月のない夜
新月の前の日、テルは珍しく隣町の繁華街でひとり飲みに行くことにした。
「あたしがいなくってもちゃんとお風呂入るんだよ」
テルは玄関先で涙を浮かべてヨミに抱きついた。
「うん、入るよ・・ってお前が怖くて入れねぇんだよ!」
ヨミはテルを引きはがし、カバンを渡した。
「ほらっ大事なモンは全部入れたから行って来い」
テルはカバンを大事そうに抱いてドアを開けた。
「言ってくるわね。愛しのヨルミア」
そう言って投げキッスをしてドアを閉めた。
「いってこい。で、二度と帰ってくんな」
頬を引き攣らせながらヨミは手を振った。
めいはその光景をヨミの隣で苦笑いして見ていた。
テルの束縛から解放されたヨミはソファの上で弾んだ。
「よおし、テルのいない夜をどう楽しもっかな」
めいは洗濯物を畳みながら苦笑いした。
「あんた、ホントに嬉しそうね」
と言ってめいの父のものじゃない男物の下着を目にした。
「これ、誰のかしら」
めいは洗濯物の山から紺色のトランクスを取り出し首を傾げた。
「テルの彼氏のじゃねぇの?たまに見知らぬ男が出入りしてるし」
ヨミは目を泳がせながら応えた。
「やだぁ、いくらテルさんがあんな感じな人でもそんなことしないでしょ」
と言って、めいは顔を赤らめた。
その夜、ヨミはひとりでお風呂に入った。
「はぁ~久々の解放感。やっぱ襲われる心配がないっていいわ」
程よい大きさの柔らかい胸まで湯船に浸かり脚を伸ばし、癒しの一時を過ごした。
「入るわよ」
「げっ」
ヨミ何の前触れもなく風呂場に入ってきためいの一糸まとわぬ姿に驚き、急いで激しい波を立てて潜った。
「え!?女の子なのに」
思う以上の反応にめいは驚いた。
ぬっと顔を半分出したヨミは湯をぶくぶくさせた。
「おい、勝手に入ってくんなっ・・貧乳がっ」
めいは自分の一番気になっていることをまともに言われ、むっとした。
「女の子同士だしそこまで言わなくてもいいじゃん、変な子」
めいは仕返しにシャンプーを手で泡立て、ヨミの髪を洗うことにした。
「髪長いから困ってるでしょ、頭洗ってあげる」
「やっ・・やめろ。うぎゃあ」
ヨミは必死に抵抗したが、シャンプーが目に入り悶えた。
その隙にヨミの紅く長い髪を丁寧に洗った。
「すごく柔らかいのね。うらやましいな」
ヨミは照れくさくなって目を逸らした。
「あのな・・」
七色のシャボン玉だらけの中、ヨミは呟いた。
「どしたの?」
「お願いだから明日の夜は一人にしてくれ」
「なんで」
「絶対に、約束だぞっ」
ヨミは反論の余地も与えんと重ねて念押しに言った。
めいは剣幕に負けて「わかったわよ」と了解した。
次の日の夜、またテルは飲みに行き、ヨミは自分の部屋で過ごした。
めいと母は約束通りヨミの姿を見ないようにした。
母は心配そうに天井を見た。
「ヨミちゃん、どうしたのかしら」
「さあ、ほんと変な子だから」
めいは関心なさそうに漫画を読みながら応えた。
「ちょっとトイレに行きたくなっちゃった」
部屋を出てめいはトイレのドアを開けた。
すると紅髪の細身の男が便器の前で立っていた。
「・・お、お」
男はめいに気づくとそっとドアを閉めた。
めいは我に返り、金切り声を上げた。
とりあえず、めいは男を自分の部屋に連れていった。
「ヨミであってるよね。なんで男なの」
「なんでって・・」
ヨミが言いかけると玄関で酔っぱらいの大声が聴こえた。
「テル様がミセスドーナツひっさげて帰ってきたわよ~」
家に帰ったテルは男になったヨミを一目見て持っていた紙袋を床に落とした。
「あちゃあ・・統一神の呪いが解けたのね」
この状況に全く動じないテルとまだ不貞腐れているヨミを交互に見た。
「呪い?どういうこと?・・てことはヨミってホントは・・おとこ?」
めいは急に今までのことを思い返して、胸を隠し再び金切り声をあげた。
