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零式艦上戦闘機23型  作者: 通りすがりの野良猫
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マリアナ沖海戦での零式23型の活躍

零式艦上戦闘機23型が初めて正規空母に搭載されて海戦に参加したマリアナ沖海戦の

話しです。

零式艦上戦闘機23型はミッドウエー海戦後実用化されたが航続距離が翼内燃料槽

が縮小されていることから、やや少なく、ガダルカナル島をめぐる長距離援護

には不適当とされて少数が実用試験を兼ねて南方に送られただけであった。


ただ、ラバウルなど基地航空戦では防空任務に優れた能力を発揮して、基地航

空隊では局地戦闘機として運用されて、艦上では上空直衛を主任務とされるよ

うになった。


防空戦での戦いぶり示すエピソードに、後のアメリカ大統領になる人物を二人も

撃墜したことが上げられる。


1人はポートモレスビーに視察に来ていたジョンソン上院議員(当時は予備役の

海軍少佐であった)乗った第22爆撃航空群のB26である。

ラエ付近で零戦隊と遭遇して辛くも逃げたものの、途中不時着してカタリナ飛行

艇に救助されたのである。

彼は後にベトナム戦争において不適切な戦争指導が評判を落としたが、彼を

救助した乗員はのちに「救助しなきゃよかった」と言ったとか?


もう1人はブッシュ大統領(親父のほうである)で軽空母サンジャシント第51

雷撃飛行隊に配属されて小笠原の父島空襲していたころである。

TBM雷撃機の操縦士である彼は、父島付近で零戦に遭遇し被弾、更に対空火器から

の攻撃もあり脱出を余儀なくされる。

その後潜水艦フィンバックで救助されるのだが、彼の場合湾岸戦争が勝利に終

わったせいか「救出しなきゃよかった」という声はなかったようだ?


