液冷発動機搭載零式艦上戦闘機の苦労話
零式艦上戦闘機の栄発動機はコンパクトでしたが、馬力向上に限度がありました。
それに対する一つの案です。
零式艦上戦闘機23型開発前史
「空母建造と洋上航空兵力の育成はℤ計画の目玉商品なんだがねー」
1941年の に、ウィルヘルムスハーフェンのドイツ海軍
司令部施設で参謀の一人が溜息をついている。
Z計画は第一次世界大戦で壊滅したドイツ海軍をイギリス海軍に
ある程度対抗できる規模までの拡大が英独海軍協定で認められる
範囲内にする、建艦計画である。
その中の、目玉商品の一つがはドイツ海軍初の航空母艦建造である。
以前から、日本海軍の空母赤城の資料提供を受けて計画してきて
いるのである。
別途述べるように、搭載機の開発も進めている。
ところが、まだ空母の戦力化以前に、心配されていた「脅威」が
現実になったのである。
大西洋での通商破壊作戦、ライン演習は戦艦ビスマルク、重巡プ
リンツオイゲンを投入して行われた。
詳細の経過は省くが、迎え撃った巡洋戦艦フッドを撃沈、戦艦プ
リンスオブウェールズを中破し、追撃に投入されたイギリス海軍
のH部隊を振り切り、無事にブレストに到着した。
ところが、この戦果は偶然によってもたらされたことが判明したのだ。
空母ビクトリアスからの雷撃機はすべてかわしたものの、ジブラルタル
からおっとり刀で駆け付けたH部隊の空母アークロイヤルを発進したソ
ードフィッシュ雷撃機の魚雷がすんでのところでビスマルクに致命傷
を与えた可能性が露見した。
入渠して船体の整備、検査の際に艦尾付近にMk12魚雷命中の痕跡が
見つかったのだ。。
幸いこの魚雷が命中した角度が浅かったか何か、神のみぞしる理由で
信管が不発になったのである。
襲撃を受けた地点を航海日誌で検証すると、はるか大西洋沖合で操舵不
能になり追撃してきたH部隊どころか、スカパフローあたりにいる本国
艦隊にすら捕捉されてなぶりものにされてしまう可能性があったのだ。
このような主力艦艇に航空支援を提供するはずの正規空母、グラーフツ
ェッペリンの就役が遅れていることが、参謀たちに溜息をつかせている
のである。
それも一番大事な搭載機、それも艦上戦闘機で躓いている。
空母の航空艤装、については日本海軍の赤城を参考にしているが、艦上戦闘機
についてはフィーゼラー社にてメッサーシュミットMe109E型を改修したT型
を開発している。
こいつが難物である。
ベースになったMe109はMe108スポーツ機をベースに開発された時から主脚を胴体に
取り付ける設計となっている。
これは生産の都合、構造をシンプルにするメリットがあるが、必然的に左右の脚の
間隔が狭くなるため、地上、艦上での取り扱いの時に不安定になりやすい。
さらに高速性能を重視して主翼をコンパクトにまとめていることで翼面積あたりの
機体重量、翼面荷重が大きくなりがちである。
これは失速速度が高くなることにつながりやすく、狭い空母の甲板に着陸する艦上
戦闘機としては扱いにくいものとなる。
そう、空母への安定したアプローチに必要な低い失速速度が得られないと運用が非常に難し
くなってしまうのだ。
今の時代のようにアングルドデッキ、斜め飛行甲板などない時代、着艦を失敗してしまえば
前方に駐機している機体に突っ込んでしまう可能性もある。
ところが、Me109の翼面荷重を軽減するための翼端延長、主翼の折り畳み機構の追加
などはさらなる重量増加の要因にもなる。
これは陸上での運用を前提とした戦闘機を艦上で運用する場合の難しいことの一つである。
視点を後世に移してみても艦上戦闘機を陸上で運用するほうがよほど楽なのである。
今年リタイヤを迎えるわが航空自衛隊のF-4EJ改なども良い例である。
艦上戦闘機を陸上専用で運用する場合は、艦上での運用にのみ必要な装備を下すだけで
(カタパルト関連、着艦誘導関連など)で十分使え、重量も軽減されることから性能低下も
まずありえない。
米海軍のF-4Bから空軍型のF-4Cが開発された経緯にもあるように、艦上機として運用しな
ければ、兵器搭載量などを増やすための最大離陸重量を増すのも比較的容易である。
こうなると、本格的な艦上戦闘機の開発が初めてのドイツ海軍には荷が重すぎた、ことが
明白に示されたのである。
(これは日、米、英の艦上戦闘機の開発の苦労に満ちた歴史を見ればわかるであろう)
とは言え、今回のライン演習の結果、英海軍の旧式雷撃機(ソードフィッシュは日本で言
えば95式艦攻に相当する古い機体であり、日米ともすでに完全な全金属製単葉攻撃機に移
行している時代である)にドイツ海軍の最新の戦艦すら行動不能にされる可能性を突き付け
られているのだ。
英海軍が空母の集中運用したり、空軍の沿岸航空隊、爆撃軍団の爆撃機などと連携した攻撃
をかけられたら、どうなるか。
この「今、そこにある危機」に直面したドイツ海軍はプライドも糞もかなぐり捨てて、艦上
戦闘機の開発に実績のある、同盟国の日本海軍に各種技術、工作設備を提供(特に、37mm
級の中口径高射機関砲の生産やコントロールする高射装置などのノウハウ、電波探知機の技術
とその運用についての詳細など、明らかに日本海軍の立ち遅れている分野について)する見返りに
当時、太平洋で威力を発揮している零式艦上戦闘機の提供を要請したのである。
ただ、発動機に関しては自国のダイムラーベンツのDB601シリーズを搭載した仕様を要求した。
これはすでにメッサーシュミットMe109用に量産されていることからも唯一の選択と言えた。
これは当初、メーカーの三菱重工の名古屋からは生産ラインの混乱を招くこと、不慣れな液冷発動機
の採用に難色が示されたが、愛知のアツタ、川崎のハ40などの量産にもドイツ側から改めて全面的
支援を約束されたことから、日本の陸海軍とも「強く要請」したことで、大きく方向転換して
液冷発動機装備の零式艦上戦闘機、23型が生まれることになり、太平洋と大西洋の二つの大洋をまたに
かけた活躍を歴史に残すことになるのである。
、