沖縄での地上戦の様子
沖縄方面での海軍作戦の次は、陸上での戦闘の様子です
さてさて沖縄戦を語る前に、その前にかたづけるべき問題が存在した。
東京と、テニアンの間にある硫黄島という小さな島である。
ここを奪取してほしいのは米陸軍航空隊。
日本空襲の足場として、さらに護衛の戦闘機の基地として要求したのである。
こんなものに関わりたくないのが米海軍。
とっとと沖縄上陸して最終的本土攻撃の足場が欲しいのである。
中途半端な攻略戦をやっている暇はないのであった。
というのも沖縄上陸開始のD-DAYは6月6日。
別にノルマンディー上陸の日と同じでゲンを担ぐわけではなく、あまりこの
台風の通り道の海域にいたくないのが本音である。
先のフィリピンでの台風による損害はいまだに記憶に鮮明である。
だからこれ以上この沖縄上陸の先延ばしにつながるような作戦にはかかわり
たくないのだ。
それでも陸軍航空隊は粘ったが、今度は身内からとんでもない情報が入ってき
たのである。
サイパン島から爆撃に来ているB24が撮った写真に多くの地下陣地構築の
証拠が見つかったのである。
この日は早朝、超低空で侵入して朝日を背にして一航過して全弾投下して離脱する
戦術をとったのだがそのため、高空からではわからない防備工事の様子が見事に
撮影できたのである。
その写真を分析すると、米軍が悪戦苦戦したタラワ、ペリリューなどの島以上に
洞窟が掘られ、各所に銃眼、特火点が設置されているのが確認できた。
また、上陸地点付近に海中障害物が設置されている様子も波のたち具合で判別
できたのである。
これでは当初、陸軍と海軍さらに海兵隊とともに打ち合わせた火力支援計画など
では対応しきれないのが判明したのだ。
こういう戦闘では防御側に対して3倍以上の兵力と十分な支援が必要であり、兵力
はなんとかなっても、より強力な火力支援が必要なのが明白になった。
B29は他の任務で忙しいし、そもそもこのような状況で点目標を叩くような器材
でないのは明白であった。
結局、陸軍航空隊も、折れて沖縄戦がめどがついてからという言質を取り付けるこ
とで我慢することになった。
その結果、停戦まで硫黄島が保持されたのは運命の皮肉であった。
また、日本軍の航空部隊にとって、硫黄島が手元に残ったことで、早期警戒網が
多少なりとも本州南方に維持できたこと、それとここを基地とした米軍機の襲来
がなくなったことが大きい。
もしここに当時の米軍最強と言われるP51が配置されていたら本土上空の制空
権すら維持できたか怪しいからである。
それはドイツでP51がB17などの護衛についてから迎撃するドイツ空軍の損害がう
なぎ登りにあがったことから想像されるだろう。
また大陸方面で捕獲されたP51で各地の航空部隊で対処を訓練した場合は手加
減しないと手におえないくらいの差があったといわれている。
こうして敵味方とも戦闘の焦点は沖縄方面に集中していくのであった。
そして今、沖縄本島の沖合に、米艦隊は集結して準備の砲爆撃を実施している。
LSMRはロケット弾を連射しているし、巡洋艦からは6インチ砲弾の斉射がくりかえ
されている。
護衛空母から発進したTBMも爆撃進入していく。
今回の上陸では、敵艦隊なども気にしなくてよいし、敵機も正規空母から発進した
F6Fがレーダーピケットの駆逐艦とオンステーションし警戒しているから上陸地点
はまず大丈夫。
これなら余裕をもって上陸できると踏んでいた。
上陸さえしてしまえば、日本陸軍は、アメリカ軍より火力装備に劣り、また機甲部
隊も数少なく、その性能も低いからまず大丈夫。
敵の「中戦車」なぞ37mm対戦車砲程度で十分撃破できるのである。
想定しているより早く目的の飛行場などを確保できるだろうし、全島を確保して
日本本土進攻準備にかかれるだろう。
主力の上陸に先立ち、先遣隊が上陸、海岸を確保したとの連絡後、先導する駆逐艦
などに見守られながら、待機していたLCVP、LCTなどの上陸用舟艇や、LVTなどの水
陸両用戦車などが定められた海岸に着岸した、まさにその時である。
一斉に島全体が噴火したような勢いで砲撃が上陸海岸とその付近の舟艇にめがけて
集中されたのだ。
隠蔽されていた射撃陣地から、大は40cm、20cmといった噴進弾や15cm
の野戦重砲、や10cm、7,5cmといった各種野砲からの砲撃、また海岸付近
で破壊されずに残存していた水際の特火点からの射撃が一斉に行われた。
このタイミングはまさに上陸部隊第1波の主力が上陸寸前で、容易に撤退できない
ところを見計らったものであった。
これは大損害を上陸部隊に与えたが、数々の水陸両用戦の修羅場を経験してきた米
軍のこと、一時の大混乱からは回復し、継続して射撃を受けながらも、部隊をまと
め再編してきた。
海岸付近の特火点は発見され次第、ぎりぎりまで海岸によってきた駆逐艦の5インチ
砲の水平射撃やLSSLからの攻撃、護衛空母から発進したTBM、FM2での航空支援で
制圧して、ビーチヘッドを確保したのである。
また観測任務に就いたTBMなどは戦線後方の砲兵陣地を特定しては、艦砲射撃を
誘導するなどして、上陸海岸の安全確保に務めた
結局、上陸海岸は確保されて、大型のLSMなどが戦車を始めとする重機材を揚陸す
るようになり、若干の遅れはあったものの、やや内陸にあった飛行場を確保する
までに至るのである。
ただ、第1波の大損害は、参加した兵士、や各部隊の指揮官に苦い記憶となったの
である。
本土から離れた島の上陸でこれだけの損害では来る本土上陸はどうなるか?という
不安である。
今回の損害は、明らかに日本軍も米軍の水陸両用作戦に対する対抗策を練っている
のが分かったからである。
水際での防御と後方のよく隠蔽された陣地を組み合わせて上陸第1波が到着する
タイミングでの反撃は、半数を超える上陸用舟艇などの損失になり、第1波を
担当した海兵隊に大きな損害を与えたのである。
さらに厄介なのは、海岸から内陸への進攻は各所に仕掛けられた地雷などの障害
で行動が制約されてようやく障害を突破できた、ら今度はうまく掩蔽されている
対戦車砲の側面射撃を受けてしまう始末。
ひどい場合には、たかが一つの丘を越えるのに、駆逐艦1隻、艦爆1フライト、
前線火力調整チーム、さらに中戦車1個中隊の支援を要することもあった。
しかもいざ前進したら、すでに日本軍は後退した後で次の防衛線で待ち構えている。
さらに厄介なのは、一部に75mmクラスの主砲を装備したと思われる戦車または
自走砲まで配備されているので、太平洋地区では無敵に思われたM4戦車の装甲で
も油断していると大変な目にあうこともあったのだ。
また夜間、以前はよくあった万歳突撃など自殺的な反撃は、見られず、いかに
長くこの島を維持するかに作戦の重点があるかのような作戦を展開している
様子である。
海も陸も持久戦を強いる戦いをしていくのである。
史実より粘るにはどうするか、、難しいです。