上記の件はいずれも当時の記録から零式艦上戦闘機23型の「戦果」なのは

偶然ではあるが興味深いエピソードである。


さてこのような経緯から新型空母 大鳳が就役すると、主力艦上戦闘機として

搭載されるようになったのであるが就役早々と、史上最大の空母戦となったマリ

アナ沖海戦に投入されたのである。


この海戦は双方とも空母戦に関しては目的を達成できなかった珍しい例である。

この海戦の時期にはアメリカ海軍の空母戦力は質、量とも圧倒的になりつつあっ

た頃であり、日本側の空母機動部隊はこの戦いで壊滅してもおかしくなかった。


ところが双方とも「アウトレンジ攻撃」を意図したことや、今回奇跡的に改善し

た日本側の防空戦の指揮がうまくいったことから、ある意味日本海軍は助かった

のである。


そもそもアウトレンジ戦法というものは、相手が届かない遠方から一方的に敵の

機動部隊を叩こうという、虫のいい話である。

どうしてそんな都合のいい話しを考えるかといえば、日米の空母同士の戦いの推

移を振り返ってみると、理解できる話である。


珊瑚海海戦以来の結果を見ると、レーダーで長距離から敵の来襲を発見して

有力な対空火器を備えた護衛の艦艇をそろえ、無線電話で適切な戦闘機の管制

を行っている米海軍ですら、何度も虎の子の空母を失っているのである。

ひどいときは太平洋方面で作戦可能空母がない事態まで陥ったこともある。


なんせ、日米の空母とも、イギリス空母や戦後の空母で一般的な装甲された

飛行甲板みたいなものがない、のである。

25番通常爆弾、や500ポンド汎用爆弾を叩きつけられたら、いずれも一時

的とは言え、航空機運用能力の喪失につながるのである。


ひどい場合は、台湾沖で行動中、1機の彗星艦上爆撃機に奇襲された軽空母

プリンストンに25番通常爆弾が命中、格納庫甲板にて爆発したら出撃準備

中のTBM雷撃機などが炎上したことからさらなる誘爆を引き起こし、大破炎上。

さらにその支援にあたった軽巡などまでが被害を受けるほどの爆発で最終的に

処分されたりしているのである。


このようなことから貴重な空母を危険にさらさないような方策を日米とも採る

のは自然な発想であった。


ところがこの方策には双方にとって大きな陥穽があったのである。

日本側は開戦以来の消耗でベテラン操縦員の補充が底をつきつつあった。

一方で新規の搭乗員の育成はまだ途中の段階である。

特に長距離を飛行して敵を捕捉する索敵面で問題が発生してしまうのだ。

また、航空機用電波探知機の開発と装備が遅れているのでいくらアウトレンジ

での攻撃を意図してもこの面でも劣勢であった。


実際戦闘開始後、目標のない洋上を長距離飛行して、敵艦隊を捕捉し、敵の

妨害を突破して空母に雷撃や爆撃を敢行するのは困難を通り越し、不可能に

近くなっていたのである。


一方で米軍も爆弾搭載量を削ってでも長距離からの攻撃を意図したのであるが

これにより日本側より有力な攻撃力を自ら制限してしまう結果になった。

一例としては艦爆は1000ポンド爆弾を搭載可能であったが500ポンド

で我慢せざるを得なかったのである。

一方で、ミッドウエー海戦などの過去の成功体験(急降下爆撃であっさりと赤城

や加賀を仕留めた経験で)から日本側の防空能力を過小評価したのも、失敗で

あったのだ。



結局蓋をあけてみると、双方とも虫のいい話は失敗した。

まず米軍については、空母機動部隊の損害は防いだが、攻撃隊は無理な運用から

多くの機体の不時着水という問題を発生した。

そして、その乗員の救出と水上艦隊で敵艦隊攻撃の任務で派遣された艦隊は

突出してきた日本軍の水雷戦隊の夜間魚雷攻撃で思わぬ損害を受ける羽目にな

ったのである。


しかも米軍の機動部隊の対空火力のかなめの一つであるアイオワ級高速戦艦、

やっとこさ真珠湾で大破着底していたところ修理、近代化できて現役に復帰し

たテネシーやネバダといった旧式戦艦隊が電探を装備して夜戦の能力をアップ

した日本海軍の水雷戦隊から多数、異方向からの魚雷攻撃を受けて、撃沈や

大破の被害を受けるなど予想外の損害をも受ける結果になり、事後の作戦に

支障が生じるほどになったのである。


後世での評論に、この機会に戦果拡張すべきであったとの評論もされたが、現実

にはこの戦闘は翌日予想される米軍からの追撃に対する時間稼ぎであったので、

無理な話であったのだ。


ただ時間稼ぎとはいうものの、世界最高の射程、かつ高速の93式魚雷を使い

各戦隊ごと大遠距離で扇状に発射し、即退避したおかげで予想以上の戦果を挙げ

ることができただけである。

戦後、米艦隊の航海記録と突き合わせてみると、もし日本の水雷戦隊が従来通り

の水雷夜襲を企図していたら、双方の電探の能力の違いから、米艦隊の電探射撃

で大損害を受けた可能性も判明したのである。



一方残念無念な結果に終わったのは日本側の攻撃隊でもあった。

満を持して発進した各攻撃隊は、索敵の混乱、進出途上で適切な米軍の迎撃を受

けてほとんど目標とした空母を叩けなかったのである。


護衛任務に就いた零戦52型の搭乗員たちも奮戦したが、レーダーで早期に発見

されて余裕をもって上空で待機、高度の優位まで取り待ち受けた多数のグラマン

F6Fの攻撃の前には限度というものがある、、、、。


また速度が遅く損害が多くなった99式艦爆のかわりに25番を抱いてきた零戦

(爆戦と称された)も過荷重の状態ではどうにもならず、爆装を放棄してなんと

か逃げ切れるかどうかである。


また、97式艦攻に代わる新しい天山雷撃機や99式艦爆に代わる彗星も、米軍

のライバルであるTBMアベンジャーやSB2Cヘルダイバーより機体性能は優秀でも

強力なF6Fに食らいつかれては、どうにも。


さて米軍に攻撃された日本軍の機動部隊はというと、、、、。

今回は旗艦である大鳳からの統一指揮を受けた戦闘機による防空戦闘で、空母に

ついてほぼ無傷で乗り切れたのである。


これは以下の要因が功を奏したと考えられている。

①マグネトロン、真空管などの主要部品の品質の安定、操作要員の習熟でようやく

探知能力の安定した2号1型電探(21号電探)