「・・で、なんで俺がこうなるんだよ」
両頬に大きな手形がつくくらいのビンタを食らったヨミはテルに愚痴った。
「そりゃアンタがちゃんとめいちゃんに説明しなかったからでしょ。初めて会った時に説明してたもんだと思ったわ」
「でもアイツが勝手に俺が女だと思い込んでただけで・・」
「あの格好でどうやって男だと思うのよ。3話まで読んでくれた読者もそう思ってるわよ」
その頃、めいは自分の部屋にこもって布団にもぐりこんでいた。
「ヨミにやったあれもこれも・・やだ、あいつが男だったなんて・・」
思い返しても恥ずかしいことばかりでネコの抱き枕をぶん投げた。
ヨミはめいの部屋のドアをノックした。
「めい、さっきはすまなかった・・実はこれには深い訳があって・・」
すると、ヨミの後ろの窓からどす黒い液体が流れてきた。
「誰だ!!」
ベーゼの凶悪な気配を感じたヨミは後ろを振り向くと同時に窓ガラスを割って巨大な鳥の脚が飛び出した。
鳥の脚は粘り気のある液体を飛ばしながらヨミを掴んだ。
「畜生!また話の邪魔かよ」
ヨミは貧弱な筋肉で敵を捻り潰そうとしたが脚が鋼鉄のように固いため、すぐに力尽きた。
「プリンス・ヨルミア、捕マエタ」
敵は窓から鱗の生えた蝿取り草に包まれた目玉をみせた。
「・・探シタゾ。ドレダケ貴様ノ首ヲ欲シテイル者ガイルコトカ・・!此ノ私ガオマエノ命ヲ貰ウ」
鱗の生えた残り三本の鉤爪は身動きできないヨミの体をじわじわと切り裂いた。
ヨミは苦痛のあまり叫び声を上げた。
「現界二居ル限リ貴様ハ無力ダ」
ベーゼは地獄の底から這い出たような不愉快な引き笑いをした。
騒ぎに気付いためいは部屋を飛び出し、部屋にあったスタンドライトでヨミを掴んでいる脚を切り取った。
鬼の形相でめいはベーゼに怒鳴りつけた。
「ベーゼ!よくも私の家をめちゃくちゃにしてくれたねっただじゃおかないから」
ボロボロになったヨミはうつ伏せになったまま手を挙げた。
「お・・俺は?」
めいは呆れながらヨミの額を突いた。
「ホントは瞬君にとっておきたかったのに、ファーストキスは諦めるわ」
ヨミとめいはキスをして紅月剣を召喚した。
「お生憎様、俺にはアヤカシ界とリンクした立派な武器があるもんでね」
金の十字架のネックレスが胸に光る男物の黒いバトルスーツを着たヨミはにやりと笑って紅月剣をベーゼに向けた。
「現界ノ女ガ化身蛹二…アリエナイ!」
ベーゼの切られた脚は滝のように流れる黒い液体が固まって再生され、再び狂ったように暴れた。
すると、窓からナイフが飛んできて敵の鉤爪を切り落とした。
「しつけの悪いペットは爪を切らなきゃね」
同じく十字架のついた首輪を付けた、風で下着が見え隠れするミニスカートに胸全開のバトルスーツ姿のテルが眉間にしわを寄せ、双星剣を構えた。
「せっかくの男ヨルミアといちゃいちゃするつもりだったのに、許さんっ」
かっこつけるテルにヨミは激しく突っ込みを入れた。
「だーかーらーっ怒りのベクトルがおかしいだろっ」
「貴様等、殺シテヤル」
二人の気の抜けるやりとりに怒った敵は残りの鉤爪を振り回した。
一階では、何も知らないめいの母は呑気にリビングでドラマを見ていた。
やたらミシミシ鳴る天井を眺め「まあみんな元気だこと」と言ってお茶を飲んだ。
一方、アヤカシ界に着いためいとルルララ兄弟はレース場でピンクと水色のベースに赤色ラインが入ったレーシングカーに乗っていた。
「何よこれ」
助手席に座っているめいは周りを見回した。
熱を上げて応援している観客に、横断幕が全部見たことのないでたらめな文字だったので、ここはアヤカシ界で起こっていることだとすぐにわかった。
「これみんな敵の意思で作った幻想よ。カーレースしようってことかしら。スピード狂の血が騒ぐわ」
