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零式艦上戦闘機23型  作者: 通りすがりの野良猫
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グラーフ・ツェッペリンのその後

ドイツ東部の撤退戦を援護したグラーフ・ツェッペリンですが、、、

先に述べた通り、ドイツ東部から避難民、撤退するドイツ軍を乗せ東部から西部の

米英軍の占領地域にピストン輸送していた空母グラーフツエッペリンは、最終的に

デーニッツ提督の命令で、イギリス軍に降伏した。


最後に降伏したときには、搭載機は空の状態であった。

最後の避難民輸送の際に全機発進して、上空直掩し、あとは燃料の限り援護させ

たのである。

そして燃料の乏しくなった機体からまだソ連軍の来ていない地域に着陸させ、

以後の行動は自由としていたのだ


唯一の残されていたのはHe200の初期生産型が1機だけ格納庫に補用機と

して解体されていた機体のみだった。

すでに組み立てる時間もなく、ましてガソリンが払底している現在では意味が

なかったのだ。

後に、この機体はイギリス空軍が接収して評価することになり、幸運にもその

まま博物館で展示されることになる。


そしてグラーフツエッペリンは、同様に撤退作戦に参加した重巡プリンツ・、オ

イゲンとともにイギリス軍とアメリカ軍の合同調査チームにより調査の対象とな

ったのである。


グラーフツエッペリンは、唯一の空母であり、かつプリンツ・オイゲンは唯一の

稼働状態を維持した大型戦闘艦であることから、特に関心が高いようであった。

なんせビスマルク級は2隻とも、特殊潜航艇X艇により仕掛けられた爆薬で機関部に

それぞれ甚大な被害をうけて、ノルウェーのフィヨルドで大破着底しており、戦後

解体されたのだ。

シャルンホルストはPQ船団を攻撃したときに戦没、グナイゼナウはイギリス空軍の

しつこい爆撃で大破していた。

他の装甲艦、巡洋艦なども大なり小なり破損しており、大型艦ではこの2隻くらい

しか稼働できなかったのだ。


その後、両艦はいったんスカパフローにて保管艦扱いとなったが、戦後すぐ、

2隻とも、大西洋を渡り、太平洋へと回航されることになった。

急な決定で、イギリス海軍も困惑したが、詳しい説明もないままに、パナマ運河

経由で回航、サンディエゴに送られた。


これには政治的理由からであった。

ソ連がこの2艦を欲しがったのである。

すでに日本と米英は停戦、第二次日露戦争が始まっている現在である。

この段階で、ソ連にドイツ艦艇をおすそ分けする訳にはいかない。

まして基本的に日米英とドイツ以外持っていない空母のノウハウをくれてやる

訳にいかないのだ。

こうなれば彼らの手の届きにくいところに持っていくしかない。

そう、戦後最初の核実験に供されることになったのだ。

ビキニ環礁で行われるオペレーション、クロスロードである。

そこで標的として使われることになったのだ。


ところが運命とは皮肉なもので、第二次日露戦争が激化して、航空機による近接

航空支援の要請が増大した。

しかし、残念ながら、戦況は流動的で、かつ戦後の大規模な復員のおかげで、米英と

もにかってのような大規模な飛行場の建設、とその前方への展開とかに必要な機材、

そしてそれを可能とする人材が不足している。

特にイギリスなど自国の被害など直すところはいくらでもある状態。


そこで、空母部隊の活躍に期待されたが、これも米英の復員、再建途上の日本海軍に

はちと荷が重い。

そこで目をつけられたのがグラーフツエッペリン。

もともと日本の赤城をモデルに航空艤装が作られたりしている、ということもあり、

これを日本海軍に引き渡して運用する構想が出てきたのだ。

艦戦はもともと日本機であるから、その点でもよかろうとなったのだ。


サンディエゴで急遽、今後も運用するための改修をおこない、損傷個所は米軍の資材で

装備したグラーフツエッペリンはハワイ経由で横須賀に入港した。

そしてこの間に、元の乗員を日本海軍嘱託技術員としてかき集め、教官として

受け入れたのである。


そして、再武装して(捕獲されていた弾薬、などをドイツから急送して

きたのである)日本海軍にそのままの名称で運用されるようになった。


そして改めてこちらも整備なった零式艦上戦闘機23型丙、33型爆戦を搭載して

ウラジオストック閉塞作戦に先陣を切り、制空、飛行場制圧、などで母艦搭載機

としての零式艦上戦闘機に最後の花道を飾らせたのである。


ただ残念なのは、戦時中の酷使がたたり、第二次日露戦争後は予備艦に編入

されたのだ。

ドイツ製の機関の維持がまだ当時の日本海軍には持て余すものだったのだ。

ただし本艦は、日独交流のシンボルの一つ、として保管された。


そして後にこの日本海軍では珍しい、ドイツ生まれの艦はその後博物館として

呉の大和ミュージアムに、未だ艦籍にある大和とともに展示されているの

である。



こんなオチいかがでしょうか。

バルト海に沈んでしまうよりまだましか。

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