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零式艦上戦闘機23型  作者: 通りすがりの野良猫
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原子力と日本海軍

戦後、長門がビキニの実験で使われましたが、、、




さてさて、大戦後の海軍に大きな影響を与えた技術のとしては誘導

弾の他に原子力というものがある。


昭和21年、ビキニ環礁で大戦後初の原子爆弾の実験、クロスロー

ド作戦が実施された。

これは旧式戦艦、空母などを目標にして空中爆発のエイブルショット、

さらに水中爆発のベーカーショットの2発の原子爆弾で攻撃する試験

であった。


このとき米軍では戦艦ネバダ、空母サラトガ、インディペンデンス、など

多数の艦艇を標的艦として投入した。

例のドイツ巡洋艦、プリンツ・オイゲンもその仲間に入れられた。

そしてわが国にも標的艦の提供を求めてきた。


当初、海軍は「ふるい5500トン級の巡洋艦でも」とか考えていた

が、米政府からは「長門をだせ」と言ってきたのだ。


長門はよく知られている通り、旧式戦艦となったものの、何度となく

わが海軍の旗艦として働いた有力な戦艦だった。

わが国民にも広く知れ渡った、いわば日本を代表する戦艦だったのだ。

(後世では世界最大の大和、武蔵が世間で有名になるが、この2艦は

戦時中の竣工などから報道管制が引かれていてあまりなじみのない

戦艦だったのだ)


