと、けっこう楽しく過ごしていた。

 なかでも私が関心を持ったのは、農業の在り方だった。

 厳密にはそれを農業と言えるのかわからないけれど。

 ここでの農業は、彼らの在り方や精神性そのままで、命の循環をそのまま大切にしていた。

 ある程度開墾はするのだけれど、種を蒔いたらそのまま放っておく。雑草を抜いたり、虫を取ったりということはせず、そのままなのだ。水やりくらいはするけれど、収穫量を上げるためのあれこれをすることはないし、すべてを刈り取ってしまうこともない。そもそも必要以上に生命をとることはなく、植物も虫も動物も鳥も土も水も風もみんなそれぞれの神としてそのままの存在を大切にするし、大きな家族のようなものだった。

 人間だけを特別視したり、生命やあらゆる存在をすきに支配できる特権階級だと思い込んでいるような在り方は、ここにはない。そもそも下位にあるものから搾取するという構造自体がなく、基本的には、ここにあるのはすべての生命や存在との平等なシェアの感覚だった。命の循環は、シェアすることそのものだから。

 (水やりの世話くらいなものだけれど)世話を受けて伸び伸びと育ち、実をつけたり、つけなかったり、他の鳥獣に食べられたり、そのまま枯れたりして生命を終える作物もたくさんある。全て収穫してしまわないから。

 それは私の感じていたエネルギーのシェアや循環の感覚とものすごくマッチしたので、ああ、こんなふうにしてもいいんだな、これでもいいんだ、とちょっとほっとしたのだった。

 【風の馬】からここでの在り方やその精神性を聴いたとき、私はちょっと泣いてしまった。気づいたら目からぽろぽろと涙が出ていたのだった。なんだか嬉しかったのと、ほっとしたのと、やっと廻りあったとか何かそんな懐かしい郷愁のような感情とで、胸がいっぱいになって、つまって、そうして目から涙になって溢れ出した、そんな感じだった、

 彼は私がよっぽど街や礼拝所でひどいめに(?)遭わされていたのだろう、と思ったようだった。それからも何かと、とても親切にしてくれた。実際あんな荒涼とした砂漠の中にぽつんとあった塔に閉じ込められたりしていたわけだから、確かにひどいめには遭っていたけれども、なんというかそれは、自分で惹き起こしたことでもあるので、彼の誤解を解いた方がよいか少し悩む所だった。別に極悪非道な人たちのいるところってわけでもないのだ。ただ石頭で少しトンチキなだけ(??)で。しかしそれを説明するのって難しい。改めて、礼拝所のシステムやら街の仕組みって、しちめんどうくさいものだったんだな、と実感した。

 その中で生きていたときはそれが普通だと思っていたけれど、一旦そこから外に出てみたら、何と不合理で不自然なややこしいものだったのか、と思う。

 合理性という観点からしても見事に落第点だった。

 私の赤点よりひどい(?)。

 支配の構造を維持するための、無駄なもの、不合理なもの、不適切で不自然なものがあまりにも多すぎるのだ。ノイズだらけではないか。というか、本物があまりにもちょっぴりか、ものすご~く薄められているようなもので、それをそういうものだというふうに、みんながみんな馴らされていたんだろうと思う。誰が何が悪いと言うより、みんなでそれを信じているのでそれを続けてしまうだけなのだ。協同で創り上げている幻想が壊れて現実にそれぞれが責任をとるしかなくなるまで、それを続けてしまうんだろうと思う。

 私はそこからぽいっと放り出されていたので、幸か不幸か、幻想から目醒めるのが早かっただけだった。過去のものにしがみつけばしがみつくだけ、自分の魂の目的からずれていくだけだったし。




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