ルルは小さな手でハンドルを左右に回しながら鼻息を荒げた。
「ルル、ちゃんと合図送ってよね」
ララは不安そうにルルの足元で、アクセルとブレーキを手で交互に押した。
「代わってあげようか?」
めいは運転手が二人羽織になっているので不安になった。
「いいのっこう見えてわたしたちアヤカシ界じゃ超有名なレーサーなんだからっ」
興奮して目の色が変わっているルルは強く断った。
めいは対戦相手が誰もおらず、自分たちの車一台であることに疑問を感じた。
(こんな真似してあのベーゼは何がしたいのかしら・・)
ルルは相変わらず興奮していた。
「こてんぱんにするわ。泣いても知らないんだから」
赤信号が青に変わった途端、ルルが運転している車は急に現れた二台の黒いスポーツカーに囲まれた。
そして目の前に鉛の壁がめいたちの車を潰そうと待っていた。
「なんでよっ」
めいは叫んだ。
「突っ走るよララ。こんな車大したものじゃないわ。めいおねぇさん、シートベルトちゃんとつけてる?手すりをちゃんと持って」
ララは全身の力をかけてアクセルを押した。
ルルたちが乗っている車は敵の車を吹き飛ばし火柱をあげて空を舞い、壁を越えて爆走した。
めいは手すりにつかまりながら、乗り物酔いに顔を青ざめて遠心力で飛ばされそうになった。
「ルルちゃん怖いっ」
スピードの鬼と化したルルはハンドルを握って高笑いしていた。
一方、ヨミとテルは無限に再生を続ける敵に苦戦していた。
息を弾ませるテルの双星剣は刃こぼれを起こしていた。
「やばいよ・・こいつ固すぎるしきりがない」
ヨミはさっきの攻撃で体力を奪われ、返事もできなかった。
ルルたちのレーシングカーをいくら飛ばしても黒いスポーツカーは追いついてきた。
「クソっなんであいつら横にいるんだよ」
とうとうエンジンから煙が出てきた。
「やばいっエンストする」
とうとう黒い車に追いつかれてしまい、サッカーのパス回しみたいに当てられた。
敵の攻撃に車中で三人は激しい衝撃を受けた。
「このままじゃボクたちがヤバいことになるよっ」
ララは、真剣な目でハンドルにしがみつき前を睨み付けるルルに訴えた。
「おねぇちゃんに話しかけないで。レーサーはこんなときこそ冷静になるものよ。」
(今、車はエンスト直前で敵はなおも攻撃を続けてる。とりあえず切り抜けなきゃ)
ルルはララの方にふと目を遣った。
「・・!そうよ、これよ」
ララの袖から出ているおやつのバナナを取り出した。
「ああん!これはぼくのおやつっ」
「こんな時にいってらんないわよ。後でボスに買ってもらいなさい」
といいながらルルはバナナの皮を剥き一口で食べ少しアクセルを踏んで敵を引き離した後、窓から二つに割ったバナナの皮を投げ込んだ。
敵の車は見事にスリップして壁にぶつかって爆発した。
「っよっしゃああ!」
作戦に見事成功したルルはララとハイタッチした。
めいは窓から吐瀉物を吐きながら、見覚えのある作戦に苦笑いをした。
「そのまま直線いくわよっ」
ルルたちの車はボロになってガクガク止まりそうになりながらフィニッシュラインを通った。
「やったわ!」
ルルはドアを蹴破り、三人はふらふらになりながら外に出て観衆に手を振った。
よく見ると観客が全員紙人形だった。
すると、さっき爆発した黒い車が復活して三人に向かって襲ってきた。
三人は散り散りに逃げた。
「これが狙いだったのね。ほんとベーゼらしい攻撃だわ」
ルルは袖から襲い来る車に向かって鎖鎌を飛ばしたが、見事に外した。
乗り物酔いで本調子でないめいは紅月剣を握ってなんとか構えたが、風のように走る敵に何もできなかった。
「おねぇさんっ後ろ!」
ララの呼び声に、めいが振り向くと激しく唸る車が向かってきた。
恐怖で身動きできないめいはその場に蹲った。
(誰かたすけて!)