②ようやく性能の安定した無線電話を活用した防空戦闘指揮

③零戦52型をしのぐ降下速度、強力な火力を持つ零戦23型を艦隊の直掩に張り付け

上記の、過去の戦訓を生かした対策で、まず米軍のお得意の急降下爆撃を封殺する

ことに成功したのである。

さらに米軍の雷撃隊については、ミッドウエー海戦同様の損害を与えることに

成功した。


また護衛してきたF6Fも従来の零戦に対応したような急降下で振り切る戦術が

通用しないことに驚愕する始末。

また、護衛の艦艇に対する攻撃も、より効果のある1000ポンド爆弾を

使えなかったことが幸運であった。


また、空母を守る水雷戦隊は、忍び寄った米潜水艦を見事に捕捉して旗艦と翔鶴

を守ることに成功した。

これはほぼ僥倖に恵まれたこと、でありこの1件以来必死に日本海軍も対潜能力

向上に力をいれるようになったのである。



しかしよかったのはここまでであった。

ばらばらと艦隊に帰還する攻撃隊は、壊滅的といえる損害を受けていた。

しかも帰還したのはほぼ戦闘機、爆戦であり、艦攻、艦爆はほぼ全滅に近い状態

であった。

中には味方基地に着陸寸前、待ち伏せた敵機に食われたのもあるとのこと。

また共同して米艦隊の攻撃にあたるはずの特設基地航空隊も、海戦前からの米軍の

空襲もあり、多数の陸上攻撃機を失っている。

これによる機体の損失、さらに熟練搭乗員も失ったことから海軍航空隊の攻撃力は

喪失したといえるレベルの損害をうけ、大戦中はもう回復できなかったのである。



特に陸攻隊は、かってのマレー沖海戦の栄光も地に落ちて、索敵任務でも「敵

艦みゆ」または「敵戦闘機と遭遇、、、」の無電を最後に消息を絶つ機体が日常

的に出る始末となった。

これがドイツのように電子、電波技術があれば艦上機にはない搭載力を生かして

滑空誘導爆弾などを装備して、敵戦闘機の脅威の少ない海域での船団攻撃など

まだ活躍する余地もあったのであるが、わが国の技術レベルはそうも許して

くれないのが現実であったのだ。


また日本海軍の陸攻隊は空母と並ぶ攻撃力の2本柱の一つであった(ここは米軍

違うところである。)から陸攻隊の凋落はそのまま海軍航空隊の凋落でもあった

のである。


さてこのような厳しい現実を突き付けられたのは、海軍だけではない。

日本陸軍もサイパン島をめぐる戦闘で、大きな衝撃を受けたのである。、


サイパン島はそれまでの島嶼防衛戦と違い、十分に兵力も配置、火砲なども配置

していた場所であり、十分米軍の攻撃に耐えうると考えていたのである。

(あくまで日本軍の視点からであるが、十分準備していたのである)


だのに、あっさりと失陥したのである。

これの衝撃は大きく当時の内閣総辞職もやむを得なかったのである。

この軍事、政治的衝撃を受けて、これからどうするか?

これはまた零式艦上戦闘機の行く末にも大きな影響をもたらしたのである。



これについては項を改めて述べたいと思う。







書いてみたけど、やはり圧倒的な米空母艦隊相手では、勝ち目はないですね。

システム的な防空が取り入れられた時期ですから、攻撃より守るほうが有利

と思います。

これを打ち破るにはそれこそCAPの外から攻撃できる新たなシステムが必要

と感じます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 23型より強力な23型とはこれ如何に? 52型?
[良い点] 大鳳、翔鶴が生き延びた。次は信濃の番ですね [気になる点] 金星ゼロや紫電改の出番があるのかな [一言] 米軍のコードネームは忘れましたが二式水戦のフロートを見間違えて液冷ゼロの認識表が初…
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