満州の前線にて
舞台を満州にいるなけなしの日本軍の機甲部隊についてです。
では視点をまた満州の前線に戻すと、まだまだ大変な騒ぎである。
当初の混乱は収まりつつあり、だんだんと孤立した抵抗拠点を結ぶ
戦線のようなものが少しずつ形成されてきたのだ。
これは当初快調に飛ばしてきたソ連軍が、予想と異なり、日本軍が米英
軍の支援を受けるという情報が入ったため、慎重に行動し始めたことに
よる。
なんせ、独ソ戦の戦場で鍛えられた彼らにしたら、万が一隠れる場所
も乏しい平原で、有力な航空部隊の攻撃を食らったらどうなるか?
不安を感じながらの前進である。
敵の航空優勢下で、現在、ここにいない戦友たちが身をもって示した
戦訓を思い出さずにおられないのだ。
一方守る関東軍の各部隊にしてもまだ楽観できる状況ではない。
あのT34が旅団単位で攻めてくる。
しかもよく見ると、随伴する歩兵は、アメリカ製の半装軌車で追及してくる。
この装備の良さを見ればどうやらなんらかの称号を持つ、親衛狙撃兵連隊の
部隊が来ているのだろう。
多数のSU76自走砲や例のカチューシャ自走ロケット砲などの火力支援部隊も
強力そうだ。
このような部隊の正面にいるのが、わが軍の歩兵部隊だが列強の中でも、まだ
威力もそれほどでない対戦車兵器を装備しているのだから、もう大変である。
しかも十分な陣地構築などできていないところも多い。
しかも、対戦車戦術の主流が肉薄攻撃という奴だから、戦車1台と1個分隊を
交換するような凄惨な戦闘になってしまう。
戦闘後、撃破され遺棄されたT34の周辺には、肉薄する前に随伴歩兵にやられ
た兵士や、片手に梱包爆薬を持ったまま息絶えている兵士などが倒れているの
である。
ただ彼らの戦闘が無駄にはならないことが、このあと示される.
前線で歩兵部隊が敵の戦車部隊の攻撃を必死に支えている間、後方では使える
部隊を集成しては前線への増援部隊をまとめていたのである。
その一つが、これから述べる臨時戦車大隊である。
これは当時満州で、実用試験に入っていた最新の4式戦車の先行量産型、の1個
中隊とその支援部隊、などにその他の部隊をあわせて編成した大隊である。
4式は暫定的に90式野砲を1式戦車の車体に搭載したような3式と違い、
高初速の4式高射砲から派生した戦車砲を搭載した本格的な次世代の主力戦車と
なるべき戦車である。
これは後に戦後開発された61式(昭和30年代ころから新たな装備品は制式化した
年の西暦で呼称されるようになる)のテストベッドにも活用されるなどして
戦中、戦後を通して活躍することになる。
これなら少なくとも今のソ連軍の中でも数的に主力のT34・76には優越した火力
を持つことから期待を担って投入されたのである。
ただ、兵力が小さくまともに敵主力に対して投入できないため、挺身攻撃に活用す
ることになった。
そう、日露戦争の時に騎兵第一旅団、例の秋山好古将軍の放った挺身攻撃隊に
倣ったのである。
目標は鉄道施設、それも操車場、トンネルなどである。
ネックになる施設を攻撃、することで敵の補給を妨害を目的としたのだ。
「軍曹殿、この先どうするつもりなんですかね?」
「さあまだ正式な命令は来てないが、大隊本部の同期の話じゃ、ずいぶんと補給物資
を準備して、トラックや装甲兵車をかき集めているようだ。」
「ってことは、この中隊を基幹に、、、」
「多分そうだろう。
いくらこの4式が日本軍としては強力とはいえ、たかが1個中隊、それも実用試験
中の車両だからな。
苦戦している前線の部隊の支援に放り込んでも、いくらも持たないわ。
さいわい、うちの中隊は立場上、輜重関係が充実してるだろ?
なんせトラックは不自由しないくらいあるし、整備の連中も腕利きぞろいだし。
機甲部隊の強みを生かした使い方、、、、がいいだろうな。
とはいえ、頭の固いお偉方がどうするかなんてわからんが。」
戦線後方で4式中戦車の整備をしながらの会話である。
敵機の空襲を警戒して偽装網の下で、整備作業中なのだ。
えっちらおっちら運び込まれたやつを次の命令を受けるまでに整備している。
どんな命令がでてくるか、、。
この臨時戦車大隊の活動はまた項を改めて紹介したい
史実では高射砲やその他の増産に追われたりで4式といいつつ、ろくに
生産されずに終わった車両です。
どう使うか難しいところです