するとめいの体はふわりと浮いた。
気が付けば鴉のような黒い翼を生やした長身の男に抱きかかえられていた。
「大丈夫か?」
空中で抱きかかえたまま、雪のように白い肌に映えた切れ長の紅い瞳で男はめいを見つめた。
「・・は・・はい」
めいは気後れして何も言えず、頬を赤くして頷いた。
「そうか、よかった。ちょっと目をつぶってくれないかな」
男は優しく微笑み、黒く長い爪で目を閉ざしためいの癖っ毛を撫でた。
それを見たルルとララはなぜか怯えていた。
「なんで・・あいつが」
「ボスに言わなきゃ」
そんな双子に気づかない男はめいの額に口付けをした。
(冷たいっ)
絶対零度の彼の唇の冷たさに驚いた。
「女の子を武器にするのは気が進まないが」
めいを漆黒の槍にした男は矛先を車に向けた。
車は一つ目の黒ヒョウになり、男に向かって襲ってきた。
「相変わらず哀れな奴らだ」
そういいながら嘲笑する男は飛び掛かるヒョウとすれ違うように急降下した。
先端の長い黒いブーツが地面に着いた途端、ヒョウは金切り声をあげて粉々に砕け散った。
一方、テルは双星剣が焦っていることに気づいた。
「こんなときに焦ってんじゃないよ。こっちも危ないんだ」
双星剣の言葉を聴くことができないテルは勝手に手ごわい敵を前に苦戦していると勘違いした。
「熱いっ」
急に紅月剣から熱が湧きあがりヨミは思わず手を離した。
「・・うそだろ」
紅月剣はひとりでに黒い煙をあげてベーゼの目玉に目がけて矢のように飛んだ。
見事に剣が命中した敵は金切り声をあげ黒い煙とともに消えた。
「黒天狗・・生キテタノカ」
テルとヨミは敵の言葉に唖然としていた。
「・・やっぱりこないだアンタが言ったのはホントだったみたいね」
「これはまずいことになったな」
めいはぼんやりとした視界の中で、ベッドの側で心配そうに見つめる女子のヨミを見た。
「・・よみ?」
ヨミはめいが目覚めたことに気が付くと、何もなかったかのようにそっぽを向いた。
(もう、素直じゃないんだから。)
めいはくすりと笑った。
「なっ・・なにがおかしいんだよ」
「いや、別に」
めいはまた笑った。ヨミはなんとなく安心した顔で言った。
「あのな・・お前に伝えなきゃいけないことがあるんだけど」
「そうだったね。ちゃんと聴くわ」
ヨミは説明を始めた。
「実はあのベーゼは統一神の器(グリモワ―ズ・シン)の呪いで理性も人間の姿も奪われた十字架族なんだ」
「嘘・・ということは私たちは仲間を殺してるの?」
「奴らはもう仲間じゃないし人間じゃない。一度ベーゼになったら死ぬまで暴走しながら彷徨い続ける。だからこの手で奴らの息の根を止めるしかないんだ」
「じゃあ、あの呪いを解く方法ってないの?」
「正直ない。だけど世界のどこかに散らばったグリモワ―ズ・シンを壊せばこれ以上ベーゼが増えることはないはずだ」
ヨミの手を眺める表情が曇った。
「俺はこの世界に来る前にグリモワ―ズ・シンのひとつ、色欲の口紅を壊したんだが、その代償に女にされた。それにもうアヤカシ界にはベーゼしかいない。だからこの世界にいるはずの仲間を探してる・・」
めいはヨミの手を握った。
「一緒に探そう。私はただの人間だし足手まといになっちゃうかもしれないけど。貴方の力になりたい。仲間がいると力強いじゃん」
ヨミは鼻水を垂れ流し涙を零しながらめいの手を握って頷いた。
「・・ああ。まじでいっぱいごめんな」
するとルルがゲーム機を抱えてめいの部屋に入ってきた。
「元気になったらみんなでレーシングゲームするわよっもちろん誰もアタクシに勝てるとは思えないですけどね」
二人は顔を見合わせ、笑った。