これには海軍挙げての反発があったが、米海軍筋からの情報では

日本に対して「停戦とはいえ、実質的に敗戦」の事実を示す意図

がある、と伝えられては、海軍省も軍令部、連合艦隊もぐうの音も

でない話である。

やむを得ず、横須賀港で米軍に引き渡し、ビキニ環礁に回航されること

になったのだ、。


そして、海軍省、艦政本部などからオブザーバーが派遣されてテスト

に立ち会った。

このときの報告の一部を引用しよう。

「定刻ニナリB29カラ投下、ノ連絡後、数秒経過。

 太陽ガモウ一コデキタカノヨウナ閃光ガ走り、強烈ナ爆音、

異様ナ、キノコ状ノ雲ガビキニ環礁ニ停泊中ノ標的艦隊ヲ包ム。

遠目ニ、艦隊ハ健在ニ見ユルガ仔細ニ観察スルト被害ノ大ナル

コト空前ノモノデアル。

正規空母サラトガ、ノ煙突ガ倒サレテイル。

至近弾デモ直撃弾デモナク、遥カ上空デ炸裂セシ原子爆弾

ノ爆風ハ巨大ナ煙突ヲ押倒シテイタ。


特ニ中央部ニ位置シテイタ艦艇、戦艦ネバダ等、主要構造物ハ

健在タリシモ各部損壊、軽艦艇ノ多くハ上部構造著シク破損、

イズレモ戦闘継続不可能ナル損傷ヲ受ク。


コノ結果カラ推察スルニ次回ノ水中爆発デハ、強大ナル水中

衝撃波ニヨリ更ナル損害ガ予想サレルモノナリ。」


この報告での予想は的中して、次回の水中爆発では長門も姿

を消したのである。


この実験は海軍全体いや日本の軍部全体に大きな衝撃を与え

て、より米英と強い同盟関係を構築することにつながっていく

ことで戦後の日本の政治体制にも大きな影響を与えることに

なる。

そう、戦時中我国でも理化学研究所を中心にして原子爆弾の

研究はされていたが当時の日本の技術、経済力、などからは

製造は断念されていたのだが、アメリカはそれを成し遂げてしま

っている。

こんな国を相手に戦争していたことの恐ろしさを改めて認識

させられてしまったのだ。


そして停戦後、わが国に進駐してきた在日米軍、英東洋艦隊

連絡部 などから構成される統合司令部は

当初は占領軍の司令部として日本軍、日本政府に対して

「指示」する面が強かったが、第二次日露戦争で日米、日英が

連携して戦ううちに大本営陸海軍部をその中に取り込むように

変わり、名実ともに統合司令部としての機能を発揮するように

なっていく。


こうして昭和25年の朝鮮動乱に至っては、朝鮮半島で孤立し

た米海兵隊の支援に蒼龍、飛竜から発進した零式艦上戦闘機

33型甲が米海兵航空部隊のコルセアとともに支援したり、

艦砲射撃の大和、武蔵の上空援護を英空母トライアンフからの

シーフューリーが行うなどの共同作戦がスムーズに実施される

までになっていた。


この活動はのちに、ヨーロッパの北大西洋条約機構にならぶ太平洋

条約機構の設置につながったのである。

こうして同条約機構の指揮下にはいったわが軍は有事核装備を

受けることも決定された。


最初は空軍のF86FでMk7戦術核兵器を運用することから始まった。

そして後にF104,F4と続き、現時点ではF35にその能力が引き継が

れている。


海軍は米海軍と共同でより多くの武器システムに核兵器の導入を

検討した。

第1弾は、戦艦の主砲から発射する核砲弾である。

大和、武蔵の94式46cm砲から発射するMk23mod1核砲弾である。

これはもともとアメリカのアイオワ級などのMk7、16インチ砲

からの発射を考えたものだが、これにサボをつけて大和級から

の発射を可能にするものだ。

これは後にアメリカが運用を断念した結果、キャンセルされた。


次は核爆雷である。

戦後、原子力潜水艦がソ連で増勢されたことから、概略の位置さえ

わかれば確実に仕留められる武器として考えられた。

これは当初、空母搭載のS2の一部、後にはほぼ全機に搭載可能とされた。


そして戦闘機に核運用能力も付与された。

翔鶴以降の空母に搭載されたF9F8、一部のF11J、後継のF4が搭載機

として整備された。

ただ、アメリカ空母より一回り小さい空母が多いので、攻撃機を別に

搭載して核を運用するのは断念された。


また、駆逐艦から無人のヘリコプターで核爆雷を敵潜の潜伏海面に

運ぶDASH、ロケット推進の核爆雷を投射するアスロックも導入され

た。


ただ艦対空ミサイルはターターが射程が短いこと、小型で核装備

困難なため、後にスタンダード艦対空ミサイルの長射程型が導入

されるまでは不可能だった。



興味深い反応をしたのが、陸軍だった。

政治的環境の変化から、陸軍が外地で戦闘する機会は大きく減ること

になった。

そして主な想定戦域は北海道とその周辺、九州北部 や周辺の離島

となる。

そうなると、そのあたりで物騒な核兵器は使えない。

さらに、ちょうどこれから各種国産兵器が導入を控えている時期であ

り、そちらの予算を食われては困るのだ。

高価な核兵器は、空、海軍にお任せしたいのが本音だったのだ。


また原子力の利用は核兵器ばかりではない。

本家たる米海軍では動力としての原子力の応用が進んでいた。

加圧水型原子炉を陸上で運転し、実証したのち、原子力潜水艦ノーチラ

スをもって最初の1歩を踏み出した。


さらに空母でも殊勲艦エンタープライズの名を継いだ原子力空母を

建造して後にすべての空母の原子動力化を達成した。


この流れはわが海軍も見逃していない。

運輸省と共同で原子力推進実験船むつを建造して航海実験を行った。

しかし原子炉の遮蔽に問題があり、十分な実験も済まないうちに計画は

中止、のちに原子炉部分を切除して海洋観測船に改造された。

(一部には陸奥のたたり?とか根も葉もないうわさが流れた)

また、米軍の実績で原子動力の艦艇のコストが当初の予想よりはるかに

高いことも判明してきた。


この結果もありわが海軍は原子力動力の艦艇は建造することなく

現在に至る。

このようにして、わが海軍は大戦後、第二次日露戦争、朝鮮戦争の

大きな荒波をくぐりつつ、ベトナム戦争やその後の湾岸戦争などから

変革をしいられ、自身でも変革して今日も世界有数の艦隊を保持して

いるのだ。


もし日本に原爆が落とされず、被爆国という立場で

なければ、西ドイツなどのように有事の核装備は

ありえたのではないでしょうか?

戦後、そのまま陸海軍が存在して、対ソ連の冷戦構造に巻き込まれていたら

果たして日本人は、反核意識をもったでしょうか?


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